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第6章 8
微かに風が吹き、ヨキの銀色の髪を揺らす。月明かりを背後に虚ろな表情を浮かべたヨキが、クガミには別人のようにも見えた。
「君が、僕に無いものを沢山持ってるから」
クガミはすかさずヨキの言葉を否定した。
「俺は、何も持ってない!!」
実の親もおらず、義理の家族以外に理解者もいない。義理の家族から向けられる愛情さえも自分には過ぎたるもののような気がして遠ざけた。唯一欲しいと願った人間は、たとえ天地が引っくり返ったとしても手に入らない人間で、自分はただ気持ちを殺し側にいることを選んだ。
そんな自分が、一体何を持っているというのだ。
しかし、ヨキは納得しない。首を横に振り、君はそう思ってるかもしれないけど、と続けた。
「僕が欲しかったものを、君は全部持ってる。家族の愛情だとか、自分一人で生きていく術と自由とか。それに、巫子の素質。神からの寵愛でさえも。勿論、君に悪気があったわけじゃ無い事は分かってる。父様も母様も僕に同じ様に優しくしてくれたし……でも、僕が巫子に選ばれて月宮に暮らすようになってからは、その愛情が君に傾いた。それが気の毒で、君が家を出たのも知ってる。父様と母様のことは仕方が無いと思ってるんだ。一番妬ましいのは、……僕が色々と我慢して得た巫子としての素質を、君は生まれながらにして持ってたってことかな。それと……僕が辛い目にあってる時、君はその神様と仲良くしてたんでしょ?」
「違う!!」
クガミは、叫んでいた。素質も寵愛も、自分が欲しくて得たものではない。ヨキはイザナと自分との仲を邪推しているようだが、あれはヨキを探すために仕方が無くしていたことだ。
が、クガミがどれだけ否定したところでヨキが信じてくれないのならばどうしようもない。
「ほんと、君は良い人過ぎて……嫌になる。いっそ君が嫌な奴だったら、なんの躊躇いも無くお別れできたのにさ」
そう吐き出すヨキの顔が苦しげに歪んだ。
(……どうしてヨキが苦しんでることに気付いてやれなかったんだ)
誰よりも長く側にいたのに、気付けないどころか側にいることで彼を苦しめていたのかもしれないと思うと、自身の鈍感さ加減に腹が立つ。自分の気持ちを押し殺すことばかりに目がいって、大切なことを見失っていた。
「俺は、……お前が望むのならば、お前が神の番になった後、お前の前から姿を消そう。だから、あと少しだけ我慢してほしい。頼む、戻ってきてくれ」
クガミはヨキに向かって懇願しつつ手を伸ばす。今はただ、こう言うしかなかった。
しかし、ヨキがクガミの手を取ることはなかった。ただ、力なく首を横に振り、無理だよ、と呟く。
「ごめん。僕はあの人を一人には出来ない」
「あの人? 一体、誰――――っ!?」
問い詰めようとクガミが一歩足を進めた途端、急にざわりと背筋を冷たいものが駆け抜け、クガミは足を止めた。そうして、その時初めてヨキの背後に誰かが立っていることに気がつく。
闇をそのまま溶かし込んだような短い髪。帯まで黒一色の着流しから覗く肌が褐色であることを除けば、背格好や体格はイザナとそっくりな男だった。
一体、彼はいつからヨキのそばに立っていたのだろうか?
