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第7章 5

 柔らかく、髪を梳かれている。  養母の愛情に素直に甘えることが出来なかったクガミは、頭を撫でて貰うといったことをされた事がない。だから、実際の感覚は分からないが、自分に実母がいて頭を撫でて貰ったら、きっと今感じているように柔らかく、心地良いのかもしれない。  この心地の良さにまだ浸っていたい気もするが、自分を撫でている人物が誰であるのか気になる。  クガミはまだ眠たい眼を持ち上げ、側にいる人物を確認した。と、開けた視界に、イザナの整った顔が飛び込んでくる。自分の頭を撫でていたのは、どうやらイザナのようだ。  眠気の残る自分とは対照的にイザナはすっきりした顔をしていて、心なしか肌艶もよく見えた。そうして、何が楽しいのかさっぱり分からないが、クガミの顔を見つめ微笑を浮かべている。 「……起きてたのか? 笑っているが、楽しいことでもあったのか?」  寝顔を見られていたことに対して恥じらいはないが、自身の知らないところで笑いの種になるのは面白くない。クガミが不機嫌な声で尋ねると、イザナがぽんとクガミの頭を撫でた。 「楽しい、とは少し違うが……お前の寝顔を見ていた。無防備で……つい、襲いたくなるのを我慢していたところだ」  昨日散々イザナに抱かれたせいで足腰は痛いし、後孔にはまだ何かを咥え込まされているような異物感がある。自分は満身創痍であるのに、イザナが体力的にも精力的にもまだまだ余裕そうに見えるのが更に腹が立つ。  クガミはいつの間にかイザナが掛けてくれたのであろう布団の中、同じく布団に包まり隣に寝そべるイザナの脚を蹴りつけた。 「……いッ、!? ……冗談だ。だから、無言で蹴りつけるのはやめろ」  クガミとしては弱めに蹴ったつもりだったが、当たり所が悪かったらしくイザナが布団の中で自身の脚を擦りながら言う。  が、クガミは素知らぬ顔でごろりとうつ伏せになりながら 「で? ……昨日は一体なんであんなところで倒れていたんだ? それに、ウツヒというのは何者なんだ?」  と、尋ねた。  イザナがクガミと同じ様にごろりとうつ伏せになり、頬杖をつく。  なにから説明したものか、と呟き考える素振りを見せた後、イザナがゆっくり口を開いた。 「そうだな……、まず俺が倒れていたのは……まあ、あの場所と昨夜が新月が近かったことが原因だ」 (そういえば、ヨキも言っていたな……)  クガミは、ヨキが言っていたことを思い出していた。あの時、ヨキは“場所自体に穢れが発生している”と言っていたはずだ。  自分にはうら寂しく、空気が淀んでいるくらいのことしか感じ取れなかったが、二人がこう言っているのだから事実なのだろう。  それについては問題はないが、“新月”であることがイザナの体調にどう関係してくるのだろうか?  海の側で暮らしていたから、潮の満ち引きが月の満ち欠けと関係していることは実体験を持って知っている。  もしかすると、神にも月の満ち欠けで何かしらの影響があるのだろうか、とクガミが考えを巡らせたところで、イザナが続きを話し始めた。 「新月は、ヨイハヤの加護が無くなる日で、神がもっとも消滅しやすい日でもある。加護っていうのは、端的に言えば力だ。俺ら、神の存在の根本には二神の力が関わっている」 「アンタ自身の力とは、違うものなのか?」  クガミの問いに、イザナが頷く。 「二神の力はどの神にも存在する。そうだな、柱のようなものだと思え。太陽が昇っている間はヒムカヤの加護、月が昇ったらヨイハヤの加護といったふうに、俺ら神は主軸となる柱を切り替えながら生きている」 「えっと……」  イザナは噛み砕いて説明をしてくれたのだろうが、神ではないクガミには“主軸となる柱を切り替える”といわれても想像がつき難い。それでもなんとか理解しようとしていると、イザナが「例えば、だ」と声を出した。  「お前が右足一本で立つとするだろう? 片足で長時間立っていると当然疲れる。そこでだ、疲れたらお前ならばどうする?」 「立つのを左足に変える」 「だろう? ようは、そういうことだ。どちらかの力に頼りきりだと磨耗していってしまい、最終的には消失する。そうして、完全に加護をなくした神は神として存在出来なくなるんだ。……で、新月の夜はその二つの加護が一時的に消える日でな。