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第3章ー2
「あれ、は……何だ?」
ヨキが指差した方向には、大きな樹が存在していた。宵ノ国で見る類の樹ではなく、クガミの背よりも何倍も大きく、平たい葉が枝にたくさんついている樹だ。勿論、まだここは宵ノ国の領土内のはずだ。それを証明するかのように巨木の周りは見慣れた針状の葉を付けた木ばかりが立っている。
何故、あんなものがそこにあるのだろうか?
いや、それよりも自分はずっと前を向いていたはずだが、何故ヨキに指摘されるまで巨木の存在に気がつかなかったのだろうか?
いくら疲れていたとしても、自身の数倍も大きな巨木を見落とすわけがない。
クガミの胸の中を気味の悪さが這い回る。見た目はただの巨木なのだが、それ以上の何かがある気がして近付くのを躊躇う。それなのに、何故かクガミの身体はヨキとともに樹の方向へと引き寄せられるようにふらふらと歩いていってしまっていた。
近付いていくほどにその樹の大きさが際立ってわかる。
見上げても天辺が見えないほどに高く、大人五人が両腕を広げ囲んだとしても到底足りないほどに幹も太く、ごつごつと節くれだっている。しかし、何よりもクガミの目を釘付けにしていたのは幹の根元近くにぽっかりと開いた穴だった。
何故、こんな場所に穴があるのだろうか?
獣か何かの棲み処なのだろうか?
様々な疑問がクガミの頭の中を駆け巡る。もし、獣か何かの棲み処であるのならば不用意に近付くのは危険だと頭では理解しているのに、クガミの身体は意思に反して穴の方向へと向かってしまう。
そうして、気がつけば穴のすぐ側までやって来てしまっていた。あと一歩踏み出せば、穴の中に落ちてしまいそうなほどに近い。
クガミは真っ暗な穴の中を見つめた。
(深い、な……どこまで続いているんだろうか……)
そのまま吸い込まれてしまいそうな恐怖から逃れるように、クガミは視線を逸らす。と、不意に穴の方からビュウと風が吹き付けてきて、クガミは目を瞑った。
宵ノ国のヒシラズの香りに何処か似た甘い香りが、クガミの鼻を擽る。ゆっくりと瞳を開けると薄紅色の花弁がひらひらと舞っているのが見えた。
「花……? 一体、どこから……」
地面に落ちた花弁を指先で摘み上げると、しっとりと肌に吸い付くような感触がした。クガミは指先で花弁を摘んだまま、頭上を見上げる。しかし、樹は青々とした葉を茂らせているだけで、花の一つもつけていなかった。
「ということは……この穴か。それにしても不思議だな。ヨキもそう思うだろ……――――ッ!?」
幼馴染に同意を求めようと振り返ったクガミだが、そこで凍りついた。背後に居たはずのヨキがいつの間にかいなくなっていたのだ。
「ヨキ!! どこだ!! 返事をしてくれッ!!」
血相を変えてクガミが叫ぶ。が、ヨキの返事は無い。
何時、いなくなったんだ?
クガミがヨキから目を離したのは、穴から風が吹き付けてきたその時の一瞬だ。いなくなるとしたら、その時をおいて他にはない。
しかし、一瞬でクガミが見失ってしまうほど遠くに行くことが出来るのだろうか?
クガミの知るヨキは、運動が苦手というわけではないが、得意というわけでもない。走るのもクガミの方が速く、そうであるからここから走って姿を消した、という線は薄い。
では、ヨキはどこに消えてしまったのだろうか?
クガミの視線が自然と穴の方へと向く。まさか、とは思ったが人ひとり一瞬で消えるなどこの穴に落ちてしまったとしか考えられない。
となれば、クガミがとるべき行動は一つだった。
しっかりと背負い鞄の紐を握り、真っ暗な穴の中を鋭く見つめる。この先に何が待ち受けているかは分からないが、ヨキを一人にするわけにはいかない。覚悟を決めたクガミは穴の中へと飛び込んだ。
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