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第6章 3
イザナがヨキの代わりになれるとは思っていない。いや、イザナ以外でもヨキの代わりになることは不可能だ。クガミの中では今までも、これからもヨキが一番で、それをヨキ本人に伝えることもなくクガミの恋心は死んでいくのだ。
不毛だ、と他人には言われるかもしれないが、クガミはそれでいいと思っている。伝えてしまった挙げ句に幼馴染という関係まで壊れてしまうよりは、伝えないまま恋心を死なせてしまった方がずっといい。
改めてヨキの存在の大きさを実感しつつ、ヨキがいまだに見付からない不安と焦りにクガミが唇を噛み締めていると、クシゲに握られたままだった手を数度振られ、クガミは何だ、と視線をクシゲの方へと向けた。
「守人って強いんでしょ? イザナはね、強い子が好きなんだよ」
邪気無く微笑みながらそう言われたが、クガミはイザナの好みを聞きたい訳ではない。それがどうした、と言いたいところではあるが、クシゲの笑みを見ていると素っ気無く返すのもどうかと思い、しかし結局上手い事も言えず「そうか」とだけ口にした。
勝手に好みを暴露されたイザナはというと、クシゲを鬼のような形相で睨みつつ仁王立ちしている。
「おい、言うな。それ以上喋ったらここから叩き出す――――」
イザナが言い終わるか終わらないかといった折に、クシゲがにこやかな表情で口を開いた。
「ちょっとやそっとのことじゃ死なないような子が好みなんだって。クガミは守人だから、普通の巫子よりも死ななさそうだよね」
正直、褒め言葉と受け取っていいものか迷う言葉にクガミは曖昧な表情を浮かべるしかない。クシゲには悪気がないことは理解できているが、釘を刺したそばから秘密を暴露されたイザナとしては堪ったものではないないだろう、とクガミが彼の今の心情を察したところで、仁王立ちのままであったイザナが握り拳をわなわなと震わせているのが目に入った。
「お前な!! 言うなと言っただろうが!!」
今日一番のイザナの怒声が屋敷中に聞こえるのではといった声量で響く。
怒鳴られたクシゲ本人はというと、煩そうに両手で耳を覆い塞いで、唇を尖らせている。
「えー、でも、いつまでもイザナが一人でいるの嫌なんだもん。特にヤエさんがいなくなってから、イザナはずっと悲しそうだったし」
暴露自体は褒められたことではないが、クシゲなりのイザナを思っての行動だったと分かるとイザナの怒りも幾分かは落ち着いたように見えた。ただ、それでも“ヤエ”という人物に関することは触れては欲しくなかった部分なのか
「余計な世話だ。ヤエの件はとっくに吹っ切れてる、そもそもあいつがいなくなってからもう何年経ったと思ってる」
と素っ気無い口調で答えると、イザナはつんと顔を背けてしまった。
クガミの目の前で、クシゲがうーん、と唸る。
「ヤエさんがいなくなってから、もう三十年くらい経つっけ?」
「違う、百年だ」
間髪入れずに返ってきたイザナの声に、クシゲがはえ、と奇妙な声を上げた。
「もうそんなに経ってたんだ」
しみじみと呟くクシゲの声を聞きながら、クガミは自分とイザナ達の寿命の長さの違いを今この時になって実感していた。イザナが人間のようにふるまうから忘れそうになっていた。が、彼はやはり紛れも無く神で、クガミとは違う存在なのだ。
ヨキも、いずれ神の番となった時、自分と違う存在になってしまうのだろうか。長い時間を神と過ごす内に、ヨキの中で自分も過去の存在へと変わり、やがて思い出せないほどに風化し消えていってしまうのだろうか。そう考えて、クガミはなんともいえない気持ちになる。何しろ、嫌な想像だ。クガミは、頭を振り暗い考えを追い出す。
と、クガミが思考に浸っている間に移動していたのか、クシゲがクガミの目の前から消えていることに気が付いた。
どこにいったのだろう、と探す手間無く、彼女の姿はイザナの直ぐ隣に見付かった。
「この話はもう仕舞いだ。それよりも、俺が頼んでいた件はどうなった?」
「勿論調べてきてあるよ。あのね――――」
話し出そうとするクシゲの口元をイザナの大きな掌が覆い、遮った。イザナの視線がちらりとクガミ自身に向けられる。恐らく、自分がいる場所では話せないような話なのだろう。それをクシゲもイザナの視線と行動で理解したらしく、分かったと云わんばかりに頷く姿が見えた。
漸くイザナの手がクシゲの口元から外され、クシゲがぷは、と息を吸う。
女性に対する扱い方が雑すぎやしないか、と思うのだが、ヨキ以外に興味のない自分も人のことを言えたものではないと思い直し、クガミは口を噤んだ。
「向こうで聞く。ほら、移動するぞ」
「あ、待ってよ!!」
イザナはそう言い残すと、さっさと部屋を出て行ってしまう。その後を、慌ててクシゲが小走りで追おうとして――――しかし、何かを思い出したのかクガミの方を振り返る。そうして、走り寄って来た。
ぎゅっと両手を握られて、又してもクシゲに詰め寄られクガミは上半身を仰け反らせた。クガミの反応などお構いなしのクシゲが、にっこりと微笑む。
「あのね、イザナをよろしくね。イザナ、一人で無理するから気にしてあげて欲しいの。それと――――」
元より近かった距離が、更に近くなる。まるで襲い掛かられているような格好だな、などと他人事のようにこの状況を見ながら、耳元で聞える意図的に絞られたクシゲの声を聞いていた。
そうして、言いたいことを言い終えたクシゲは、パッとクガミから離れ、もう一度にっこりと笑った。
「それじゃあ、またね!!」
手をぶんぶんと振った後、今度こそクシゲは部屋を去っていった。なんというか、嵐が去った後のような心地だ。クガミは脱力し、寝床にごろんと仰向けに寝転んだ。
『暗い所に一人にしないであげて』
クシゲがクガミに伝えた言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
一体、何故クシゲは自分にこのことを告げたのだろうか?
それに、言葉通りに受け取るならば、イザナは暗い場所が苦手、ということになる。確かに、夜になるとクガミはヨキの捜索を切り上げたがるが、それだけでイザナが暗闇が苦手だと決め付けるのは早計である気がした。
「俺は、イザナの番になるつもりはないと言ったのにな……」
こんなことを告げられても、クガミにはどうすることも出来ない。いずれ、自分はイザナをこの場に置いて出て行く人間なのだ。
(……薄情、だな)
クガミの口元に苦笑いが浮かぶ。こういった思考を巡らせる時点で絆されてしまっている。七日前の自分であればクシゲの言葉を聞いても、何も考えはしなかった。ただ、そうなのか、と受け止めるだけで、ここを出る時になれば、なんの躊躇いも感傷もなく、直ぐに出て行くことが出来た。
しかし、七日間も共に過ごせば多少なり情が湧く。べたべたとやたら触ってきたり、口付けされたりと被害にはあっているが、イザナの用意する食事や世話焼きな彼を見ていると、彼が悪い人物でないことは明らかであった。
(……こうも構われるのが、初めてだからだ。だから、感傷的になるんだ)
クガミはそう自身の心を分析し、一人溜息を吐くとそのまま目を瞑る。部屋の外では、クガミの気も知らぬ鳥がチチと呑気に囀っているのが聞えた。
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