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なるほど、と息を吐く紅葉はどこか虚ろで儚く映った。誰もがその儚さに無意識のうちに頬を染める。
「日之太陽。生徒会役員の名の下に、君に謹慎処分を言い渡します」
にぃっこり。笑った紅葉に対して日之は酷く狼狽えた。どうして、なんで、と問う瞳は悲哀に満ちている。
「数々の授業妨害、器物破損、プライバシーの侵害、そして生徒への暴力……実行犯で逮捕ってところかなぁ? 謹慎中の間、寮の部屋の前には風紀委員がついて、無意味な外出はできなくなるからねぇ。そうと決まれば、さっさと風紀に引き渡して、」
「紅葉っ!!」
水嶋を早く保健室に連れて行かなければと携帯で風紀室の電話にかけようと日之から意識を逸らし、背を向けた時。ドンッと背中に誰かが縋りついてきた。誰か、なんて見なくてもわかる。
布越しに感じる人肌の不快感に小さく舌打ちを打ってしまう。周りから日之へ投げられる罵詈雑言にいい気味だと思い、腹に腕を回す日之を引き離そうとした。
「……離れてくんなぁい?」
「嫌だ!! だって、俺、俺、!」
「離して!!」
「っ、ごめ、」
「……日之君さぁ、もう少し、周りを見たほうがいいんじゃないの? そんなことじゃ、社会に出てやっていけないよぉ? 君の両親はそこらへん躾しなかったわけ? 日之君の行動は自分から地獄に飛び込んでいくような自殺行為なんだよぉ?」
ぐいっと、くっついてくる日之を引き離す。もっさりとした黒髪に嫌悪感を抱いて思い切り突き放した。
「……やめてよね、そうやってさぁ。自分は正しい、あってるんだ、って勝手に思って自分の『正義』を振りかざすの。それに迷惑してる人だっているんだよぉ。僕とかさぁ。先輩だって。日之君は親衛隊はダメだっていうけど、何がダメなの。親衛隊の子たちは、好かれようと自分の容姿を磨いて綺麗になって。それに比べて、君は何? 人を見かけで判断するなって言うけど、なにそれ。その容姿じゃぁ言われてもしかたないんじゃないかなぁ? そういうことを言うんだったら、まず自分の容姿をちゃんとしてからにしたら? 日之君の言っていることはただの自己中心な子どもの言い分だよ」
時間が止まったかのように静寂が訪れた。
つい、と視線を滑らせ、日之の数歩後ろに立っていた一年生二人に声をかけた。表情は呆然と、困惑しきっているのが目に見えてわかる。
「逆巻君と黒埼君だっけぇ? 日之君がいなくならないように見張っておくのと、風紀への説明ちゃんとするんだよぉー? 僕の名前出してくれたらそれでいいからさー」
「わかり、ました」
黒埼が返事をしたのを聞き、日之には一瞥もくれずに歩き出す。水嶋の手を取り、桜宮と摂津を引き連れて保健室に向かった。
「あ」
思い出したように声を上げた紅葉は、周りにできた人集りに向かって声を張った。
「見世物じゃないんだから、早く教室に戻ったほうがいいんじゃなぁい? あと、意味もなく真実と異なる噂は広げないようにするんだよ」
さりげなく牽制をした紅葉は今度こそ立ち止まることなく水嶋たちを連れて歩き出した。
赤く腫れたの頬を撫で、痛ましそうに表情を歪める。
「ごめんね、先輩……都君と摂津も。僕がもっとしっかりしてれば」
「……そんなこというなよ。あの宇宙人の行動なんて誰も予測できねぇんだからさ。誰のせいでもねぇよ。まぁ、優嬉ちゃんのそばにいながら守れなかった俺も不甲斐ないんだけどな。白乃瀬だけじゃなくて、俺だって不甲斐なくおもってんよ? 俺の大好きな優嬉ちゃんの頬に傷が……!! 今度会ったらぶん捕れるだけ金ぶん捕ってやんよ! だぁから! 白乃瀬は自分のことだけ心配してろって」
