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第7章 7
「ここ、は……」
クガミは目の前の大きな古びた桜の樹を見上げた。
着替えたイザナに連れられて行った先は、イザナの屋敷の側にある桜の樹の前であった。
イザナの屋敷に滞在している間、この桜の樹の前に何度も足を運んだことがあるが、古びた大きな樹があるだけだ。樹としては立派で凄いかもしれないが、生憎クガミには樹木を愛でるような趣味はない。
「まさか、この樹が俺の父親とでも言いだす気か?」
クガミは鼻でせせら笑う。クガミとしては皮肉として冗談で言ったつもりだった。が、イザナはクガミの予想に反して「ああ」と肯定すると、ぽんと樹の幹を叩いた。
「まあ、正確に言うとこの樹はヤエの依り代だったものだ」
「依り代?」
クガミは鸚鵡返しに尋ねた。
「俺らが神として生まれる前の姿だ。ヤエならこの桜、かつての俺であれば炎やそれに関係のある物なんかが依り代にあたる。どの神も必ず依り代を持ち、依り代に二神の加護と人の祈りが注がれることでようやく神としての力と姿を得ることができるんだ。まあ、中には特殊な方法で神になる者もいるにはいるが」
イザナの説明を聞いてクガミが思い出したのは、先ほどまで居た大きなうろを持つ桜の樹だ。あの樹の周りの空気はとても澄んでいて、特別な樹であることがクガミにも一目で分かった。
「さっきまで居た樹は、アンタの依り代か?」
「ああ、そうだ。二神の加護があっても、あれが無くなれば俺は消滅する」
無用心なのか、はたまたクガミを信頼しているからこそ告げたのか。どちらにせよ、大事なことであるはずなのに、イザナがやけにさらりと告げた。
「アンタは簡単に話したが、俺があの樹に何かするとか考えないのか?」
呆れ声で返すと、イザナが首を横に振った。
「まったく。仮に、もしされてとしても、別にお前を恨んだりはしない」
信頼を向けられていることは分かったが、そうまで信頼される理由でこれだといったものがクガミの中であまり思い当たらない。唯一切っ掛けとして思いつくのは、ウツヒの攻撃からイザナを庇った一件だが、あれよりも以前からイザナは何かと自分に対して信頼だの、好意だのを向けていた。
それが重くもあるし、怖くもある。だが、それと同じくらいに喜びを感じてしまうから、調子が狂う。
「……するわけないだろ」
素っ気無く返すと、イザナは「そうか」と笑った。
「で、お前の父親なんだが――――少し待っていろよ」
イザナがそう言って着流しの懐から取り出したのは、桜の樹の枝だった。ここに来る前に、イザナが自身の依り代である樹から折り取って持ってきたものだった。それをイザナが胸の前くらいの位置まで両手で持ち上げる。
「之に依り、顕現せよ」
イザナが唱えると、手に持った桜の枝と目の前の桜の樹が呼応するように突然輝き始めた。
淡い光は徐々に眩しさを増していき、すぐに目を開けていられないほどの輝きになる。イザナは目を瞑り光が収まるのを待って、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
「……ッ!?」
驚愕のあまり、イザナは後ろに数歩後ずさった。何故なら、イザナの側に半透明の男が立っていたからである。
桜色の短い髪に、同色の不思議な輝きの瞳。ひょろりと上背の高い男の足は、僅かに地面から浮いていて身体がふわふわと上下に揺れている。
それだけでも十分目を疑うような光景なのだが、クガミを更に驚かせたのは、その男の顔が鏡に映った自身を見るように瓜二つであったからだ。
『やあ、初めましてかな? 僕の息子君』
ふわふわと揺れながら、彼は桜の花のようにふわりと笑った。
(……これが、俺の……父親?)
