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第5章 5
一瞬の浮遊感の後、気が付くとクガミはイザナの神域内の桜の老木の前に立っていた。
クガミは側に立っていたイザナに詰め寄ると、その胸倉を掴み上げた。
「勝手なことをするな!! 俺は、もう少し探すつもりでいたんだ!!」
「勝手なこと? それはこちらの台詞だ。焦っているのは分かるが、俺に八つ当たりしてどうにかなる問題でもあるまい。それが分かっているなら、今何をすべきか最善を考えろ」
不愉快だと云わんばかりのイザナのきつい視線と容赦なく浴びせられる正論に、クガミはぐ、と言葉を詰まらせた。今、すべきことはイザナに当たる事ではなく、体力を回復させるために眠ることだ。
イザナの胸倉を掴んでいた手から力が抜けた。
「分かったのなら、さっさと部屋に戻るぞ」
そう言って、イザナがクガミの手を解き、屋敷の方へと歩いていこうとする。が、不意に何かを思い出したのかクガミの方へと振り返った。
「そういえば、今日の分を忘れていたな」
何を忘れたのだろうか、と思っているクガミの視界一杯にイザナの整った顔立ちが映りこみ――そうして、唇に柔らかい感触が触れた。
すぐにこれがイザナの唇で、口付けをされているのだと気が付いたクガミは、身を捩り逃げようとするのだが、疲労困憊の身ではたいした抵抗も出来ない。大柄ではあるものの体格でイザナに負けているクガミは、突っぱねようとした手さえも易々と押さえ込まれてしまった。
「ん、んぅ……っ、ん!!」
容易く侵入を果たしたイザナの舌がぬるぬるとクガミの咥内を蹂躙する。
息苦しさを覚え、クガミは自身の舌でイザナの舌を押し出そうとするのだが、返ってその動きがイザナの興奮を煽ってしまったようだ。クガミを見るイザナの赤い瞳が情欲で濡れ光っていた。
まるで性行為を思わせるように、イザナの舌がクガミの咥内で抜き差しされる。二人分の唾液がいやらしく絡み合い、クガミの口角から地面に滴り落ちていた。
クチュクチュと卑猥な水音が二人の唇の間から聞え、クガミは耐え難いほどの羞恥心に襲われた。
一体、自分はこんな場所で何をしているのだ? 何故、ヨキ以外の者に口付けられてるいるのに拒めないでいるのだろうか?
(拒めないのは、疲れているせいだ……)
でなければ、イザナの口付けを受け入れるはずがない。
暫く口付けられながら、クガミは自身の中で理由を探していた。
漸くイザナが満足して唇を離した頃、クガミはイザナの腕に支えてもらいながら立っているのがやっとの状態だった。
唾液で濡れそぼった唇を乱暴に手の甲で拭いながら、クガミはイザナを睨み上げた。
「……何のつもりだ」
「今日の分の気を注ぎ込んだだけだ。これで、疲れも少しは癒えるはずだ」
ほんのつい先ほどまで瞳に情欲を滲ませていたはずのイザナが、けろりとした表情で言う。
自分だけが快楽の中に置き去りにされてしまったようで、クガミとしては面白くない。それにそもそも、気を送り込むだけならばなにもあんなに濃厚な口付けをする必要はなかったのではなかろうか。ふと、そんな疑問が湧くが、それをイザナにぶつけようものならからかわれるのが目に見えている。今は、それよりも早く休みたい。
クガミはムッとした表情で、イザナの身体を突っぱねた。と、まったくビクともしなかったイザナの身体がスッと離れる。先ほどまで力が入らなかった身体に幾分か力が戻ってきていた。
まだ本調子、とはいかないものの倦怠感からいくらか回復したクガミはイザナをその場に置いてさっさと屋敷へと歩いていく。と、その途中クガミは一度イザナの方を振り返った。
彼はまだ桜の木の下に立ち、クガミを見ていた。赤い瞳がふっと、細められる。
「なんだ? まだ、物足りなかったか?」
からかいが聞え、クガミはイザナをふざけるな、とばかりに睨み付けた。方法はどうであれ体力が回復したのはイザナのお蔭であるから礼の一つでも言おうか、といった気になっていたのに、からかわれたせいでそんな気も失せてしまった。
クガミはそのままイザナに背を向けると、今度こそは真っ直ぐに屋敷の中へと帰っていった。
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