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 現在トップを走るのは烈火組。 「昼は水嶋センパイと食べる約束してたんですけどぉ」  頬杖をついて、溜め息を吐き出した。 「お昼休みくらい俺にくれてもいいじゃん。最近紅葉君かまってくれないんだもーん。俺ちょー寂しかったんだよ?」  憂いの表情で眉根を下げる神原に息が詰まる。  くぅーん、としょんぼりした大型犬に見える。くそ、僕は猫派なのに。 「しかたないじゃん、忙しかったんだから」 「忙しかったって言っても限度があるでしょ。紅葉君、明らかに俺のこと避けてたよね」  しょんぼり耳の垂れていたわんこから打って変わった鋭い眼光にそれこそ息が止まりそうだ。責めるような視線に胃の奥がキリキリと痛んだ。  避けていただなんて、そんなはずない。避けようにもどうしてか行く先々に先回りした神原がいるし、生徒会業務が忙しかったのも本当だ。体育祭の準備と、部活動の四半期予算実績の確認でてんてこ舞いだった。数学は好きだが、数学が紅葉のことを好きではない。一方的な片思いである。つらい。  体育祭が終われば、体育祭で使用した物の会計処理だったりなんだったりが待っている。それを思い出してげんなりした。 「俺がいるのに考え事?」  ずい、と。目の前に寄せられた顔に目を瞬かせる。汗をかいていても整った顔だことで。なんとも羨ましい。  照りつく太陽の下で厚くて重たい衣装を着た全身は汗でべとべとだ。今すぐにでもシャワーを浴びたいがそうは問屋が許さない。涼しい場所に避難しようとしたところを神原に捕まってしまい、引き摺られるようにして食堂に二階に連れてこられたのだった。 「考え事するのに、委員長が関係あるんですかぁ」  ――煽っている自覚はある。  自分の好きな人が、自分と一緒にいるというのに上の空だなんてイヤに決まっているだろうに。神原は面と向かって紅葉に告白をしているのだ。それなのに紅葉と来たら上の空で、神原のプライドを刺激しているに違いない。 「紅葉君の癖に生意気。――油断してると食べちゃうよ、って言ってるのに」  どこか、嗤いを含んだ声だ。  ぼんやりと、忙しなくフロアを移動するウェイターを眺めていた視界を大きな手のひらに遮られる。  ちゅっ、と軽いリップ音を立てて、視界が明るくなる。離れていった神原に脳みそが理解することを拒否した。  琥珀色に光が反射してキラキラと煌く。  紅葉たちふたりを中心にざわめきが広がった。  柔らかくて、ちょっとだけしょっぱい。ほのかに苦い味だった。金魚みたいに口をぱくぱくさせて言葉を紡げずにいると細長い指先に赤い唇をつままれた。柔らかい感触が気持ちよくて、何度もふにふにと指を動かす。 「紅葉君が好きだよ」 「ッ!」  頬から、全身に赤が広がる。逆上せたとか、暑いからとか言い訳できないくらい、顔が真っ赤だった。  誰が、どう見ても、紅葉の気持ちは明白だ。  幸せに溢れた顔で微笑う神原と、赤面して俯いてしまう紅葉。想い合っているのだと、第三者が見てもわかるのに紅葉は違うと首を横に振る。委員長のことは好きだけど、LoveじゃなくてLikeだとか、先輩として尊敬し憧れているのだとか。しどろもどろな言い訳を重ねるが、その表情でバレバレなのに。  宮代は最近口癖のように言う。「好きなら付き合えばいいのに」至極真面目に、純粋な子どもみたいな顔をして言うのだ。  好きなら、付き合う。それができればどんなに楽だろう。どれだけ生きやすいだろう。 「紅葉君は?」 「ぼくは」 「俺のこと好き?」 「す、」  言ってしまってもいいかな。揺らいだ心は、騒がしい声に掻き消された。 「紅葉! ここにいたんだな!」  声に振り向き眉根を寄せた。  満面の笑みで、駆け寄ってくるのは日乃だ。珍しく取り巻きは居らず、ひとりだった。