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第10話 春の嵐(10)

 亜紀ちゃんの声を無視して、俺は店の中に戻ると、慌てて平仲さんのところに向かう。平仲さんはカウンターに座っていたお客さんと楽し気に話していたけれど、俺を見て驚いた顔をした。 「どうした?柊翔くん」  平仲さんのそばに立ち、俺はエプロンを脱ぎながら、早退させて欲しいとお願いした。もう、一番のピークのランチタイムは過ぎてるし、空席だってある。俺がいなくても、亜紀ちゃんだけでもまわせる、そう思った。 「いいけど、一応、理由聞いていいかな」 「……」  心配そうに聞く平仲さんに、俺は一瞬、言葉に詰まった。友達が来たから、なんて、早退の理由にはならない。俺でもそう思う。そもそも、要は『友達』なんかじゃない。 「……恋人が……恋人が、わざわざ来てくれたんです」 「おや。だったら、中に入ってもらえば」  平仲さんは、嬉しそうな顔でそう言うけれど、肝心の『恋人』はここにいない。そして、この人は俺の『恋人』にどんな顔をするか、わからない。俺は笑顔を貼り付ける余裕すらなくなっていた。 「……なんか、様子だけ見て帰ろうとしてるみたいで、もう駅に向かってるみたいなんです」  平仲さんの返事を聞かずに、俺はエプロンを畳みながら、スタッフオンリーの部屋のほうへと向かっていく。急がないと、要は本当に俺に会わずに帰ってしまう。  要は滅多に我儘を言わなかった。いや、全くと言っていいほどだ。俺が剣道やバイトで忙しくなっても「頑張って」と応援のメッセージを送ってくれるし、実家からこっちに戻るときも、笑顔で送り出してくれていた。それが、ヤスくんたちが一緒とはいえ、わざわざ俺に会いに来ようとした、ということを考えれば、どんだけ要が切羽詰まってたかがわかるというものだ。そんなことに気付かなかった自分自身が情けなくなる。  俺は自分のロッカーにエプロンをしまい、肩掛けの小さいバッグを取り出す。念のため、バッグの中の携帯を取り出し、要へ『帰るな』というメッセージを送ろうと、電源を入れると、メッセージの着信のマーク。開いてみると、亮平からのメッセージが届いていた。 『今、要と駅前の店にいる』  亮平のメッセージを見ただけで、頭が真っ白になった。  ――なんで、亮平?  俺にとって、亮平は親友というには、少し複雑な相手。大学では確かに行動を共にするし、なんでも話をする相手ではある。だけど、俺と同じように要のことを大事に想う、ライバルのような存在でもあった。いつも、俺が出来ないような方法で、要のことを支えてる。それに気付かされるたび、悔しくて仕方がなかった。  その亮平が、今、要と一緒にいると思うだけで、腹の底から煮えくり返るような嫉妬心で変になりそうだった。  さっきまで、ヤスくんに言われていたことを思うと、自分でも身勝手だというのもわかってる。だけど、亮平だけは別モノなのだ。 「お先に失礼しますっ」 「お、おいっ、柊翔くんっ」 「えっ?」  平仲さんと亜紀ちゃんの驚いた声を背中に聞きながら店を飛び出すと、俺は駅前の亮平と要がいる店に向かって走り出していた。

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