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エピローグ:タロの回想

僕が捨てられる前のことは、まだ小さかったこともあって、あまりよく覚えていない。 ただ、僕と同じ黒柴のお母さんと黒や茶色の兄弟たち、その他にも何匹かの柴犬が、大きな部屋を板と柵で仕切ったところにいて、時々そこに人間が出入りしていたのを、なんとなく覚えている。 僕は赤ちゃんの時から体が小さくて、お乳も他の兄弟たちに押されてうまく飲むことが出来ず、いつもお母さんに心配されていた。 今にして思えば、そんなふうにして体が小さくて弱かったから、僕は捨てられたのだと思う。 ―――――――――――――――― 気付くと僕は、お母さんや兄弟たちから離されて1匹だけダンボールに入れられ、小さな神社に置き去りにされていた。 寒くて寂しくてお腹が空いてキュウキュウ鳴いていると、ふさふさした尻尾がたくさん生えた狐がやってきた。 そして、僕をそっと咥えて建物の縁の下に連れていくと、その狐はお腹を空かせた僕にお乳をくれた。 その狐は僕のお母さんと同じくらい優しくて暖かくて、僕は安心して、その狐のお母さんの側で数日間を過ごした。 これは後でノリさんから聞いた話だけど、その時に神様である狐のお母さんのお乳をもらったことで、僕はほんのちょっぴり神通力を得ることができたらしい。 そのおかげで僕は捨てられる前よりも体が丈夫になったし、普通の犬より頭も良くなって、人間の言葉が理解できるようになったそうだ。 ―――――――――――――――― そして狐のお母さんの側で過ごし始めて数日後、急に狐のお母さんがキュウキュウと僕にそっくりの声で鳴き始めた。 「どうしたの?」 僕が狐のお母さんにたずねたその時、外から人間の女の人の声が聞こえきた。 「あら、子犬?  どこから聞こえるのかしら」 その声が聞こえると、狐のお母さんは僕のお尻を鼻でぐいぐいと押して、僕を縁の下の外に押し出してしまった。 「あらあら、こんなところにいたのね。  もう大丈夫だからね」 そう言うとその女の人は、僕をそっと抱き上げた。 「お母さん!」 僕は狐のお母さんから離れたくなくて、大声でお母さんを呼んでジタバタと暴れたが、お母さんは優しく微笑むだけだった。 「怖がらなくてもいいのよ。  おばさんはね、捨て犬の飼い主を探すボランティアをしているの。  あなたにも、きっといい飼い主を見つけてあげるからね」 どうやら、女の人には狐のお母さんの姿が見えていないらしい。 すぐ目の前にいる狐のお母さんにはまるで気付いていない様子で、僕に話しかけている。 「お母さん!」 もう一度叫んだ僕に、狐のお母さんは優しく語りかける。 「いい人間に飼ってもらって、幸せになるのですよ」 微笑みながらそう言ったお母さんの言葉は、いつまでもいつまでも僕の耳に残っていた。 ―――――――――――――――― その後、僕は女の人に捨て犬保護のNPOに連れて行かれ、しばらくそこで世話をしてもらった後、他の捨て犬たちと一緒に保健所の捨て犬譲渡会に行くことになった。 そしてそこで僕は、僕のご主人様になる人に出会ったのだ。 その男の人が部屋に入ってきた時、他の犬たちはなぜかいっせいに吠え始めたのだけれど、僕だけはその人の匂いが気になって、その人について行った。 その人の足元に近づいて匂いを嗅いでみると、人間の男の人の匂いの他に、狐のお母さんとよく似た匂いがした。 その人に抱っこしてもらえたので胸に顔をこすりつけてみると、犬のお母さんや狐のお母さんとは違う固い胸だったけど、それがなんだかすごく頼りになりそうで、お母さんたちとは違う意味で安心できた。 その男の人は僕のことをかわいいと言ってくれて、そして僕の体が小さくて足が1本だけ黒いから捨てられたのだと知ると、怒りをこらえた様子で「そんなことで……」でとつぶやいた。 どうやらその人は大きな体の見た目によらず、優しい心の持ち主らしい。 狐のお母さんが言っていた「いい人」というのは、きっとこういう人のことを言うのだと思った。 この人に飼ってもらいたい、と僕は直感的にそう思った。 そうしたら、なんとその人の方から、僕に「俺と一緒に暮らしてくれるか?」と聞いてくれたのだ。 僕は喜んで「ワン!」と返事をして、そうして僕は無事その男の人に飼ってもらえることになった。 ―――――――――――――――― ご主人様の家に連れて行ってもらうと、そこには驚いたことに狐のお母さんのお社があって、お社を通じてお母さんが僕に話しかけてきてくれた。 この家は昔、狐のお母さんがまだ神様になる前、家族と暮らしていた家があったところらしい。 もう二度と会えないと思っていた狐のお母さんと話ができて、僕はびっくりしたけどうれしかった。 お母さんもこの偶然に驚いていた。 それからも狐のお母さんは、お社を通じて僕と話をしたり、時々会いに来てくれたりした。 ちなみに狐のお母さんの姿は、ご主人様にも見えていないみたいだ。 狐のお母さんの本当の息子で神使のノリさんも、人間の姿で月2回のお祭りに来たり、猫の姿で僕の様子を見に来てくれたりした。 ご主人様は、一緒に暮らしてみると、最初の印象通りに頼りがいがあってすごくいい人だった。 毎日僕にきちんとエサをくれるし、散歩に連れて行ってくれたり遊んでくれたりもするし、毎日僕のことをかわいいと言って、いっぱいなでてくれる。 ご主人様の大きな手でなでてもらうのは、うれしくて気持ちがよくて、僕はご主人様になでてもらうといつも自然と尻尾を振ってしまう。 ご主人様と暮らす毎日はすごく楽しくて幸せだったけれども、僕には一つだけ心配なことがあった。 