初めてヤエの顔を目にするが、これならばクシゲが見間違えるのも無理は無いかもしれない。それほどまでにそっくりで――――しかし、だからこそ柔らかな口調や笑みといった自分とは違う部分に目がいき、違和感を覚える。
父親、というよりも、性格のまるっきり違う自分がもう一人いるかのような感覚の方がしっくりくるかもしれない。
「……久々だな、ヤエ。お前の軽さは相変わらずのようだ」
『軽いって、酷いな。気さくと言ってくれよ』
友人同士の気安い会話を端で聞きながら、クガミはいまだ驚愕から抜け出せないでいた。
自分と顔がそっくりな人物を目にすることだけでも十分衝撃的であるのに、その上のその人物が自分の父親で。更に、半透明で宙に浮いているとあれば誰だって驚きのあまり固まってしまうのではなかろうか。
「……その、……アンタが……」
ようやく発することが出来た声は掠れていて、きちんとした文章にはならなかった。それでも、ヤエはクガミが言いたかったことを汲み取ってくれたようだ。
『君の父親だよ。もっとこっちに来て、顔をよく見せてくれないかな?』
優しい笑顔を浮かべたヤエが、手招きをする。
自分と同じ顔であるのに、クガミはヤエの瞳から父性のようなものを感じていた。
「……ッ」
ふらりとクガミの足が、ヤエの方に向かって一歩、又一歩と動く。自分の父親ではないと思っていたのに。認めないと、思っていたのに。
クガミを呼ぶ優しい声に、手招きに。どうしようもなく胸が締め付けられ、足が勝手に進んでしまう。
気が付けば、クガミは手を伸ばせば触れられそうなほど近くまで距離を詰めていた。
半透明なヤエの両手がクガミの頬へと伸びる。
『顔は、僕そっくりだけど瞳の輝きや肌の色、髪の色は母さんそっくりだね』
ヤエによって両頬を掌で包み込まれているはずなのに、感触は無かった。こちらを覗き込んでくるヤエの向こう側に、ぼんやりと桜の樹が透けて見える。
頬に添えられた手からは体温は伝わってこないが、彼が父親であるという事実だけはクガミに伝わってきた。
(ヤエが……俺の、父親……)
悲しさが、そろりとクガミの足元から這い上がる。
こんな形の再会は望んでいなかった。会えずとも、自分の知らないどこかで元気に暮らしてくれていればそれでいい、とさえ思っていたのに。
よりにもよって、実態のない幽霊のような父親と再会するとは。
「……なんで……アンタは消滅したんだ……」
ヤエの瞳を見つめながら、クガミはぽつりと恨み言を溢した。
これでは親子として同じ時間を共に過ごすことは叶わない。そればかりではなく、親子としての最低限の触れ合いすら出来ないのだ。
恨み言をぶつけられたヤエの表情が、初めて曇る。
『……それは……』
言い難そうにヤエが口をもごもご動かす。チラチラとイザナを窺がっているあたり、イザナにも関係することなのだろう。
「言い難いのなら、俺が説明してやる」
ヤエの視線に気が付いたイザナが、ヤエの了承も得ずに一方的に話し始めた。
「クガミ、お前の父親は俺が消滅させたようなものだ」
「……え?」
思わず、どういうことだ、とクガミがイザナに尋ねようとしたところで、『それこそ違うから!!』とヤエの鋭い声が飛んできた。
『イザナ、勝手なことを言わないでくれ』
「違わないだろう。クガミには真実を話す必要がある」
『あのね、確かに真実を話すことは必要だよ? ただ、君は自分に責任があるように言うのが問題なんだ って。というわけで、暫く向こう行って』
しっし、とヤエが手でイザナを追い払う。
イザナは渋い表情をしていたが、クガミとヤエをちらちらと交互に見た後、「わかった」と言い残し屋敷の中へと戻っていった。
なるほど。どうやらヤエとイザナの力関係としてはヤエの方に軍配が上がるようだ。
クガミはイザナの後姿を見送りながら、隣でふわふわと浮くヤエに尋ねた。
「……いいのか?」
『いいのいいの!! それに、イザナには聞かせたくない話もあるし』
(……扱い方が、可哀想な気もするんだが……)
屋敷へと消えていった後姿がどことなく沈んでいた気がするのは、なにもクガミの気のせいではないはずだ。
まあ、イザナのことであるからクガミが心配するほど落ち込んでいない、と思いたい。
『えっと、何から話そうか。母さんと僕の馴れ初めからがいい? それとも、僕が母さんに番になって欲しいと頼み込んだ話とかからがいいかな?』
イザナの屋敷からヤエへと視線を戻したクガミへ、ヤエが詰め寄る。どうやら、ヤエはクガミと違って話すことが好きなようだ。
詰め寄られたクガミはというと、身体同士がぶつかることは無いといえど、ヤエに気圧され仰け反った。
「いや……、それは」
クガミは首を横に振った。確かに聞きたいことであるには違いないが、それはクガミが今一番聞きたいことではない。
『冗談だよ。僕が消滅しちゃった理由でしょ?』
どうやら、先ほどのはヤエなりに場を和ませようとしてやったものらしい。ぺろり、と舌をおどけて出したヤエが、こほんと咳払い一つして真面目な顔つきになった。
『そうだな……僕が消滅したのは、イザナに力を譲ったからってのもあるけど、その前に僕の大切な者を守ろうとして依り代に深刻な傷を負っちゃったのが原因なんだよ』
そう言って、ヤエが『こっちにきてみて』とクガミへ手招きしながら移動し始めた。
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