「今回は僕の不注意もあったんです……白乃瀬様はなぁんの心配もならさらなくていんですよ!」
明るい笑みを浮かべる水嶋にへにゃんと眉を下げた。一瞬だけ表情を歪め切なそうに目を細めるがすぐさま笑みを貼り付けて微笑を漏らす。
熱を持ち始めた水嶋の頬に摂津が保健室へと急かす。
「……そういえば、保健医って誰だっけ?」
「保健医ったら非公式の親衛隊があるくらい人気なエロいお人だぞ……知らねぇの?」
「秘書さんの弟さんでもあるよねー。僕はあの保健医苦手だけどぉ」
見目秀麗な生徒が多い中で、教師の中でもとびきり美麗と謳われ人気生徒にも負けず劣らず人気な保健医・月霜雅だ。長身に色白、清純そうな黒髪に柔和な笑みを浮かべては一人また一人と生徒を陥落させていく色男。彼の容姿から抱きたいという生徒が多いものの実際、保健医はタチ喰いのバリタチである。
保健室の前までやってきた四人は扉の前で立ち止まっていた。
どこよりも静かな空気の漂うそこは教員棟と教室棟をつなぐ廊下の半ば。扉には「ただいま外出中」と札がかけられていた。
「先生、留守みたいですね」
「職員室にいんじゃね?」
「……そろそろ、僕もほっぺ辛くなってきましたぁ」
「ということで、霜月せんせーの居留守なんか無視する方向でーしっつれいしまぁす」
紅葉からでてきた居留守という言葉に驚く三人を他所に扉に手をかけ、勢いよく開け放った。
引き止める間もなく室内に踏み込んだ紅葉をまず追いかけたのは水嶋。桜宮と摂津の二人も戸惑いながらも続いていった。
「居留守使ってんじゃねーよ。エロ保健医ぃ」
「居留守だなんて、人聞きの悪いこと言うものじゃないよ白乃瀬君。それに私はこれから出かける予定だったんだから、居留守にはならないよ」
ケーキ食べながら紅茶を優雅に飲んでいる人に言われたくない。腰もしっかり据えて、立ち上がる気配すらないではないか。
相変わらず癖の強い人だ。眉間に皺を寄せれば、フォークを突きつけてにやりとそれを指摘してきた保健医に溜め息を吐きたくなった。溜め息を吐いてしまえば事が面倒になるのはわかっているので「僕は大人僕は大人」と暗示をかけ我慢して、頬の腫れた水嶋を前に差し出した。
「この子、ほっぺた熱持ってきてるから手当してあげてぇ?」
「……これまた可愛い子だね。白乃瀬君の?」
「そ。僕の親衛隊隊長さぁん。だから、ちゃーんと手当してよねぇ。あの宇宙人に殴られたんじゃ、かなり痛かっただろうし」
「宇宙人? ……あぁ、日之君ね。君も可哀想に。白乃瀬君の親衛隊をやっているからいちゃもんをつけられたんだろう?」
同情の目を向けられた水嶋は曖昧に頷く。君「も」ということは自分以外にも日之の被害にあった生徒たちがいるのだろう。
渡された氷嚢で頬を冷やしながら白乃瀬と保健医の会話に耳を傾ける。
盗み聞く気満々の摂津はメモ帳を用意してペンを走らせ、その様子に隣に立っている桜宮は呆れて肩を竦めていた。
「あ、言っとくけど、先輩に手を出そうなんて考えないでよねぇ。僕を守ってくれる大切な子なんだからさぁ」
「し、白乃瀬様……!」
「安心してくれよ。私は、私よりも高身長な子が好みだって言ってるだろうに」
「先生質問!」
「はい、摂津君」
「白乃瀬は好みじゃないんスか?」
「うーん……白乃瀬君は、もう少し背が高くて黒髪だったらドストライクだったな」
「はじめて髪染めてて背ぇ低くてよかったと思った」
背が低いとはいっても男子平均身長よりは背の高い白乃瀬。
赤く腫れた頬も暫く湿布を貼っていれば治るとのことで安堵したのはついさきほど。
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