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熱の入ったラジオ体操を終え、係や役員生徒が競技の準備に取り掛かるのを横目に溜め息を吐いた。
「会計様ぁー! 僕頑張りますねー!」
「あっ抜け駆けするなよ!」
太陽に照らされる下で出場生徒の名前が書かれた紙を挟んだバインダー片手に佇んでいた紅葉に、生徒たちが声をかける。額には白色の鉢巻を巻き、小麦色に焼けた健康的な肌に汗を浮かばせて満面の笑顔を向けられた。
元気だなぁとジジくさい思考に苦笑した。
「せっかくの体育祭なんだから喧嘩しないの」
「……はぁい」
「……すみません」
「仲良き事はいい事だよぉ。頑張ってと言いたいどころだけど、君たち月白組でしょー?」
敵を応援するわけにもいかないじゃん、と首にかけていた緑の鉢巻きを見せる。
えっ、と目を見開き、緑の鉢巻きを凝視した二人に首を傾げた。
「僕、紺碧組なんだけどなぁ」
「えっ!?」
案の定、今の今まで月白組と思われていたようだ。
役員が所属する組は前もって掲示板に貼って知らされているはずなのだが、どういうわけかほとんどの生徒に月白組と勘違いされている。会計親衛隊員にすらも勘違いされていたことには声に出して驚いてしまった。
朝から「月白じゃないんですか!?」と言われすぎていてそろそろ否定するのも疲れてきた。鉢巻の色が見えないのかと声を荒らげたくなってきている。いっそ「月白組です」と肯定してしまったほうが早いような気がする。
「同じ組だとてっきり……」
「うーん、なんでみんなそう思うかなぁ。鉢巻き見ればわかるのに。てか掲示板にも貼ってあったはずなんだけど」
「俺たちは掲示板見てないからあれなんですけど……なんていうか、最近ずっと一緒にいるの見てたんでそのせいもあるんじゃないかと」
「誰と、とは聞かないでおくよ」
聞かなくても誰かなんてわかっている。
苦い表情でチワワ二匹を見送った。件の男は自分のお仕事に勤しんでいることだろう。
スタート待ちをしている生徒の誘導と、案内をするのが紅葉の役割だ。手に持っている板には徒競走に出場する生徒の名前が綴られている。クラスメイトの名前もちらほらあった。
校庭のトラック内では同時進行で玉入れが行われている。それが終わり次第綱引きだ。
運営スタッフたちは特別免除としてひと競技だけに出場する。紅葉が出場するのは借り物仮装競争だ。生徒会役員としての仕事もあり、紅葉も同様にひと競技にだけ出場するのだが、それが何よりも嫌で嫌で仕方ない。去年と同じ競技だが、今年もだなんて最悪だ。ズル休みしたいくらいには嫌だ。
午前の部をシメる競技として伝統競技に含まれているが、あんな悪趣味な競技が伝統競技で良いのだろうか。甚だ疑問である。
パアン、と第六走者がスタートする。一年生と二年生合同の走者だ。あと二走者が走れば徒競走も終了で、玉入れも終わり次第結果発表して次の競技である。
「第七走者は前に出てくださーい!」
声を張って生徒たちを促した。
徒競走は小柄な生徒(親衛隊)が多く、「会計様のお手を煩わせない!」と自主的に動いてくれるからとても助かった。距離が近くなるほど生徒たちはアイドルに接するかのように黄色い声を上げるのだが、そろそろ反応するのにも疲れてきた。おざなりに手を振っていれば、見知った顔が苦笑いをした。
「白乃瀬」
「え、副会長、徒競走だったの?」
「まぁね」
「てっきり同じかと」
「まさか! 去年と同じ轍は踏まないさ。あらかじめ立候補していたんだ。うちのクラスは雅人が出ますよ」
宮代も去年は辛酸を舐めさせられた同士である。
琥珀色を大きく見開いた。てっきり神宮寺は対抗リレーに出るものと思っていたのだが、なんとつい先ほど足を痛めてしまい、今は保健医のところに行っているんだとか。神宮司が一番張り切っていただけになんだか微妙な心境だ。
