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第3章ー5

 無遠慮な視線を向け続けるクガミを男の鮮やかな赤の瞳が、ジッと見詰めていた。宵ノ国では見たことのない風体をしていたためにじろじろと眺めてしまっていたが、男からしたら不愉快だろう。クガミはそう思ったのだが、男が怒っている様子はない。  それどころか、クガミのことを物珍しそうに見てくるものだから、男の視線にクガミは居心地の悪さを感じる。ジトリと剣を握る掌に、変な汗が滲み始めた頃―――― 「……ほう、俺を“アンタ”などと呼ぶやつは初めてだ」  と、男が嬉しげに言った。  「……は?」  クガミは唖然とした。男の名前を知らなかったため便宜上、つい“アンタ”と呼んでしまっただけだ。そこに深い意味は無く、むしろ、気にする人間は無礼だと感じる者もいるかもしれない。怒る可能性はあっても喜ぶ可能性など何処にも無いはずなのに、男の唇が楽しげに弧を描いた。 「お前、名は?」  く、と男が顎をしゃくる。答えろ、ということなのだろうが、高慢な態度が鼻につく。いっそ答えないままでいてやろうか、とも考えたのだが、男の言う事が正しいのであればこの場においてはクガミが侵入者である。自身にも非がある故に、若干釈然としないがクガミは口を開いた。   「クガミだ。こっちが名乗ったんだ、アンタも名乗るべきだろう」  嫌味交じりにそう言うと、男が肩を揺らして笑い始めた。  クク、と隠すこともしない笑い声が男の唇から聞えている。クガミを見つけた時はクガミに向ける瞳には険があったというのに、クガミが謝罪を口にしたあたりから男はやけに上機嫌だ。  クガミとしては、男の気分の変動っぷりについていけない。先ほども、嫌味を交えてではあるが、クガミは当たり前のことを言っただけだ。 (一体、何なんだ……)  もしかすると、厄介な相手に捕まってしまったのかもしれない。クガミは中々笑い止まない男をうんざりしながら見ていた。  男が目尻に滲んだ涙を指先で拭う。そうして、胸の前で腕を組み、口を開いた。 「ははッ、確かにそうだな。俺の名はイザナ。この櫻ノ国の――――最高神(さいこうしん)だ」 「……っ」  クガミは男の言葉を聞いて、固まった。  最高神とは、そのまま最高位につく神のことだ。  天津大陸には、宵ノ国、日向ノ国、櫻ノ国、海那ノ国(かいなのくに)、そして人間が入ることを許されていない神だけが住まう三波守ノ国(みなみかみのくに)の五つの国がある。三波守ノ国を除く四国にはそれぞれ、最高神(さいこうしん)と呼ばれる強い力を持つ神がいて国に住まう数多の神々を統べているのだという。  宵ノ国と日向ノ国は、ヨイハヤとヒムカヤが最高神にあたるのだが、大陸創造後眠りについたままであるので最高神代理という位が設けられているのだ、とヨキから聞いたことがあった。だから、実際に存在する最高神は最高神代理を含めずに数えると、たったの二神だけとなる。 (しかし、……この男が……最高神……)  クガミは無言のままイザナと名乗った神を見た。  生まれて初めて目にした神が、まさか国の頂点に座す神だとは思いもしていなかった。  衝撃の抜けきらないクガミに、イザナがスッと赤色の瞳を細めた。その瞬間、クガミは産毛が逆立つのを感じた。 「それで、改めて問うが――何の目的で俺の神域に入ってきた」  先ほどまでの上機嫌が一転、冷たく咎めるような男の口調にクガミの喉がひゅ、と微かに鳴る。威圧感、とでもいうのだろうか。そういったものがイザナから放たれているようで、クガミの足が無意識に後ろへ下がろうとする。 「……その、迷ってしまって。入ろうと思って、入ったわけでは……。そもそも、俺はここがアン……貴方の神域だとは知らなかったのです」  しどろもどろになりながら、クガミは自身の中で最も丁寧な言葉遣いでありのままを伝えた。自分自身、上手く説明できている自信はないが、嘘は言っていない。気がついたら迷い込んでいたのは紛れもない事実なのだから。  しかし、イザナはそれを信じてくれるだろうか?  不安がぐるぐるとクガミの中を回る。クガミを見つめてくるイザナの赤い瞳が何もかも見透かしてしまいそうで、畏怖すら感じた。  クガミの言葉を嘘か真か判断しているのだろう。暫く沈黙が続き―― 「……嘘を言っている様子はない、が……これに関しては罰が必要だな」  そう言って、イザナが視線を向けたのは、クガミが切り捨てた蔦の残骸だった。 「ッ、これは仕方が無かったんだ。そもそも、先にこれらが巻きついたりしてこなければ、俺とて剣を抜きはしなかった」  焦って反論するクガミの口調から丁寧さが消える。口調を取り繕う余裕など、クガミにはなかった。そうして、言ってしまった後になって気がついたクガミは自身のしでかしてしまったことに対して肝を冷やしたのだが、クガミの視線の先にいるイザナがそれ以上不機嫌になった様子はない。むしろ、瞳からは冷たさが消え口角が上がっていた。 「俺に口答えするとは面白い奴だ。気に入った。……しかし罰は罰、しっかりとその身に受けてもらうぞ」  イザナの長く整った指先が、クガミの頬をスッ、と一撫でした。人の体温とはおよそ違う、ひやりとした感触にクガミは身震いする。人の姿と瓜二つであるが、やはりこの者は自分とは違う存在なのだ。

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