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第4章 8
(もう、無理だ……!!)
クガミは限界を感じ、イザナの胸を両手で突っぱねた。すると、先ほどがっちりと拘束されていたのが嘘のように簡単に解放され、イザナは勢いよく水面へと顔を出した。
「ッ……、は!! ……はあ、ゲホッ!! く、……ゴホッ……はあ……」
途端に口や鼻から雪崩れ込んでくる空気に噎せつつも、胸を喘がせ酸素を肺へと取り込む。
「大丈夫か?」
と、呑気に言いながらゆったりと水面からイザナが顔を出すのが目に入り、クガミは彼をきつく睨み付けた。
「……大丈夫なわけがないだろう……ッ、殺す気か……く、ゲホッ……」
痛む肺を押さえ、クガミは咳き込みながらイザナに怒りをぶつける。水中で口付けなどされたら、どんなに泳ぎが得意な者であっても溺れてしまう。が、イザナはその事実に今思い至ったといった表情を浮かべていていた。
「人間は、水中で息が出来ないのだったな。悪い、すっかり忘れていた」
あっけらかんとそう言われ、クガミは唖然とした。まだ、殺す気であったと言われた方が納得がいく。が、それ以上にクガミにとって衝撃的であったのは、神が水中で呼吸ができるという事実に対してであった。
「……アンタは、水中で呼吸が出来るのか。 ……魚、みたいだな」
思ったことがそのままポロリと口に出た。日向ノ国の海には色の鮮やかな――それこそ、イザナの髪の様な色の――魚がいると本で読んだことがある。クガミが想像した水の中を自由自在に泳ぐイザナの姿は、まさしく魚と呼ぶに相応しい。
しかし、言ってしまった後になってクガミは失言であったと後悔していた。神に対して言うような言葉でもなかった。もしかすると、気を悪くしたかもしれない、と心配していたのだが
「くくッ、魚のようだ、と言われたのは初めてだ」
と、イザナは楽しげに笑っていた。
(……思ったより、悪いやつではないのかもしれないな)
出会ってそう時間は経っていないが、クガミはそんなふうに思い初めていた。過剰な身体接触を除けば、なんだか身体の大きな子供を相手にしているようでもある。
クガミがそんなことを思っているとは露ほども知らないイザナが笑い止み、濡れて額に張り付く髪を掻き上げた。
「まあ、呼吸、というのとは少し違うな。人間は空気を吸い、生きているのだろう? 神は“気”を吸って生きている。気というのは人間も持っているが、自然の中にも多く存在していて、この水の中は特に清浄な気で満ち満ちている」
イザナの説明に、クガミはへえ、と声を溢す。正直、全て理解できたかと問われると怪しいところではあるが、神とは自分とはまったく違う別次元の生き物なのだという実感を持つことが出来た。
「……話を聞くほど、アンタは俺とは違うんだな」
見た目は変わらないのに、と言外に滲ませながらクガミはイザナを見た。赤い瞳も、髪も、肌も。色は違えど、自分と同じものを持っているのに、根本的な部分で違っている。
「神だからな。だが、俺は人間の身体もいいと思うぞ。触れると温かいところがいい」
と、イザナがクガミの腰周りに腕を回し、抱き寄せる。何も纏っていないせいでイザナの下肢にぶらさがる陽根がクガミのそれに当たりそうになり、クガミは慌てて腰を引いた。
「ッ、だから引っ付くなと――」
「お前は、良い体つきをしているから触りたくなる。肌の色も俺と違っていて、好みだ」
“言っているだろう”と続くはずだったクガミの言葉は、イザナが向ける好意のせいで音にならなかった。
真っ直ぐ向けられる好意には、やはり慣れない。が、それ以上にクガミを戸惑わせていたのは、イザナの好意を僅かばかり嬉しく思ってしまった自分自身であった。
(……きっと、何かの勘違いだ)
クガミはゆるく頭を振りながら、イザナを水の中に置いたまま一人泉から上がった。後ろでクガミを追いかけるようにざぶざぶと水の音がする。イザナが上がったのだろう。
クガミは先ほどイザナに渡された布で身体を拭いながら、これからのことに頭を悩ませるのだった。
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