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第7章 戸惑う心 1
イザナの神域内へと戻ってきたクガミは、地面に足をつけることさえ許されぬままイザナの手によって屋敷の奥へと運ばれていた。
屋敷の最奥にはイザナの部屋があることは知っていたが、実際に足を踏み入れるとなると初めてだ。こんな状況でなければそれなりに楽しめたのかもしれないが 、正直今のクガミにはそんな余裕すらない。
ヨキに言われた言葉を思い出しては気が塞ぎ、そうかと思えばイザナに横抱きにされたままの状況に羞恥したり。出血自体は止まっているようだが、自分で思っていたよりも多く血を失ってしまっているせいなのか妙に頭がフワフワしているのもいけない。
(ああ、駄目だ……考えが纏まらない……)
クガミは溜息を溢し、目を瞑る。そうこうしている内に、イザナの部屋の前まで来たのか。何時の間にかイザナの足が止まっていた。
薄っすらとクガミは瞳を開ける。と、大きな桜の樹の描かれた大きな襖が閉まった状態で二人の前にあった。
両手が塞がっている状態でどうやって襖を開けるのだろうか、とぼんやりクガミは思ったのだが、どうやら杞憂だったようだ。
イザナが触れてもいないのに、襖は勝手にするするとひとりでに開いていったのだ。
ふわりと桜の香りがクガミの鼻腔に届く。外の桜の香りがここまで香ってきているのだろうかと思ったが、どうやら違うらしい。
一歩部屋の中に足を踏み入れると、そこは別世界だった。
(桜が、咲いている……)
イザナの部屋に入る前までは、確かに自分達は屋敷の中にいたはずであるのに、クガミの目の前に広がっているのは屋敷の外と何ら変わらぬ光景だったのだ。
イザナの足元には桜の花弁が敷物のように見渡す限り一面に広がっていた。部屋の中央付近には大きな桜の樹が一本だけ生えていて、どうやら足元に広がっている桜の花弁はその一本の樹から落ちてきているようだ。
今も、はらはらとクガミの目の前で散っては、地面へと降り積もっていた。
屋内であるのに頭上からは温かい日差しが降り注ぎ、穏やかな風が香りを乗せ吹き抜けていく。踏むのすら躊躇ってしまうような薄桃色の地面を、イザナがクガミを抱いたまま桜の樹に向かってずんずんと進んでいった。
桜の樹の裏側に回り込むと、幹には大きなうろが空いていた。樹からして大人十人で腕を回しても囲みきれない巨木であるから、うろの大きさも大きく、クガミとイザナが入っても十分に寛げるだけの広さがある。そこに、また不思議な光景が広がっていた。
緑色の畳の上に、寝具一式が敷いてあるのだ。その上、うろの中と思えぬほどに中は明るい。
イザナがうろの中へと入り、クガミを寝具の上へと丁寧な手付きでうつ伏せの状態で下ろす。
血は止まったが全身が、血や土埃で汚れている状態で寝具の上に寝そべるのは罪悪感がある。クガミは、這いながら寝具の上から退こうとするが、「動くな」とイザナに一喝され動きを止めた。
「……すまない。俺のせいで」
落ち込んだイザナの声が、クガミの背に降る。
「別に……、アンタのせいとは……思ってない……」
「だが、これは俺を庇ってついた傷だろう? なら、俺のせいだ。だから――――」
イザナの声が途切れる。
つ、と冷たい指先が切り裂かれた布地から覗くクガミの背を撫でていく。
「俺に治させてくれ」
優しい声が聞え、吐息が傷口に触れる。その状況のおかしさに気がついたクガミは身体を起こそうとするが、それよりも早くイザナの唇が背中の傷に口付けを落とした。
「い、ッ……!?」
頭頂部を突き抜けるような痛みに襲われ、クガミは身体を跳ねさせる。一体何をするんだ、と抗議の声を上げようとするも、再びイザナの唇が傷口に触れ、上げようとしていた声は呻き声に変わってしまう。
クガミが抵抗できないのをいいことに、ちゅ、ちゅっと労わるような口付けが背中のあちこちに落とされる。始めは痛みしか感じなかったその行為だが、次第に痛みは痺れるようなものへと変わり、口付けされた場所からクガミの身体が熱を帯びていく。
「や、めろ……ッ」
クガミは痛みに顔を顰めながら上体を起こし振り返ると、肘でイザナを押し退けようとしたが、
「断る。治している最中だ」
と肩をイザナに掴まれ、寝具へと押し付けられる。力の入りにくい体勢、しかも負傷しているとあって簡単にクガミは寝具の上に縫いとめられてしまった。
ウツヒの攻撃のせいでぼろぼろであった小袖をイザナが邪魔だとばかりに引き千切り、クガミの背を露にする。傷を負っていないはずの項にも口付けられ、くすぐったさと下肢に熱が集まるような感覚にクガミは困惑する。
「……ッ、く……口付けているだけ、にしか、……見えないんだが……」
クガミは寝具に顔を埋めたまま、くぐもった声を出した。とても治療をしているようには思えない。きっと今の自分とイザナを傍から見たならば、情交をしているようにしか見えないだろう。
想いを伝える前にヨキには振られてしまったが、まだクガミの中でヨキへの気持ちは燻ったままだ。そうであるのに、イザナに触れられ微かに反応し始めている自分にクガミは戸惑いを感じていた。
自分のヨキに対する想いはその程度だったのだろうか?
(いや、そんな筈はない……俺は、確かにヨキを愛していた……だが……)
ヨキの本心を聞いたことで心深く傷付き、イザナが与えてくれる優しさに流されたがっているのもまた事実だ。
そう自己分析し終わったところで、イザナがちゅ、と音を立てて唇を離した。
「俺の力を傷を負った箇所に送り込んで直に治しているんだ。くすぐったいだろうが、我慢しろ」
ああ、ともうん、とも言えぬままのクガミを置いて、イザナが再びクガミの背に口付けを降らせる。
項から降り、肩甲骨の上、背骨を辿るように降りていき、袴と肌との境界線ぎりぎりまでくると今度は上へと上がっていく。時折、舌先で舐められ、濡れた音が立ちクガミを羞恥が襲う。
「ん……ッ」
脇腹に近い場所を舌で辿られ、クガミの喉から甘ったるい声が零れ出そうになる。
(これは、治療だ……)
クガミは自身に言い聞かせながら、寝具に顔を押し付けた。気持ち良くなってなどいない。単に驚いて、変な声が出ただけだ。
が、イザナは何かとその場所ばかりを撫で上げたり、舐めたりしてくる。
「ん、……く……ぁ……」
ぴくぴくと身体が震え、下肢に熱が集まっていくのがクガミにも分かった。
(くそ、……なんで……)
袴の前の方が突っ張り、寝具に押し付けられ痛みを感じる。僅かに腰を浮かそうとするが、その仕草でイザナに今の状態を知られてしまう可能性を考えるとクガミは動くことが出来なかった。
「結構深く切れてるな……痛かっただろう?」
ぬる、と尖らせたイザナの舌先が傷口に差し込まれる。
「い、ッ……ぁ……」
当然痛い筈の行為であるのに、クガミは痛みよりも快感を得てしまっていた。ぬるついた舌が傷を行き来する度に、身体が陸に上げられた魚のように跳ねた。
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