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第8話 春の嵐(8)
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大学に入学して、一、二か月は週末のたびに実家に帰っていた。でも、実際に生活してみて、移動する時間もお金もバカにならないし、亮平につられて入った剣道部の練習もままならなくなってしまった。
要からは心配そうに、月に一回にしたら、と言われてしまい、何気に身体のほうもしんどくなってただけに、素直に月一に変えた。
しかし、それも部活動やバイトを始めてしまっては、それすらも出来なくなった。結局、実家に戻っても、夏休みも冬休みも、一週間もいられなかった。それでも要は文句も言わずに、俺の姿を見て喜んでくれていたと思う。
もともと、この喫茶店のバイトも、叔父さんからの紹介でピンチヒッター的に入ったものだった。しかし、思いのほか居心地がよくて、また、お孫さんの真由さんがママ業が忙しくてなかなか復帰できないらしく、気が付けば、ここでのバイトももう半年以上経っていた。
「柊翔さん、なんか、出窓のところから覗いてる子がいるみたいなんですけど」
平仲さんが奥のキッチンでナポリタンを作っている間、カウンターの中の片づけをしていた俺。お客さんのテーブルから戻って来た、トレイを抱えた亜紀ちゃんが、困ったような顔をしながら戻って来た。
平日の昼間は、普段は近所に住んでる中村さんが入っているんだけれど、週末は高校二年生の娘さんの亜紀ちゃんが入っている。亜紀ちゃん目当てにくる男の子もいるにはいるが、どちらかというと、ロマンスグレーの店長の平仲さん目当ての女性も多かったりする。
亜紀ちゃんが気にしてるようなので、俺も出窓のほうに視線を向けると、そこには懐かしい顔があった。
「佐合さん?」
思わず呟いた俺に、出窓のところにいた佐合さんと目が合った。俺に気が付いた佐合さんが、小さく頭を下げているのに気が付くと、俺は亜紀ちゃんに「ちょっと出てくるね」と、声をかけてカウンターから出ていく。
ドアを開けてみると、そこには佐合さんとヤスくんの二人が、少しばかり、不機嫌そうな顔で立っていた。
「佐合さん、ヤスくん、久しぶり。わざわざ、来てくれたの?」
最近、お孫さんの真由さんがやってたSNSを、亜紀ちゃんが引き継いだらしく、その効果もあってか、お客さんが増えていた。それを見て二人も来てくれたのか、と思うと嬉しくなって、そう声をかけた。
「……こんにちは」
「どうもっす」
しかし、どうも二人の様子がおかしい。喧嘩でもしてたのか、二人ともが不機嫌そうだ。
「よかったら、中に入ってよ。奥のほう、席空いてるし」
俺は店内を出窓から覗き込んで確認すると、二人にそう声をかけた。すると、佐合さんがひどく怒った顔で俺のことを睨みつけた。いつもは穏やかで優しいイメージしかない彼女なだけに驚いた。
「……鴻上先輩。そんなにここのバイト、楽しいですか」
佐合さんの冷ややかな声に、返事が出来ない。ヤスくんのほうを見ると、彼も佐合さんの声に驚いているようだ。この様子だと、二人が喧嘩をしていたわけではないらしい。
「え、ああ。そうだね」
俺は素直にそう答えた。実際、忙しいには忙しいけれど、それなりに充実はしていた。
「要くんのこと、放っておくほど?」
「え?」
そこに要の名前が出てくるということに、俺の方が困惑してしまう。
「帰ってこないって、そういうことですよね?」
俺の方は大学の春休みはもう始まってはいる。ただ、剣道部の活動もあるし、バイトのほうも忙しいこともあって、今月の終わりに少しだけ帰ろうとは思ってはいた。それは、要にも言ってある。
「別に、帰らないわけじゃ」
「でも、春休みなんですよね?」
「まぁ、そうだけど、ちょっと忙しくて」
まるで、佐合さんが俺の彼女みたいに、突っ込んでくる。その様子をヤスくんのほうは、少しばかり、ハラハラしだしている。その二人の様子に、俺の方が苦笑いしてしまう。
「笑ってる場合じゃないんですけど」
「えぇぇ?」
参ったなぁ、と、頭を掻きながら二人を見つめる。いつまでも、ここで話し込んでるわけにもいかない。チラッと店内を見ると、平仲さんもカウンターのほうに出てきている。俺も店の中に戻らないと、と思っていると。
「あんな写真……女の子と仲良く写ってる写真、SNSに載せて」
「え?」
「要くんが、どんな思いしてるとか、考えたことないんですかっ」
だんだんと声のトーンが上がっていく佐合さん。感情が高ぶったのか、彼女の目に涙が浮かんでいた。
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