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第6章 6

「ここ、は……」  クガミは辺りを見渡した。細く頼り無い三日月の月明かりの中、ぽっかりと開けた空間の中央に、朱塗りの社のようなものがぽつんと立っている。元は立派であったろうその建物は、長年手入れがされていないのか、屋根は雨風で朽ち、今にも崩れそうな体をしていた。 (ヨキは、もしかするとこの中に……?)  まさか、とは思ったが、クガミが見た限りここ以外隠れられそうな場所はない。  旅に出るまで野宿すらしたことがなかった彼が、こんないつ朽ち果てるかもわからないような場所にいるとは思えないが、取り敢えず確かめるしかないだろう。  クガミは社へと近付き、そうして今にも外れそうな扉に手を掛け――――開いた。  途端、埃っぽい匂いがクガミの鼻腔に雪崩れ込み、クガミは僅かに顔を顰める。朽ちた屋根の穴から差し込む月明かりに、ぼんやりと室内の様子が浮かび上がった。  十畳ほどの広さの板張り間に、何かを奉っていたのであろう木の台が置かれ、床には紙垂の残骸のようなものが屋根材の破片と共に僅かに散らばっていた。  と、薄暗い室内に目が慣れてきたクガミは部屋の隅でうずくまっている人物を見つけ、駆け寄った。 「イザナ!!」  燃えるような赤の髪が床に広がり、まるで彼の身体から血が流れ出しているかのような光景に恐ろしさを覚えたクガミは、喧嘩別れしたことも忘れイザナの名を呼びながら彼の身体を揺さぶる。 「おい、しっかりしろ!! イザナ!!」  肩や頬を叩き、反応があるかどうかをみる。が、イザナはクガミの腕の中でぐったりとしたままで、目を開ける気配がない。  口元に頬を寄せ、呼吸があるかどうかを確かめようとして、クガミは動きを止めた。人間の救命措置が神にも当て嵌まるかどうか分からない。七日間も共にいたのに、クガミはイザナや神に関することを殆ど知らないのだ。   イザナを抱き起こそうと腕に抱いたままの格好で固まっていると、不意に背後で床板を踏む音がした。 「っ、誰だ!!」  バッ、とクガミが弾かれたように振り返る。するとそこには、社唯一の出入り口を塞ぐように小柄な影が立っていた。  月明かりにぼんやりと照らされた銀色の長い髪。雪を思わせる真白い肌に、銀の瞳はクガミがここ数日間必死に探していた人物に他ならなかった。 「ヨキ……」  名を呼ばれたヨキが、まったく、とふてくされたような声を出す。 「誰だ、って酷いよね。数日見ない内に僕の顔、忘れちゃったのかと思ったじゃん」  皮肉った物言いは間違いなくヨキのものだ。 「そんなはずないだろ。俺がどれだけ必死に探したと思って――――」 「あー、はいはい。探してくれてありがとうございました!! で? その神様、誰?」  クガミの小言が始まりそうになるのを察したヨキが、クガミの声を遮るように尋ねてきた。 「彼は、……その、イザナといって、櫻ノ国の最高神、だ」 「ふーん。ぐったりしてるけど、大丈夫なの?」  ヨキが近寄ってきて、クガミの腕に抱かれたままのイザナの顔を覗き込む。  ヨキ同様にクガミもイザナの顔に視線を落とした。  物言わず瞳を閉じたまま微動だにしない彼は、もとから肌が白く体温が冷たいのも相まって、まるで精巧な作りの人形か綺麗な死体のようで、クガミの背を寒いものが這い上がる。 (まさか……)  クガミの頭に不吉な想像が過ぎる。が、クガミは直ぐにその想像を打ち消した。クガミが知るイザナは、殺しても死ななさそうな奴だった。何が原因でイザナが目覚めないのか分からないが、きっとその原因さえ取り除けばけろりとした表情で目覚めるに違いない。  とはいえ、その原因もクガミには見当すらつかないのだが―――― 「分からない。って、そうだ……ヨキ、お前どうにかできないか?」  巫女であるヨキならば自分よりも神について詳しいはずだ。クガミは期待の籠った視線でヨキを見る。  