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第6章 9
「……瞳や髪、肌の色は彼女と同じなのに、顔はヤエそっくりだ。本当に、忌々しい」
吐き捨てるように言われたが、ヤエと自分は別人だ。しかも、クガミ自身ヤエを見たことはなく、人伝に似ていると聞いただけの存在に重ねられた上挙げ句に、一方的に八つ当たりされ、腹を立てないでいられる方がおかしい。
頭に血が上ったクガミは、つい先ほどまでウツヒに恐怖していたことすら忘れ、苛立った声でウツヒに向かって言い返す。
「俺は、クガミだ。そのヤエ、といった人物がアンタに何をしたのかは知らないが、俺に当たるのはお門違いだ」
「お前がヤエでないことは知ってる。ヤエは百年前にイザナに力を譲って消滅した。まあ、消滅する切っ掛けを作ったのは私だが」
逆上するか、はたまた無視をするかのどちらかの反応を予想していたのだが、ウツヒはそのどちらの反応も見せずただくく、と喉を鳴らし笑っていた。
(消滅……ってことは死んだってことだろう? ……何故、笑っているんだ?)
クガミには、ウツヒの感性が理解できない。そうあるべき、とは言い切ることはできないが普通は人の死を話す時、笑ったりなどしないはずだ。ウツヒの言動や彼を取り巻く淀んだ雰囲気も相まって、薄気味の悪さを感じ、クガミは顔を顰めた。
「……アンタ、何者だ……?」
クガミの問いかけに、ウツヒは、ハハッと殊更大きな声を上げて笑った。
「何者、か? そうだな――――この顔を見て薄々気がついているんじゃないか?」
クガミは目を凝らし、ウツヒの顔を見る。そうして、数秒も経たない内に気がついた。
「……イザナと、同じ顔……?」
髪の色や長さ、肌の色こそ違えど、その整った顔立ちはイザナそっくりで、まるで別の性格の彼がもう一人いるかのようだ。
(どうりで、見覚えがあると思ったわけだ……)
ウツヒを初めて見た時に感じたものが既視感であったと納得がいったところで、クガミの中に新たな疑問が生まれる。
(……ということは、こいつはイザナの親類か何かか?)
神に親、子供といった血縁や親類が存在するのかどうかは分からないが、こうも似ているのだ。単なる偶然とは思えない。であれば、兄弟か。従兄弟か。と考えを巡らせていると、ウツヒが不機嫌そうに話し始めた。
「不本意だが、あれは私の兄のような存在だ。もっとも、私は認めていないがな」
なるほど、確かに兄弟であれば似ている理由としてしっくりくる。しかし、ウツヒの口調やイザナに向ける視線の冷たさから察するに関係は良好とは言い難いようだ。
「それで? イザナの弟であるアンタが何の用だ?」
クガミは気を張り詰めさせウツヒの動向を窺う。ウツヒがこのまま穏便に用事を済ませ帰るとは思えなかったからだ。
「兄弟水入らずで語らいを、と思ったが気が変わった――――」
ウツヒの言葉が途切れ、く、と彼の唇の両端が弓なりに上に曲がる。顔は笑みを湛えているのに、瞳だけが憎悪に滾り不気味さが増すのを見て、クガミの中の予想が確信へ変わった。
弾かれたようにイザナの元へと走り寄るクガミの視界の端に、ウツヒが腕を持ち上げる姿が映りこむ。
「このまま巫子の目の前で嬲り殺しにしてやろう」
ウツヒがそう言うのと同時に、イザナに覆いかぶさるようにして庇ったクガミを衝撃を襲った。
「ぐ、ぅ……ッ!!」
目に見えない刃のようなものが背に無数の傷跡をつけていく痛みに、クガミは歯を食いしばり耐える。
ウツヒは言葉通り嬲るつもりなのかクガミたちを襲う力の一つ一つは威力も弱く、それによってつけられる傷も深くはないが、数を負うとなれば話は別だ。傷のついた場所を抉られ、噛み締めた唇から苦悶の呻きが零れるほどの痛みが何度もクガミを襲う。
しかし、クガミはイザナの上から決して退くことはしなかった。
やがて、数秒ほど経った頃、ウツヒが一旦攻撃の手を止めた。
クガミは荒い息を溢しながらイザナの上に倒れこむ。致命傷ではないが、それでもこのまま血が流れ続けると危ない。
ざり、とウツヒの草履が地面を踏む音がした。
クガミは痛みに顔を顰めたまま視線だけを持ち上げ、ウツヒの方を見た。
「巫子ではない、と否定していたのにイザナを庇うのか。不思議な奴だ」
互いの顔の細部まではっきりと見ることが出来る位置にまで距離を詰めたウツヒが、クガミを見下ろす。不可解といった感情がウツヒの顔にはありありと浮かんでいた。
「……巫子、じゃない……。勝手に、身体が……ッく……動いた、だけだ……」
クガミはそう絶え絶えに言った。自分でも、何故イザナを庇ったのか分からない。ただ、気がついたら身体が勝手に動いていたのだ。
「順番は狂うが、まあいいだろう。お前から逝くといい」
ウツヒが冷たく言い放ち、掌をクガミ達へと翳す。
クガミがどうにか動こうとするが、身体に蓄積された痛みが邪魔をして立ち上がることすらままならない。せめて最期にウツヒに一撃でいいから反撃をしたかったのだが、拳すら握れないようではそれも無理だ。
「……ッ、くそ……」
クガミが歯噛みをし、死を覚悟した時だった。不意に、それまで微動だにしていなかったイザナの身体がぴくりと動いたのだ。
と、ウツヒからクガミたちを守るように何もない場所から赤い炎の柱が勢いよく立ち昇った。
ウツヒがチッ、と舌打ちをしながら後ろへ飛び退く。
「……まだ、炎の神としての力を使えたのか」
忌々しげに呟くウツヒの声はクガミの耳には届いていなかった。何故なら、目を覚ましたイザナにクガミは優しく抱きすくめられていたからだ。一瞬の内に体位を入れ替えられ、気がつくとイザナの腕の中におさまってしまっていて、クガミ自身も何が起きたのか分からなかった。
ただ、やたらと近い位置にイザナの顔があり、赤い瞳が自分を見て心配そうに揺れている。
「すまない。俺のせいでお前には痛い思いをさせた」
傷の走った頬をイザナの指が優しく撫でる。
指先から伝わってくる自分とは違う冷たい体温に今度は安堵しながら、クガミは体の力を抜いた。認めるのは癪だが、イザナがいれば大丈夫だといった安心感があった。
「別、に。アンタのため、じゃない……体が、勝手に、動いたんだ……」
口を開くのすら億劫だが、これだけ勘違いしないうちに言っておかねばならないとクガミは途切れ途切れに否定した。
イザナがフッ、と小さく笑み、クガミの頭を撫でた。
「分かっている。だが、お前に助けられたのもまた事実だ。だから、ありがとう」
クガミは、口を開いたものの結局何も言わずに閉ざし、イザナに体重を預けた。こうも素直に礼を言われると調子が狂う。
照れ半分、疲れ半分で下を向くクガミの頭をまたしてもイザナが優しく撫で、そうして、傷に響かぬようにクガミの身体をそっとうつ伏せの状態で地面に下ろす。
クガミは、地面に横たわりながら、血が大分流れたせいでぼんやりする意識の中イザナ達を見ていた。
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