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第6章 5

『俺が巫子にと望んでいるのはお前だけだ。他などいらん』  宥めすかすような声音でイザナが告げる。が、今のクガミにはその言葉は火に油を注ぐようなものだった。手が勝手に握り拳を作り、噛み締めた歯がギリッと音を立てた。 「……アンタの気持ちを押し付けられるのはうんざりなんだ!! っ、いい加減に諦めろ。それがアンタのためにもなるはずだ!!」  爆発したように喚き、近付こうとしたイザナを手を振り回すことで牽制する。  クガミがイザナの想いに応えることはないとイザナも理解しているだろうに、どうしてここまで自分に執着するのだろうか? (いっそ、酷い奴だと俺のことを罵って諦めてくれればいいのにな)  応えられない想いを向けられ続けることがこうも辛いものだとは、クガミは思ってもいなかった。七日間共にいてイザナの人間性を知ってしまっているからこそ、罪悪感がクガミの胸を刺す。 『俺の、ためだと? お前こそ、俺の何が分かる』  押し殺したようなイザナの声が聞えた。クガミの先ほどの言葉はイザナの中の地雷を踏んでしまったらしく、薄暗い中イザナの瞳だけが憤怒の色を宿しぎらぎらと輝いていた。  じり、とイザナに近付かれ、クガミは後退する。が、たいして広くも無い路地だ。直ぐにクガミの背がトンと建物の外壁にぶつかった。 「っ、ん――――!?」  肩を思い切り掴まれ壁に押し付けらたかと思うと、そのまま噛み付くように口付けられ、クガミは狼狽した。先ほどまでの何処か弱弱しかったイザナとは明らかに違う。荒々しくイザナの唇がクガミの唇を覆い、痛みを感じるほどの強さで噛り付かれる。  ぐ、と脚の間にイザナの身体が割って入り、太腿をつかって陽物を下から押し上げられた。 「う、ぁっ!!」  そこを潰されてしまうのではないかといった恐怖に、クガミの表情が引き攣る。が、クガミの不安とは裏腹にイザナの脚は繊細な動きでクガミを翻弄した。絶妙な力加減で前後上下に擦りつけられ、クガミの体は心を裏切り反応し始めてしまう。 (まずい……っ)  こんな誰が来るとも分からない場所でしていいことではない。クガミは閉ざしたままであった唇を開き、わざと咥内にイザナを迎え入れ――――そうして、噛み付いた。 『ぅ、っ!?』  口元を押さえたまま、飛び退くようにしてイザナが距離を取る。一応手加減はしたつもりだが、咥内に残る血の味から察するにイザナの舌も無事では無いはずだ。  クガミは唾液で濡れた口元を拭いながら、イザナを見た。クガミを見る彼の瞳には、失望や怒りといった感情がごちゃ混ぜになって浮かんでいるような気がした。 『……っ、勝手にしろ!!』  血交じりの唾液を地面に吐き捨てながら、イザナが荒々しい声で言う。そうして彼は肩を怒らせたまま、大通りの方へと消えてしまった。特徴のある赤い頭が、あっという間に遠くなり、人ごみに飲まれ消えてしまうのを、クガミは壁に背を持たれ掛けさせたままぼんやりと眺めていた。  イザナの姿が完全に見えなくなってから暫くしても、クガミは路地から動けないままでいた。というのもイザナによって灯されてしまった身体の熱を静める必要があったからなのだが、その間地面に座り込んで考えることといえば、イザナが去り際にクガミに見せた表情に他ならなかった。  勝手に口付けられた挙げ句に、こんな場所で危うく恥態を晒しかけそうになって傷付いたのはイザナではなくクガミの方であるのに、あの時のイザナはクガミ以上に傷付いたような表情を浮かべていた。 「……怒鳴りたいのは、こっちの方だ……くそっ」  愚痴を溢しながらクガミは立ち上がり、足元にあった石ころを苛立ち紛れに蹴る。適当に蹴った石ころは、二、三度跳ね、勢いよく大通りの方へと転がっていった。  と、ふと顔を上げた瞬間、サッと視界を過ぎったその顔に、クガミは弾かれたように駆け出していた。 「ヨキ!! 待ってくれ、ヨキ!!」  なりふり構わず大声で名を呼びながら人ごみを掻き分け、時には人にぶつかり、それでも足を止めることなくひた走る。 (あれは絶対ヨキだった!!)  少し距離はあったが、自分がヨキの顔を見間違えるはずが無い。それに、数十歩前にひょこひょこと移動する銀色の頭が見える。歩幅や移動速度を考えればクガミの方に軍配が上がるはずなのに、人ごみが邪魔して中々ヨキとの距離が縮まらない。  そうこうしている内に、ヨキは路地の一つに入ってしまう。ハクオウの大通りには百件以上もの店が軒を連ねており、店と店の間には大小様々、それこそ道幅も距離もてんでばらばらな路地が数百、或いは数千とある。しかもそれがあちこちに繋がっているので、その様子はさながら迷路のようで、たかだか七日歩き回っただけのクガミでは全てを把握することは難しい。  ヨキが入っていった路地も、クガミが把握しきれていない路地の内の一つだった。人一人がやっと通ることが出来る狭さで、薄暗い路地だった。そこをヨキが奥に向かって器用に駆けていく。  クガミは追い掛ける。が、やはり身体の大きさが仇となって進むのがやっとでヨキのようには軽やかに走ることが出来ない。それでもなんとか見失わないように後を追い、路地を奥へ、奥へと進んでいく。左に、右に、くねくねと曲がり、更に奥へと進んでいく。  どうやらこの路地は一本道のようで、さきほどから合流するような道が全く見当たらない。  一体、この先は何処に行き着くのだろう?  いつもはイザナが案内をしてくれるから、迷うことなどなかったし、こういった道に足を踏み入れることも無かった。今こうやってヨキの後姿だけを頼りに薄暗い路地を進んでいると、あれはあれで口煩かったが心強い存在だったのだなと実感した。  しかし、こうも代わり映えのしない一本道を歩いていると、まるで獣か何かに化かされているような気分だ。  クガミがそんなことを思い、一瞬。ほんの一瞬ヨキから視線を外した時だ。 「え……?」  目の前を見ると、さっきまで先を歩いていたはずのヨキの姿が無い。クガミは目を瞬かせた。一本道で、どこにも隠れる場所などないのに、そんな場所で人一人が急に消えるはずが無い。きっと、自分が後ろから追ってきていることに気がつき、更に走る速度を上げ先に進んでしまっただけなのだろう。  薄暗く視界が悪い中、こうも早く走れるものだろうか、といった疑問が浮かんだが今は無視することにして、クガミは先を急ぐ。そうしてどれくらい走った頃だろうか。薄暗い一本道が唐突に終わり、急に視界が開けたところに辿り着き、クガミは足を止めた。

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