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第3章ー4
「……勝手に入り込んできた上に俺の眷属を痛めつけるとは、とんだ侵入者だな」
怒りを孕んだ低い声が間近に聞えた。
クガミが声のした方へと視線を向ける。と、先ほど誰もいなかったはずのクガミの右側――――それも顔の詳細までもがわかる距離に、一人の男が立っていたのだ。
「っ…………」
クガミは息をするのも忘れ、その男の容姿に見入っていた。
スッと通った鼻筋に、薄い唇。その左下には黒子が一つあり、両目は赤く切れ長で怜悧だ。それらが均整の取れた配置で顔の上に収まっていた。しかし、整った顔よりもクガミの視線を釘付けにしたのは、燃えるような赤色の長い髪だった。銀や金の髪色は見慣れていたが、こうも見事な赤色を目にするのは初めてかもしれない。
(……綺麗だ)
すとん、と素直な感想がクガミの中に落ちた。ヨキ以外の人間にこの形容詞を用いる日が、まさかくるとは思っていなかった。クガミにとって、ヨキ以外の人間の美醜は興味の対象外だったのだが、この男はそれをあっさりと超えてきてしまった。
が、次の瞬間、男の姿に見とれていたクガミを襲ったのは不快感のようなものだった。今まで安定していた足元が、急にぐらつき始めた。そんな感覚さえしてくる。
心許ない気持ちを押さえ込むように眉間に力を込めながら、クガミは改めて男をじっくりと見た。
(……それにしても、……俺よりも大きい、な……)
視線を持ち上げ男の頭の天辺を見る。クガミの背が高いこともあっていつもならば大体の人間のつむじを見ることができるのだが、目の前の男はクガミよりも頭半分ほど背が高い。
しかし、普通はこんな大きな男であれば近付いてくる前に気が付きそうなものだ。いくら蔦やヨキの方に気をとられていたといっても、クガミは仕事柄気配には聡い方だ。足音や葉擦れ、微かな物音にも反応するのだが、それすらも聞えなかった。
まるで、急に現れたようだ。クガミはそう考えて――しかし、それこそ馬鹿な考えだと頭を振って打ち消した。人間が、急に現れるなどあり得ない。それこそ、どこか樹の陰に隠れクガミの様子を見ていたと考える方が妥当だ。
(だが……もし、人間でないとしたら……)
急に現れるといったことも可能、なのだろうか?
と、そこまでクガミが考えたところで、男の薄い唇が開いた。
「何の目的で入ってきた。ここが、俺の神域と知っていて入ってきたのだろう?」
男の両眼がクガミを冷たく見下ろす。風で揺らされた桜の樹が、男の静かな怒りに呼応するかのようにざわざわと音を立てた。
クガミは混乱していた。
男は今何と言っただろうか? クガミの聞き間違いでなければ、クガミの今居るこの場所が男の“神域”で、クガミが目的を持って男の“神域”に勝手に侵入した、と聞えたのだが。
(どういうこと、なんだ……?)
クガミは目の前の男をしげしげと眺めた。
襟元から裾に向かって白から薄桃色に変わっていく染めを施された着流しには、ところどころに桜の刺繍が金糸でされている。赤い髪は癖一つなく、男の肩を少し過ぎたくらい長さで、大きく開けられた胸元からは厚い胸板が見えていた。
クガミが見る限り、男は人間にしかみえない。色は違うが、肌の質感や瞳が二つあって、鼻、口とある。髪があって、二本足で歩き、言葉を話すその姿は自分となんら変わりが無いではないか。
しかし、先ほど男が言った“神域”とは文字通り神が住み神の力が及ぶ領域のことだ。神は個々に神域を持ち、神の力が大きければ大きいほどに神域も広くなるとされている。また、神域内は神域を作り出した神の力が色濃く反映され、例えば水の神であれば水気が多く存在し、また火の神であれば火気が多く存在するのだという。
この男の場合、桜の樹が多く存在するから桜の神、ということになるのだが――
(……やはり、人間にしかみえないな……。ヨキが見たといっていた神は“小さくて、羽が生えていたり角があったりした”と言っていたが……)
クガミは、男の頭の先から草履を履く足の先まで視線を行き来させた。男は小さくもないし、羽もなければ額に角も生えていない。
ヨキから聞いていた神の姿とはかけ離れてしまっている。それに、クガミ自身話に聞いていただけで、一度も神の姿を目にしたことがないから判断がつかない。
じっと男を見つめるクガミに、男が苛立たしげに眉根を寄せた。
「黙っていないで、何か言ったらどうだ? それとも何か? お前のその口は飾りか何かか?」
男の皮肉った物言いに、クガミはハッと我に返った。
そういえば、男が目の前に現れてからというもの、一音も発していない。これでは、男がこう言うのも仕方がないかもしれない。
「その、……すまない。別に、アンタを怒らせるつもりはなかった」
クガミの謝罪に男が一瞬、目を丸くする。
ただ謝っただけなのだが、何かまずいことを言ってしまったのだろうか?
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