それはご主人様がご飯をちゃんと食べなかったり、夜あまり眠らなかったりして、自分の体を大事にしないことだ。 特にひどいのはお仕事が忙しい時だけだけど、そんな時もご主人様は自分のことは適当なのに、僕の世話だけはきちんとしてくれるのだ。 しかも、散歩の時、時間がなくていつもの散歩コースを走って行って帰ってくるので、「ゆっくり散歩できなくてごめんな」と、僕に謝ってまでくれる。 僕としては散歩なんかいいから、それよりもご自分がちゃんと食べて寝てくださいと言いたくなるのだが、悲しいことに僕は犬なので、それをご主人様に伝えることができない。 それならせめて、忙しいご主人様のお手伝いがしたいと思うけれども、犬の僕にはやっぱり何もできないのだ。 僕が犬じゃなくて人間だったら、ご主人様にご飯を食べてくださいと言えるし、僕がご主人様にご飯を作ってあげることだってできるのに。 ……あ、そうだ! 本当の人間じゃなくても、ノリさんみたいに人間に変身できたらいいんだ! そう思いついた僕は、狐のお母さんにどうすれば人間に変身できるのか、相談してみることにした。 「そうですね……あなたが私の神使になって私のために働いてくれるというのなら、あなたに人間に変身する力を授けてあげましょう」 「本当ですか?!」 「ええ。  けれども神使になると、あなたは普通の犬ではなくなるのですよ。  永遠の命を得て、この先いつまでもずっと、私に仕えなければなりません。  それでもいいのですか?」 「はい、いいです!  僕、狐のお母さんのこと大好きですし、お母さんにお仕えできるなら、お母さんに助けてもらったご恩返しもできるし、ちょうどいいです」 今にして思うと、その時の僕はまだ子供で、永遠に生きるということの意味はよくわかっていなかったと思う。 けれども、その意味がわかった今でも、僕はあの時、狐のお母さんに神使になると答えたことを後悔してはいない。 そしてたぶん狐のお母さんには、僕が永遠に生きる意味を理解していないことがわかったのだろう。 お母さんは僕をすぐ神使にするのではなく、僕に考えるための時間を与えるために、こんな提案をしてきた。 「そうですね……あなたはまだ子犬ですし、いきなり神使の力を与えても力が強すぎて体がついていけないかもしれませんから、とりあえずは神使見習いということで、人間に変身する力だけを授けましょう。  最初のうちは短い時間しか変身出来ませんが、あなたが神使見習いのお仕事を頑張ってくれたら、少しずつ力が強くなって長い時間人間でいられるようになりますからね」 「ありがとうございます!  あ、ところで神使見習いのお仕事って何をすればいいんですか?」 僕がそう聞くと、狐のお母さんはにっこりと微笑んだ。 「簡単なことですよ。  あなたと、あなたのご主人様が毎日幸せに暮らせるようにがんばること。  それがあなたの神使見習いとしてのお仕事です」 「ええっ、そんなことでいいんですか?」 「ええ。  この家は私にとっては大切な場所で神域ですから、ここで暮らす者が幸せでいることは、私にとって力になるのです。  ですから、あなたとあなたのご主人様が幸せに暮らせるようにすることが、私の役に立つお仕事なのですよ。  正式な神使になったらもっと他のお仕事もしてもらいますが、とりあえず見習いのうちは、そのお仕事をしっかりやってください」 狐のお母さんの言葉に僕は納得してうなずいた。 「わかりました!  だったら、僕はもう十分過ぎるくらい幸せですから、ご主人様が幸せになれるようにがんばりますね!  僕、ご主人様のご飯を作ってあげたりお世話をしたいと思っていたので、ちょうどよかったです」 そうして僕は狐のお母さんの神使見習いにしてもらい、人間に変身する力を授けてもらったのだった。 ―――――――――――――――― 僕の神使見習いとしての毎日は順調だった。 僕はそれまでも十分幸せだと思っていたけど、人間に変身してご主人様とお話ししたり一緒にご飯を食べることができるようになって、前よりももっともっと幸せになった。 ご主人様の方も人間に変身した僕と一緒に過ごすことを幸せだと思ってくれたみたいで、僕の力は順調に強くなっていった。 ご主人様の前の恋人の光さんがうちに来た後、僕は幸せじゃなくなりかけたけど、その後いろいろあって、ご主人様に好きだと言ってもらえて恋人同士になることができたので、それまで以上に幸せになった僕の力はどんどん強くなり、そしてついに正式な神使になることができた。 ノリさんが僕が神使になったことをご主人様に説明してくれた後で、ご主人様に神使になれるほど力が強くなるためにどうがんばったのかと聞かれたけれど、僕はそれはやっぱり内緒のままにしておくことにした。 そのことをご主人様に教えてしまうと、ご主人様は優しい人だから、僕を立派な神使にするために、僕を幸せにしようとがんばってしまう気がするからだ。 ご主人様がそばにいてくれて僕のことを好きでいてくれるだけで僕は幸せだから、2人がもっと幸せになるためにがんばるのは僕だけでいいのだ。 だから、これからも、僕の力が強くなった理由は、ご主人様にはずっと内緒にしておくつもりだ。 これからも僕は、ご主人様と2人でこの家で暮らして、もっともっと幸せになって、ご主人様にも幸せになってもらって、神使のお仕事をずっとがんばっていきたいと思う――もしも、ご主人様も狐のお母さんの神使になってくれたら、それこそ、いつまでも永遠に。

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