ヨキは急に話を振られたことに驚き目を丸くしていたが、ややあって「どうにかって……、まあ、いいけど」と肩を竦めつつも了承してくれた。  ヨキがイザナの傍らに座り、イザナの額に手を翳す様子をクガミは固唾を呑んで見守った。  数十秒もしない内にヨキが手を引っ込める。恐らく、何か分かったのだろう。気が急いたクガミはヨキが何かを言う前に、どうだったんだ、と小さな声で話し掛けた。 「うーん、見た所外傷は無いけど……穢れを随分受けてるみたいだね」 「そういうのも分かるのか?」  クガミは初めて見るヨキの巫子らしい言動に、素直に驚いていた。というのも、巫子が普段住まう月宮には巫子以外の人間の出入りが基本禁じられている。そのため、クガミは巫子として祈祷や占いといった仕事をしているヨキの姿を目にしたことがなかったのだ。 「あのねぇ、クガミは僕をなんだと思ってるわけ?」  ヨキが呆れた声を出す。冷たい視線に、クガミは失言だったか、と内心反省しつつ口を開いた。 「何って、……巫子だが」 「ああ、よかった。それすらも分からなかったら、診療所に君を放り込むつもりだったよ」  辛辣なヨキの言葉に、クガミの口元に苦笑いが浮かぶ。冗談であると理解しているが、ヨキならば本当にやりかねないところが恐ろしい。 「それで、イザナは無事なのか?」  改めてイザナの容態をヨキに訊く。と、今度は何故かヨキが物珍しげな表情で自分を見ていた。 「……クガミがそこまで心配するのって珍しいよね。何? 惚れちゃった?」  にやにやとした笑みを浮かべたヨキが顔を寄せ、覗き込んでくる。クガミはヨキの視線から逃れるように顔を背けた。 「っ、違う。ただ、恩があるから……それだけだ」  否定の言葉は語尾に行けば行くほど小さくなった。しかし、ヨキがからかうのも無理は無いのかもしれない。思い返してみると、こうやってヨキや義父母以外を心配するのはクガミにとっても初めてのことだ。  クガミからしてみれば、ただの恩返しで。世話になった上、七日間の間に不本意だが少しばかり情が移ってしまったからこうやって心配しているだけだ。  特別な感情などそこには一切存在しない、はずなのに。何故かイザナの死人のように血の気の失せた顔を見ていると、胸の中がざわざわと落ち着かない。 (一体、俺はどうしたんだ……?)  クガミ自身不可解な気持ちを持て余していると、ヨキが含み笑いを浮かべたままスッとクガミから離れた。 「ま、そういうことにしておいてあげる」  追及されなかったことに安堵しつつ、クガミはイザナの額に掛かった髪を払う。相変わらずイザナの瞳は閉ざされていて、ぴくりとも動かない。  穢れを受けている、とヨキは言ったが一体何時からだったのだろうか。そういえば、路地で唐突に口付けてきた時には既に様子がおかしかった。 (もしかして、あの時からか……?)  だとしたら、どうして自分は気がついてやれなかったのだろう。あの時、イザナの不調に気が付き、素直にイザナを気遣うことが出来ていたなら、彼が倒れることはなかったのではなかろうか。  クガミが後悔に苛まれていると、クガミの隣でヨキが動く気配がした。  再びイザナの額に手を当てたヨキが、ゆっくりと瞳を閉じ、祝詞のようなものを高らかに歌い上げる。澄んだ声音が部屋に響き、淀んでいた空気が清浄なものへと変わっていくのをクガミも感じていた。 「っと、これで大丈夫だと思うけど……この場所自体に穢れが発生してるから、早く離れた方がいいかも」  瞳を開けたヨキがそう言って手をパンッと叩き、立ち上がった。  青白かったイザナの顔に少しばかり生気が戻ってきたようにも見え、クガミは胸を撫で下ろす。そうして、イザナを担ぎ上げた。自分よりも体格がいいイザナのことだから重いだろうと予想していたのだが、意外にもその体重は苦もなく持ち上げられるほど軽かった。これならば、痛んだ床板が抜ける心配もないだろう。  クガミはイザナを荷物のように肩に担いだまま、ヨキと連れ立って社を出た。

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