54 / 82

052

 椿の間は本邸の裏、隔離された離れの中にある。 「かわいい弟がいってしまった」 「心が悲鳴をあげている」 「あの子は、きっと水神様に気に入られるだろうね」  木の組格子に囲われた椿の間に住まうのは三つ子の男女だ。  真っ白な髪に赤い瞳のアルビノが三人。ひとりは本を読み、ふたりは花札をしている。猪鹿蝶、四光とどんどん役を作っていくのに対し、もう片方は苦虫を噛み潰して手札を眺めた。 「俺たちは入ることすらできなかったのにね。あの子は急かされるように引きずり込まれたよ」  本を手にしている男だが、目をどこか遠いところを見つめ、いつまでたっても本の頁は捲られることがない。  大切な弟を思い赤い瞳は鈍い色を放つ。  つらいくるしいいやたすけてしにたくないよしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしに  留めない負の思いが、頭の中を駆け巡った。 「紅葉……っ」  突如流れ込んできた弟の感情に目を剥いた男は口の中に広がるすっぱい味に体を二つに折った。  口元を手で抑えるが、指の隙間から吐瀉物が落ちていく。 「うっ……ぇ、ぐ……!」 「紫葉、ふきんもらってきて」 「わかったよーう」  花札で負けていた女、三つ子の末・紫葉(ゆかりは)がのんびりとした足取りで部屋を出て行った。  餌付く兄の背中をさすりながら、黄葉(きよう)は気になっていることを聞く。 「何が視えた、蒼葉(あおば)」 「暗い、囚われた想い。……紅葉はつかまった。水神の姿が一瞬だけ」  絶句した。  弟は、紅葉は水神に気にいられるだろうことは分かっていた。  小さい頃から『そういうモノ』によく好かれる子だった。外から帰ってくれば匂いに釣られた幽鬼から妖怪まで様々な存在を背中にくっついているなんてザラなこと。一番驚いたのは中学生三年の夏休み、右手に天狐、左手に鬼神を連れて帰って来たことだろうか。 「……紅葉は」 「わからない。多分、まだ水の中だ。冷たいって言ってた。苦しいって。……痛いがよくわからない」  手の甲で口元を拭う。  息を整える蒼葉を横目に黄葉は顎に手を当てて考え込む。考えるのは苦手だ。 「ただーいま。桶に水も張ってもらっちゃった」  平淡ながらも独特の喋りの紫葉が戻ってきた。  ぐったりとする蒼葉の口元を濡れたふきんで拭い、畳を拭く。  今まで口を閉ざしていた黄葉は聞く。この中で紫葉が一番頭の回転が速いのだ。 「なぁ、紅葉の『痛い』てなんだと思う?」 「はぁ? 痛い? ……普通に、痛いんじゃないの?」 「……意味わからん」 「紅葉の中は穢れてるわけじゃん? その穢れてるとこに清い水神様が入ったらどうなると思う?」  暫しの沈黙の後、蒼葉が頷いた。 「そういうことか」  紅葉の中で穢れと水神が反発を起こし、弟の命が削られていっている。  白乃瀬家は水神を奉る神社を取りまとめる、千年宮に仕える一族だ。出雲国造の直系である小鳥遊氏と四月一日氏の男と女の間に生まれた嫡男が名乗ったことから始まる。  しらのせ。白は何もないまっさらな無を表し、乃はなんじ、瀬は河川を表すことから、「お前をまっさらなものへと流し清める」一族とも言われている。  かつて千年宮の宮司を務めた四月一日家に変わり宮司を務める白乃瀬家の次期当主・宮司が紅葉になる。白乃瀬家の補佐役には四月一日家次期当主である誉が。

ともだちにシェアしよう!