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第6章 4

 クシゲとイザナの神域で出会ってから数時間後、クガミはハクオウに訪れていた。  時刻は丁度空が赤から濃紺へ変わり始めた頃で、大通りは家へ急ぐ人やこれから夜遊びに繰り出す人間達でごった返していた。  昼賑わいを見せていた茶屋の店先では、店員らしき女性が暖簾を仕舞っているのが見える。その隣では、本屋の店主が三軒先の金物屋の店主と意気揚々と飲み屋に向かおうとしている姿があった。  やわらかな風に乗って美味しそうな匂いがクガミの元まで運ばれてくる。きっと、食堂か、はたまた夕食を準備している民家から漂ってきているのだろう。  賑やかな声や、帰るのを嫌がりぐずる子供の泣き声。それを叱る母親の声。色々な声が溢れる大通りは今日も相変わらずだ。こんな場所に七日間も通えば、煩さにも耐性がつくと思っていたのだが、やはり何度体験してもこの騒々しさには慣れない。  クガミは、ふう、と息を吐いた。騒々しさもそうだが、ハクオウに着くまで慣れない考え事をしていたせいで頭が痛い。 『随分疲れているな』  耳元で聞えたイザナの声に、クガミはちらりと視線だけを声のした方向に向ける。元凶が何を言うか、と文句をぶつけたいところではあるが、勝手にクガミが悩み考えた挙げ句、疲れ果てているだけだ。本人に文句を言った所で、変な顔をされるのがおちだろう。 『今日は、ここらあたりで引き上げるか』  イザナがいつものように提案する。が、クガミは頭を横に振った。今日も何一つヨキに繋がる痕跡を掴めていない。 (今日こそは、何か一つでもいいから……)  歯噛みしそうになるのを堪え、クガミは歓楽街へと向かう路地の一つへと足を進めていく。ヨキを探し七日間もハクオウの街を歩き回れば街の構造にも詳しくなる。夜の歓楽街を歩いたことはまだ無いが、ああいった場所には人が多く出入りする分、ヨキに繋がる何かが得られる可能性も高いはずだ。  と、五歩ほど進んだところで背後から強い力で腕を引かれ、クガミは立ち止まった。背後を振り返ると、やはりそこにはイザナが立っていた。何をするんだ、と睨みつけるが、イザナが怯んだ様子はなく、『帰るぞ』とだけ繰り返した。  いつもはこの後、粘るクガミをイザナが御神ノ道の入り口へ放り込むのだが―――― (……どう、したんだ?)  クガミは、首を傾げた。何時まで経ってもイザナが御神ノ道を開こうとしないのだ。  薄暗い中よく見ると、イザナの表情が何時になく強張っているように見える。心なしか、クガミの腕を掴む手が震えているような気もした。  いつもと違うイザナの様子に、クガミは戸惑いを覚えた。 「……大丈夫か?」 『……ああ。……それよりも、早く戻るぞ』  クガミに声を掛けられたイザナが辺りに誰もいないことを確認してから、漸く御神ノ道の入り口を開く。そうして、ぽっかりと地面に開いた穴に向かってクガミの背を押した。が、やはりその力はいつもと比べると弱い。  クガミは背を押すイザナの手を振り払い、御神ノ道の入り口から距離を取った。 「アンタだけ先に戻ればいい。俺は歓楽街の方を見てくる」 『駄目だ。あんな場所にお前を行かせるわけにはいかない』  歓楽街へ向かおうとするクガミを諦めることなく再び引き留めるイザナに、クガミは苛立ちを募らせる。自分はイザナの所有物でも何でもないのに、何故こうも行動を制限されなければならないのか。  例えば、自分がか弱き女性ならば、イザナが心配するのも仕方が無いかもしれない。が、自分は何処からどう見ても男で、それも守人を生業とするくらいだから腕っ節には自信がある。心配される必要など全く無いというのに。 「自分の身は自分で守れる。アンタに心配してもらう必要は無い」  苛立ちを滲ませ吐き捨てる。感情を爆発させまいと思っていたが、七日分の鬱憤が溜まっていてクガミの我慢も限界だった。 『そうは言うが、お前護身用の武器など持ってないだろう。ハクオウの歓楽街には色々な人間が集まってくる。武器を持った危ない者もいるかもしれないんだぞ』  イザナの言葉にクガミは、それならば取り上げたままになっている剣を返してくれ、と言いたい気分だった。一度実際に返却を求めたのだが、『お前が俺の蔦達を切ったせいで、剣を見ると蔦達の機嫌がすこぶる悪い。だから返せん』と拒否されてしまった。  神域にいる間は差し迫って剣の必要性を感じていなかったから、それ以来返却の催促をしないまま結局今日まで来てしまった。まあ、危険なことには違いないが、剣が無ければ無いで構わない。素手で武器を持った人間相手に立ち回る術もクガミは心得ているからだ。 「そういった人間には近付かないから大丈夫だ。それに、ある程度の対処法は身につけてる。俺はお前の巫女でもなんでもないんだ。そんなに過保護になる必要は無い」  これだけ言えば流石にイザナも引き下がるか、と思っていたのだが、イザナは渋い表情で首を横に振った。 『駄目だ。お前に何かあったら……』  もはや聞き飽きたその言葉に、クガミの中でぷつりと何かが切れた。 「そういうのが鬱陶しいんだ!! 俺は男だ。そういう感情は、アンタの巫女になりたいと望む女性に向けろ!!」  怒声が薄暗い路地に響き渡る。姿の見えないイザナに向かって話しかけている様子を見られたくないがために声量を抑えてきたが、もう誰に聞かれようが知ったことか。

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