核がない状態では、存在自体が不安定になり、些細なことが切っ掛けで簡単に消滅してしまう」 「っ……」  あの時のイザナがそんな危険な状態だったことを今初めて知り、クガミは背筋が寒くなるのを感じた。  もし、発見があと少し遅れていたら。もし、あの時ウツヒの攻撃から庇っていなかったら。もしかすると、自分の隣にいるイザナは消滅してしまったかもしれない。  出会った当初であれば、彼が消えてしまったとしても「ああ、そうか」ぐらいにしか思わなかった。しかし、身体を重ねた今は彼が消えずに済んだことに安堵している自分がいた。その安堵の理由が、一体どこからきているのかクガミは薄々気が付き始めていた。 (……まだ、認める訳にはいかないが……)  クガミは自身の中で芽吹いた気持ちに一旦蓋をすると、イザナへ話を振った。 「あの場所にも原因があるって言ったよな。あの場所は、一体何なんだ?」  外観からあの場所がかつては何かを祀っていた場所であることは分かったが、それ以外は謎のままだ。イザナがあの場所とどういった繋がりがあるかすら、分かっていない。  イザナが、ふぅ、と息を付いた。  その様子を見て、話したくないのだろうか、とクガミは思ったが、どうやらそんなことはなさそうだ。 「あそこは、かつての俺達の神域があった場所だ」  イザナが言った言葉に、クガミは頭を捻った。  “俺達”と複数形であった点もそうだが、この場所以外の神域が存在していた点も気になる。  神域とは、神の力の及ぶ領域とされているが、ここ数日イザナと共に過ごす中で漠然とだがそれだけではないというのが分かってきていた。恐らく、神域内には神にとって大切な物が存在しているのだ。そして、イザナの場合、クガミが今居るこの桜の樹が大切な物に該当するのではなかろうか。憶測でしかないが、十中八九当たりではなかろうかという自信がクガミにはあった。  それを確かめるためにも、まずはイザナに話を訊く必要がある。 「どういうことなんだ?」  クガミの問いに、イザナが言い難そうに口を開く。 「かつて、俺は別の神だった。……ウツヒはその時の弟神だ」 (そういえば、ウツヒもイザナのことを“兄のような存在だった”と言っていたな……。顔も、そっくりだった……)  なるほど、やはり二人は兄弟であったのだ、と納得がいった所で、クガミは「あ……」と何か思い当たったように声を上げた。 「別の神……、もしかして炎に関係する神だったのか?」  ウツヒを撃退した時のイザナは蔦ではなく、炎を操っていた。  それに、神はその容姿――――特に、髪や瞳の色に自身が司っている力の特徴が現れると、ヨキに聞いたことがある。櫻の神であるイザナは、本来髪と瞳の色は桜色であるはずだ。それが赤であるということは、彼がかつて別の神であったことの証明に他ならない。 「察しがいいな。その通り、俺はかつては炎の神だった」  よくわかったな、とでもいうようにイザナの手が伸びてきて、クガミの頭をぽんと撫でた。そうして、不意に真剣な顔つきになると自身の過去を話し始めた。 「炎の神、といっても強い力を持っていたのはほんの数百年間だ。ここ、櫻ノ国はかつては小さい国の集まりで、その中の一つの国が炎を信仰対象としていたんだ。俺達はそこから産まれた。が、国が一つに纏まり、火炎崇拝は次第に薄れていった。信仰や、純粋な想い、といったものが神にとっての食事だ。それが薄れる、ということは死活問題に関わってくる」  その当時のことを思い出しているのだろう。イザナの顔には、苦々しいものが浮かぶ。 「存在するのが精一杯というところに、更に不運が重なった。百年と少し前、この国を大火事が襲ったんだ。それから、あっという間に俺らへの信仰は無くなった。不要になった俺は、本来ならばその時消えるはずだったんだが――――助けられた」 「誰にだ?」  イザナが懐かしむように目を細めた。 「……俺の前の櫻の神であり、親友――――そして、お前の父親だったヤエという男だ」  イザナの言葉に、クガミは衝撃を受けていた。イザナを助けた人物が、ヤエであることは薄々勘づいていたが、まさかそれ以上衝撃的な事実を聞くことになろうとは。  しかし、そう簡単に信じることは出来ない。神、それも百年も前の人物が自分の父親であるはずがない。

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