苦笑を浮かべて、宮代は紅葉の頭を撫で付ける。風で乱れた髪を直すように、柔く手のひらが滑った。
「自業自得ですよ。ほら、団長は三学年から選ぶって決まってるじゃないですか。雅人は自分がやりたかったって拗ねて、それで自棄になった結果です。白乃瀬はこれまでのこともあるでしょ、ざまぁみやがれ、くらい思ってもいんですよ」
「いや、さすがに……人が怪我して喜ぶ性癖はないかな」
「そうですか?」
あなたなら違和感ないですけど、と付け加えた宮代に嘆息する。どういうイメージだ。そんな捻じ曲がった根性はしていない。
「ところで、」
「こんどはなに」
「風紀委員長とはどうなったんです?」
息が止まった。不意打ちでの問いかけは本当にやめて欲しい。まともに言葉を紡げずにいる紅葉に、揶揄い微笑う宮代はとても悪い顔をしている。
相変わらず、意地が悪い。苦虫を噛み潰した顔で睨みつける。余裕の態度を崩さない彼が恨めしい。
周りの生徒たちははらはらとふたりを見ている。間に入ろうか、どうしようか、一介の親衛隊が口を挟むわけにも、ただの一般生徒が割って入れば制裁の的だ。決して良い風習ではないが、根強いそれを改めるには何もかもが足りなかった。
「……委員長さんとは、なーんにもないよ」
「嘘おっしゃい。それに名前で呼ばなければお仕置きされるんでしょ」
「本人がいないんだからどう呼んだって関係ないじゃん。嘘なんて言ってない」
「風紀委員長があんなに好き好きアピールしてるのに?」
「ぐっ……それでも、僕のほうがなんともないんだから、以前と変わんないでしょ」
「――ほんとうに?」
言葉に詰まった。
本当なんて、そんなわけあるか。何かあるたびに「紅葉、紅葉君」と華やかな笑みを浮かべて、懐いた犬のように距離を縮めてくる。拒否されることを恐れていない、絶対的な自信に溢れた神原に辟易としていた。
なぜ僕なんだろう。他にもっと魅力的で、気持ちにまっすぐ応えてくれる人だっているだろうに。
言ってしまえばストーカーじみた行動を取る神原だが、それをあえて咎めようとも思わなかった。絆されているなんて、紅葉は頑として認めない。
どっちつかずで、周りから見ればやきもきするだろう。神原の気持ちにも応えず、自分の気持ちも明確に表さないのだから。それでも、神原は好いてくれる。
「いい加減、委員長も可哀想で、」
「――ああ、ほら、副会長の番だよ。早く前出てよ」
「ッ……あとで覚えていなさい」
そうして、思考することを放棄した。
噛み付いてくる宮代をひらひら手を振っていなして自分の役目に戻る。急かされているのは重々承知だ。風紀委員長の元親衛隊に睨まれているのも理解している。
万が一が起こらないように、宮代が口を挟んでくるのもわかっている。
行動に起こせないのは、ただ単に紅葉に勇気が足りなかった。背中を押すだけじゃ足りない。手を引っ張ってくれないと、「大丈夫」と安心させてくれないと足を踏み出すことは難しかった。
「上の空だね」
背後から腕が伸び、からめとられる。
「――風璃さん」
「どうしたの紅葉。のぼせた? 具合悪い? 大丈夫?」
「……あなたのことで悩んでたんですよぉ」
「俺のこと考えてくれてたんだ。嬉しいなぁ」
赤い紅茶色の瞳が太陽の輝きを吸収してきゅるりと光る。目を細めて、薄く笑みを浮かべる。つられて、笑みを零した紅葉はふっと言葉が溢れてしまった。
「風璃さんって、ほんとに僕のこと好きなんですねぇ」
クスクスと、喉を転がして笑う紅葉に目を見張った神原は続きの言葉を待った。
「僕も、」
「……紅葉君?」
「ううん、ごめんね、なんでもないや」
最後に浮かべた、悲しい微笑に泣いてしまうのではないかと思った。
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