少なくとも、社の中から出てきた時にはいなかったことは確かだが、クガミはヨキを見ていたのだから彼の背後に人が立っていることは直ぐにでも気がつくはずである。
(……一瞬で現れた、ということか)
そうであれば、ヨキの背後に立つ人物は“人間”ではないということになる。
警戒を強めるクガミを赤く冷たい瞳で一瞥した男が、ヨキの肩を親しげに抱く。まるでクガミの気持ちが分かった上で見せ付けているかのような行動に、クガミは男を射殺さんばかりに睨み付けた。
「巫子。遊びすぎだ」
クガミの視線に気がついているだろう男は、クガミを無視してヨキへと話しかけた。
「ウツヒ。別に、遊んでるわけじゃないんだけど」
ヨキは拗ねたように頬を膨らませ、ウツヒと呼んだ男へ擦り寄る。
ウツヒが人間ではなく、神であるとするならばヨキと彼の関係を自分は喜んでやらなければならないのに、見るからに親しげなヨキとウツヒの様子に、クガミの胸中を嫉妬の嵐が吹き荒れる。
「そうか? 子猫同士がじゃれているようにしか見えなかったが?」
「子猫って……僕はともかく、クガミが子猫は無理があるよ。貴方の冗談ってよくわからない」
ヨキが肩を竦め、苦笑いを浮かべる。呆れ交じりのその声すら甘ったるく聞えてしまうのは、クガミの気のせいだろうか?
見たくないのに、視線がウツヒとヨキに向いてしまう。クガミは先ほどまでヨキに刃を向けられていたことも忘れ、ウツヒを睨みつけていた。
(……こいつ、どこかで見たことが……)
と、クガミが何かに気がついた時だった。不意に、ウツヒの毒々しいまでに赤い瞳がクガミを捉えたのだ。
又してもぞわ、とクガミの背中を悪寒が走り抜ける。感覚的なものだが、ウツヒからは嫌な気配が漂っている気がして、クガミは益々警戒を強める。
「お前がイザナの巫子か?」
ウツヒの抑揚のない冷たい声がそう尋ねた。
それに対してクガミは違う、と素っ気無く返す。
「アンタ、ヨキの何なんだ……」
敵対心を露にしたクガミの問いかけに、ウツヒがくく、と喉を鳴らして笑う。暫く肩を揺らし笑っていたウツヒが、ふう、と息をつき、口を開いた。
「ヨキは私の番だ。お前はヨキの守人だったそうだな? ヨキはもう私の番となったから、お前は用済みだ。ご苦労だったな」
一方的に告げられたその言葉に、クガミは反論しようとした――――が、それよりも早くウツヒが動いた。徐に持ち上げられたウツヒの右掌に、暗い光が集う。
本能的にまずいと思った時にはもう遅く、クガミの全身を強い衝撃が襲った。
「う、ぁ……ぐっ!?」
立っていることもままならず、クガミは後方に吹き飛ばされ地面に転がる。
ウツヒは手を翳しただけであるというのに、剣の峰で打ちつけられたような痛みがクガミの全身に走り、地面に転がったままクガミは身体をくの字に折り曲げ苦悶の呻きを上げながらのたうった。
痛みのせいで脂汗が滲み、目の奥がちかちかと赤く明滅する。イザナの蔦に拘束された時でさえ差し迫った生命の危機は感じなかったというのに、今クガミの頭を占めるのは“死”の一文字だった。
この男はまずい。逃げなければ。そう身体が、頭が警鐘を鳴らしている。
クガミは痛みの残る身体に鞭打って立ち上がった。
クガミの視界には横たわったままのイザナと、自分の方を見ようとしないヨキ、それと侮蔑の籠った瞳でクガミを見下ろすウツヒがいる。
正直なところ、クガミにはどうすればよいのか全く思いつかない。例え、この場に武器があったとしてもウツヒに勝てる気が全くしないのだ。
しかし、自分がここから逃げてしまってはイザナやヨキはどうなってしまうのだろう。
自分の意思でウツヒの側にいるヨキはともかく、イザナは無事で済むとは思えない。普段のイザナであれば放っておいたが、目を覚まさないままの彼をこの場に置いていく訳にはいかなかった。
身体の震えを無視してクガミは拳を握り、ウツヒと対峙する。生身でどうこう出来るとは思ってもいない。勝てない相手であることは理解していたが、だからといって簡単に屈することだけはしたくなかった。
と、ウツヒの表情に怒りの色が浮かんだ。
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