6 / 48
第2章ー2
クガミとヨキが住むこの村は、宵ノ国の北端に位置していて一年を通して気温があまり上がらない。寒の季節ともなると雪が降ることも多く、また冷たく強い風が吹く事もあって村はぐるりと円状に組み上げられた石塀に囲まれていた。
占殿から南に向かって暫く真っ直ぐ歩いていると、村の中心へと出る。ぽっかりと開けたこの場所は広場になっていて、祭りの時はここで村人達が踊ったり、火を囲み飲み食いを楽しむのだ。
広場を過ぎ、五分も立たない内にクガミとヨキは足を止めた。
目の前には大きな石造りの灰色の家がどっしりと建っている。この家こそが村長ヒヨウの家で、クガミが村の中でもっとも嫌いな場所でもあった。
「クガミはここで待っててもいいよ」
この場所が苦手であることが分かっているヨキがクガミの方を振り返る。無理をするな、とでもいった視線にクガミは「大丈夫だ」と短く返し、ヒヨウの家の扉を開いた。
石造りの家の中で唯一木を使っている扉が、ギイッと軋んだ音を立てて開く。
「おはようございます、ヒヨウさん」
「おはようございます」
気軽に中へと入るヨキに一歩遅れるようにして、クガミも部屋の中へと足を踏み入れた。
家の中は香でも焚いたかのように甘ったるい匂いが立ち込めていた。
(……ヨドか……)
香りの正体に気がついたクガミは、内心溜息をつきたい気持ちで一杯だった。
ヨドとは、宵ノ国で採れる“ヨキドイ”という白色の指の爪ほどの大きさの実をつける植物からとれる草の汁を絞り、加工したもので焚くと手軽に酩酊効果を感じられる。それゆえに祝いの席で焚かれることも多いが、使用方法によっては中毒症状を引き起こすこともあり、クガミは昔からどうにもこれが好きではなかった。
爽やかとは程遠い、頭の痛くなるような甘さの匂いにクガミの眉間には皺が寄りそうになる。しかし、そんな表情をヒヨウに見られでもしたら、何を言われるかわからない。クガミは出来るだけ匂いを嗅がないように口で浅く呼吸をしながら、家の中を見回した。
「おお、よく来たね。待っていたよ!!」
と、扉の音で気が付き奥の部屋から出てきたのだろうヒヨウが、足早にヨキへと駆け寄ってきた。ヒヨウの視界にクガミも入っていたはずなのに、ヒヨウはクガミをまるで居ないかのように扱う。
(……またか)
クガミは内心溜息をついた。分かりきっていたことであるから怒りはない。が、ヒヨウの態度にはほとほと困り果てたものだ。
ヒヨウのクガミに対する態度は別に今日に始まったわけではない。それこそクガミがこの村に住み始めてから今まで、ヒヨウには碌な態度をとられたことがなかった。というのも、この村は“月沈みの海”と呼ばれるヨイハヤが眠るとされている海に近いこともあって、村の殆どの者が自身らのことをヨイハヤの子孫であると考えている。
そのせいもあって、伝統を重んじる傾向があり、“外部から来た人間は穢れをもたらす”だの“外部の人間が交じるとヨイハヤの加護や血が薄れる”といった理由で外部の人間を嫌う人間が多い。その筆頭とも言うべき人間がヒヨウで。拾われ子、しかも宵ノ国の者らしからぬ容姿のクガミは、幼い頃からヒヨウに辛く当たられてきたのだ。
十歳を過ぎたあたりからはヒヨウのいう事を真に受けないようになったが、それが更にヒヨウの勘に障ったらしい。それ以来、分かり易くヒヨウに無視をされるようになった。
(まあ、何かをされるよりもいいか……)
そんなことをぼんやり考えながら、クガミはヨキとヒヨウの会話を側で聞く。クガミには無関心のヒヨウだが、巫子であるヨキには昔から甘い。
「用事って聞いたけど、一体どうしたの?」
ヨキが小首を傾げながら尋ねる。
二人に血の繋がりはないのだが、初老に差し掛かったヒヨウとあどけないヨキが親しげに会話をする様子はまるで祖父と孫を見ているようでもある。
「いや、それがね……成人が済んですぐに申し訳ないんだが、君に櫻ノ国に行ってほしくてね」
クガミを無視したままのヒヨウが猫撫で声でヨキに言った。
「櫻ノ国!! 僕が行ってもいいの!?」
ヨキの瞳がきらきらと輝く。
それもそのはず、櫻ノ国はこの天津大陸の中心に位置し、宵ノ国を含め他の国とも貿易が盛んなため芸術や建築、料理など独自の発展を遂げている国で、ヨキがずっと行ってみたいと言っていた場所でもあったからだ。
ともだちにシェアしよう!