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第6章 10

 イザナがウツヒからクガミを守るように立ちはだかる。 「ウツヒ、お前が俺だけを狙うのならば俺も何も言うつもりはなかった。だが、こいつに手を出したとなれば話は別だ」  クガミからイザナの表情は見えないが、イザナの声には隠しようのない怒気が滲み、イザナの怒りに呼応するようにイザナの左右に激しく燃える炎の柱が現れた。  イザナの髪や瞳と同じ色の炎が、闇を煌々と照らし、淀んだ空気ごと喰らい尽くしその身を大きくしていく。  丸々人一人余裕で飲み込んでしまえそうなほどに成長した炎が風で揺れる様子は、赤い大蛇が身をくねらせる姿を彷彿とさせた。 「ふん、お前に何ができるというのだ。新月が近い故にヨイハヤの加護は満足に得られん。その上、ここは私の領域内だ。立っているのもやっとの癖に、よく口が回る」  爆ぜる火の粉を鬱陶しそうに打ち払いながらウツヒがイザナを挑発する。イザナの背越しみ見えたウツヒの顔には、自身の優位性を信じて疑わない自信に満ちた笑みが浮かべられていた。 (大丈夫、なのか……?)  クガミの中で不安が生まれる。ほんの数秒前まで、イザナは目を瞑ったままぐったりとしていた。ウツヒの言う通り、立っているのがやっとの状態であってもおかしくはない。  まさか、この炎ははったりで、今にも倒れそうであるのを無理して自分を守ってくれているのではなかろうか。  クガミはそういった心配を抱き始めた。が、それは直ぐにイザナによって杞憂へと変わる。 「立っているのがやっとかどうか、その身で試してみるといい」  イザナの足が軽やかに一歩進み出る。まるで舞を踊るかのように優雅に腕が動き、熱気にあおられた桃染めの白い着流しの袂がはたはたと揺らめいた。  それを合図に、赤き大蛇が爆ぜ、無数の火の玉となってウツヒへ降り注いだ。 「ッ!?」  イザナの力がはったりなどではないことを瞬時に理解したウツヒが、クガミに傷を負わせた見えない力で火の玉をなぎ払う。しかし、なぎ払ったそばから新たな火の玉がウツヒに襲い掛かり、払いきれなかった炎がウツヒの髪や肌を焦がしていく。  やがて、炎の雨が止んだ頃、ウツヒはぼろぼろの状態で地面に片膝をついていた。褐色の肌はあちこちが焼け爛れ、見ているクガミが痛々しく感じてしまうほど酷い有様だ。 「ウツヒ!!」  悲痛な声を上げてヨキが火傷だらけのウツヒへ近付こうとする。が、ウツヒは「寄るな!!」と怒号にも似た声を上げヨキを拒絶した。  ウツヒの声に、ヨキがびくりと肩を跳ねさせ、泣き出しそうな表情を浮かべたまま足を止める。 (ヨキ……)  ヨキのその表情だけで、クガミはヨキが望んでウツヒと共にいるのだと分かり、胸の中を喪失感や悲しみ、悔しさ、寂しさがごちゃ混ぜになったものが広がる。  今、ヨキの元へ走り寄ってウツヒから奪い去ることの出来ないこの身が恨めしい。  いや、たとえ身体が万全な状態であっても自分にはヨキを浚うなど出来やしないのだが。  死にかけてすら意気地のない自分に、クガミは胸中で嘲笑を溢した。 「去れ。でなければ、次は消し炭にするぞ」  新たに生み出した炎を掌中で揺らしながらイザナがウツヒを脅す。  静かだが憤怒の込められた声でイザナの脅しが冗談ではないことを悟ったのだろうウツヒが、ぼろぼろの身体を引き摺るようにして後退する。すかさずヨキがウツヒに駆け寄り、今にも地面に倒れ伏してしまいそうなウツヒの身体を支えた。 「……今日のところは引くが、私はお前を許すことはない」  ヨキに支えられながらウツヒが恨みの籠った声で告げる。赤く暗い瞳でイザナを鋭く睨み付けた後、ウツヒはヨキを伴って暗闇の中へと溶ける様にして姿を消した。 「ヨキ……」  唇から、大切だった名前が零れる。愛していた。守りたかった。側にいたかった。しかし、道が別たれた今、そのどれもが叶わない。  ヨキの姿が見えなくなって始めてクガミの瞳から涙が零れた。 「……お前は、涙すら綺麗だな」  静かに、嗚咽一つあげずに泣くクガミの顔を、いつの間にか近付いていたイザナが覗き込む。ひんやりとした指先が涙が伝った痕を撫で、そうして着ているものが汚れるのも構わずゆっくりとクガミの身体を抱き起こした。  静かに流れ続ける涙に濡れる頬を、右手で柔らかく包み込まれる。  このスキンシップこそがイザナなりの優しさで、彼なりにクガミを慰めようとしてくれていることが冷たい手から伝わってきた。しかし、クガミはそれを素直に受け入れることが出来ない。 「放って、おいて……くれ……」  クガミは切れ切れに言い、力の入らない手でイザナの手を掴み、頬から引き剥がそうとした。が、イザナの手は離れず、クガミの頬を包み込んだままだ。 「俺を庇って怪我をしたお前を放っておけるものか」  そう言って、イザナがクガミを横抱きに抱え上げる。横抱きに抱えられて運ばれるなど冗談ではない、と思っていても満身創痍で傷だらけのクガミに抵抗する気力が残っている筈もない。結局、クガミはそのままイザナによって神域へと運ばれてしまった。

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