足早に寮の部屋へと戻ってきた紅葉は非常事態とは言え、時間が押して予定が狂ってしまったことに内心舌打ちをした。 　貴重品を乱雑に鞄へ詰め込みながら実家のことを考える。酷く億劫だ。 　つい、と携帯を見れば従兄弟から到着したと連絡が入っており慌てて鞄の中に物を突っ込んでいく。 「あー……着替えないと」 　未だに制服のままなのに気がつき、面倒臭げに頭を掻いて手早くクローゼットから私服を取り出した。柔らかいジーンズ生地のパンツにグレーのシャツ。上から羽織った薄手の黒いカーディガンはお気に入りだ。 　鞄を手に取り、明かりをすべて消して部屋を出た。 「久しぶりぃモミジちゃん」 　扉を開けた先で、心底嬉しいという満面の笑みで待ち構えていた青年に思わずぽかんと間抜け面を晒す。 　刹那、身体を包み込む熱に頭の中が冷えた。 　驚き固まる紅葉を余所に、抱きつく青年はまるで恋人にでもするかのように目の端に唇を落とす。 「モミジちゃん、金髪にしたんやね。黒髪のが好きやったけど、金髪も似おうてて愛らしいよ。あ、でもお家帰ったら色戻そうな！　金髪のモミジちゃんなんて、俺は知らんし」 「ア、キ」 　喉がカラカラに乾き、何か言いたいはずなのにうまく言葉が思い浮かばない。情け無いほど掠れた声が響いた。 　モミジちゃん、と独特の愛称で呼ぶ彼は件の従兄弟の灯秋夜だ。 　頬が引き攣り、キスをされた目元が熱を持って視界がぼやけた。 「ほんまはなー今日来るつもりなかったんやけど、はよぅモミジちゃんに会いとうてしかたなかったんよ。ふうわに頼みこんで車出してもろたんやわ」 「あ、そう、なんだ」 　ニコニコと笑うその微笑がなんだか怖くて、目を合わせられない。 「紅葉君？」 　抱きつかれて身動きがとれないでいると、驚きの色を含んだ声で名前を呼ばれ、ハッと視線を向けた。呆然とこちらを見ている神原と目が合う。 　誰だと問うてくる灯の視線に答えるためになるべく心を落ち着かせて言葉を紡いだ。 「僕の、先輩だよ」 「先輩？」 「そう。風紀委員長の神原風璃先輩」 「神原……？　まぁ、いいや。俺はモミジちゃんの従兄弟しとる灯秋夜言います。よろしゅうしておくれやす」 　紅葉に向ける視線に含まれていた甘い色は消え去り、神原を見る目には突き刺す激しさが浮かべられ、ひどく冷酷な感情に包まれる。 　交わった瞳の冷ややかさに神原は言いようのない悪寒に襲われた。 　猫っ毛の黒髪に垂れがちの目。整いすぎた顔立ちは見るものに冷たい印象を与える。よくよく見れば、一つ一つのパーツは紅葉とよく似ていて、パッと見、見間違えそうになる。 「紅葉君の従兄弟……ご紹介に預かった神原風璃デス。よろしくネ？」 　薄ら笑みを浮かべた神原に眉根を寄せた灯はパッと視線を逸らして紅葉にとろける微笑で話しかけた。神原を拒絶する灯のあからさまな態度に、誰が見てもわかるほど頬を引き攣らせてしまう。 　誰に対しても甘い笑みで対応する紅葉が表情を崩すなんてどうしたのかと首を傾げるが、それ以前にまるで『俺の物』とでも言うように紅葉に接する灯に神原は目の奥が熱くなった。 　二人は本当にただの従兄弟なのだろうか。疑問が沸いてくる。 　恍惚と熱を帯びた目で紅葉を見る灯と、顔色は悪く視線の定まらない紅葉。二人の間には何かがある。どうしてか無性に気になった。 「で、灯クンはどうしてここに居るのカナ？　一応、学園関係者以外の立ち入りは禁止になってるんだけど」 「はァ？　そんなんあんさんに関係ないやろ」 　カチンとくる物言いに厳しい目つきで灯を睨めつける神原に冷や汗が止まらない。下手なことを言わないでくれと胸中で祈り、ここで灯の機嫌を損ね、後からと受けるばっちりのことを考えるとさらに顔色が悪くなった。 　昔から灯は癇癪を起こしやすい子供で、成長した今では落ち着いたところもあるが根本的には変わっていない。気に入らないことがあればすぐに手を出してしまう我が儘具合にはいつも困らせられていた。 「それに俺、来学期ここに転入する予定やから、部外者ちゃうわ」 　腕の中から紅葉を開放し、間を遮るように神原の前に立ち塞がる。 　鼻で笑い、挑発する灯の高圧的な言葉に神原の眼差しがさらに険しさを増す。 「……アキ、行かないと」 　ここで二人が衝突するのはあまり良くない出来事だと判断をした。短く息を吐いて優先すべきことを口にした。 　灯の腕を無理矢理引いて歩き出す。 「ごめんね委員長ぉー。僕たち急いでるから」 「えっちょ、紅葉君！？」 「またねぇ」 　ひらひらと手を振り、返事も聞かないうちに背を向けてしまえば神原は何も言ってこなかった。 　灯は機嫌悪そうに眉根を寄せ、むっつりと口を噤んでいる。神原でこの様子では、きっと神宮寺とも衝突するだろう。来学期なんてこなければいいのに。