ここ数週間はすっかり大人しかったが、悪気のない無邪気な様子は健在だ。食堂の二階が役員専用席だというのは以前教えたはずだが、そのすっからかんな頭で覚えることは不可能だったらしい。  嬉々とした様子で駆け寄ってくる日乃の雰囲気はどこか以前とは違っていた。 「紅葉!! 軍服すごいカッコよかった! まるで王子様みたいだったな!!」 「……そ、う。ありがとお」 「オレはリレーとかに出るんだ! 一位取るから見ててくれよ!」  大声がうるさいし、距離が近い。大口を開けて喋るから、唾が飛んできそうだ。  言ったはずだ、名前で呼ぶな、と。表情に嫌悪感が滲んだのを見てか、それとも単に嫉 妬心からか、近い距離をさらに詰めようとする日乃の前に長い腕が飛び出した。 「キミさぁ、紅葉君が迷惑がってるのが分からない? つーか、何回も注意したはずなんだけど」 「ッあ、かざ、あ、え……神原せんぱい」  どうしたわけか、喜色満面だった日乃は一気に顔色を青ざめさせると挙動不審に視線をさまよわせる。思わぬ様子に神原を見た。いつも飄々とした笑みを浮かべている顔は、顰められ、瞳に冷たい色を浮かべている。  日乃が謹慎処分になる直前に、風紀委員とごたごたがあったと耳にしていたが、それに風紀委員長たる神原も関わっていたのだろうか。その際に、何かあったとしか考えられない。  風紀委員会から日乃への印象はゼロ、むしろマイナスを切っているが日乃から風紀委員会――主に顔が良い生徒への印象はプラス百くらいだったはずだが。今現状、日乃は神原に恐怖心を抱いている。怖いもの無しの日乃が恐怖を抱くなんて一体何があったのか。気になるところではあるがつついた藪から蛇が出てもイヤだ。触らぬ神に祟り無し。神に仕える身としては、これほど真に近いことわざはないと思っている。 「なんで、なんで紅葉に近づいたらダメなんだよ!! いいじゃんか! オレは紅葉が好きだ!! なんでそれを神原センパイにダメって言われなきゃいけないんだよ!!」 「高校生にもなって子どもみたいな癇癪やめたら? 見っともねぇっつの。紅葉君が嫌がってるから近寄るのをやめろって言ってんだよ。その大口で喋るのも見っとも無い。ルールを守れない癖して自分の意見を押し通すなんて社会人として言語道断。まずさァ、好かれたいなら好かれる身形をしたらどーなわけ。そのもっさい髪なんてフケだらけで油っぽそーだし、紅葉君の衛生面が心配になる。精子から産まれなおして来いよ」 「……ッ!! なん、でっ!」  今までにない口撃に自分が言われたわけじゃないが頬が引き攣った。  鬼と恐れられる神原だが紅葉に対してその面を見せたことはない。初めから今の今まで『優しい神原風璃』でしかない。 「――なんでだよ。紅葉は、オレと一緒なのに!!」  どこか、虚ろだった。  髪で見えないはずなのに、まっすぐに紅葉を見つめてくる。強すぎる視線は紅葉に釘付けで、そのほかのものなんて眼中にない。  背筋が粟立つ。寒気がして、鳥肌が立った。 「紅葉君をキミなんかと一緒にするんじゃねえよ」  パン、と手を打ち鳴らした神原に、どこからともなく「風紀」の腕章をつけた生徒が現れる。総じて顔色は青い。 「そいつ見張っとけって言ったよな」 「す、すみません!」  犬でも追い払うかのように手を払い、風紀委員に指示を下す。生徒会長とはまた違う、上に立つ者としての風格があった。  いずれにしろ、日乃の問題はそろそろ解決しなければならない。体育祭が終われば、本格的な受験・就職活動シーズンだ。三年生はピリピリし始める。そんな中で日乃が大騒ぎをしていれば先輩方のメンタルに負荷がかかるだろう。  過ごしやすい学園生活、自主自立した生徒の輪を乱す異分子は排除しなければいけない。

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