26 / 48

第5章 3

「俺にか?」  クガミは信じられない、とばかりに声を上げた。イザナに出会う前までは神など一度も目にしたことがなかった自分に、巫子の素質があるとは到底思えない。が、イザナはいたって真面目な表情で 「ああ、そうだ。神の好物である清浄な気がその身の内には秘められている」  と、口にしただけだった。  きっと、イザナは自分を番にしたいがために嘘をついているのだ。そう思うことにしたクガミは曖昧に「へぇ」とだけ言い、ふい、と視線を逸らした。  やはり、イザナといると調子が狂ってばかりだ。付き合いは長くはないが、イザナが嘘を言っていないことは頭では理解出来ていた。しかし、巫子の素質があるという事実をすんなり認めるには今まで普通の人間として生きてきた時間が邪魔をする。それに、こらからもヨキの側に守人として存在するためには、その事実を認めてはいけない気がしたのだ。  クガミがそんな思考を巡らせているとも知らずに、イザナが話を元に戻す。 「俺は常にお前の側にいるが、他の人間には俺の姿が見えていない。会話をする際は気をつけろ。変な人間だと思われるぞ」  クガミは周りの人間には見えないイザナ相手に会話をする自身の姿を思い浮かべ、表情を引き攣らせた。イザナが言った通り、間違いなく周りの人間には頭がおかしいと思われるだろう。  しかし、話しかけられればつい答えてしまうかもしれない。根本的な解決方法としてはイザナが自分に話しかけてこないことが一番なのだが。 「……アンタが話しかけてこなければいいことだ」 「それは俺がつまらんだろう」  案の定、イザナが偉そうにふんぞり返って言い切った。やはりか、と思いつつ、クガミは手で額を押さえた。イザナが拒否することは端から予想できていたものの、実際にそれを耳にすると頭が痛い。  これは自分が頑張るしかないかもしれない。クガミがそう密かに決意していると、イザナがポン、と自身の膝を打って立ち上がった。 「では、今日は庭から御神ノ道を繋ぐぞ。付いて来い」 「ああ」  漸くか、といった気持ちとどっとした疲れを感じながら立ち上がったクガミは、先に歩き始めたイザナの背を追った。  履物を履いて外に出たイザナとクガミは、大きな桜の老木の前でその足を止めた。  イザナがスッと手を前方へと翳す。と、次の瞬間イザナの翳したままの手の先に真っ暗で大人一人余裕で飲み込んでしまえそうな穴が開き、クガミは声なく驚いた。 「さあ、行くぞ」  イザナの声と共に、腰にイザナの腕が巻きついてきてあっという間に抱き寄せられてしまう。 「っ、離せ!!」 「離したら、違う場所に落ちた挙げ句、迷子になるかもしれんぞ。少しでも早くヨキを探したいのならば、大人しくしておけ」 「っ……」  イザナの腕を引き剥がそうとするのだが、そう言われてしまっては抵抗するわけにもいかない。クガミは不機嫌そうに眉を中央に寄せたまま黙るしかなかった。  イザナの腕にしっかりと抱き寄せられたまま、クガミは目を瞑り真っ暗な穴の中へと飛び込んだ。  落ちているのにも似た浮遊感に襲われるが、それも一瞬のことで気が付くと両足の下に硬い地面の感触があった。耳がざわざわといった喧騒を拾う。神域では耳にすることのなかった沢山の人の声だ。  クガミはゆっくりと瞳を開ける。と、目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。  縦に細長い建物や、横に平たい建物。屋根が三角に尖っている建物や、丸くなっている建物。様々な建物がひしめき合うように建て並び、その建物と建物との間を道が縫うように続いている。  宵ノ国では四六時中薄暗いままだったが、櫻ノ国の首都ハクオウの上に広がる空は茜色をしていて、街全体をも赤く染めていた。  店や家の先にはちらほらと赤い提灯のようなものが下げられ、それが花や色々な香りを孕んだ風に揺らされ幻想的な光景を生み出していた。 「ここが、櫻ノ国の首都……ハクオウ、か」  クガミが辺りを一頻り見回して、ほう、と感嘆の息を吐く。その隣でクガミの反応をつぶさに見ていたイザナが、唇に弧を描いた。 『ごちゃごちゃしているだろ? だが、それがこの街のいいところでもある』  自国、それも自身の統括する国を褒められ嬉しいのだろう。誇らしげな様子でそう言うと、こっちだ、とクガミの肩を抱いて歩き始めた。  人の目に触れないからといって、イザナに肩を抱かれたまま街を歩くことには抵抗がある。クガミはイザナを押し退けようとしたが 『ほら、あそこに人がいるぞ』  と、イザナに言われクガミは慌てて手を下ろした。見ると、クガミの前方からこちらに向かって人が歩いてくる。大きな荷物を背負ったその人物は恐らく行商人か何かなのだろう。擦れ違い様に見えた背負い鞄の中には、品物が今にも零れ落ちそうなほど沢山詰め込まれていた。  立ち止まったままのクガミと歩き去っていく行商人との距離がだいぶん開いたところで、イザナがクガミの耳元に唇を寄せる。 『この道を真っ直ぐ行けば、この街一番の大通りに出る。人通りが多いから、その中にヨキが紛れている可能性もあるだろう』  イザナの言うことは最もである。が、それをわざわざクガミの耳元で言う必要があったかと問われれば、答えはは“否”だ。そもそもイザナの声は現時点でクガミと巫女にしか聞こえないのだから、誰かに聞かれるといった心配をする方が間違っている。  クガミが一人で話す分には周囲の人間から不審がられるので、離れてくれと視線で訴えるもののイザナは知らん顔だ。鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌に、クガミの耳元で頼んでもいない道案内をしてくれた。

ともだちにシェアしよう!