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稲荷神社御由緒

神社にタロを迎えに行くと、タロは総代役員さんと立ち話をしていた。 この役員さんは、何代も続くこの地域の地主の家系で、今はマンションや貸しビルからの収入で悠々自適の生活をしているので、よく神社に顔を出して何かと手伝ってくれているらしい。 「ああ、松下さん、こんにちは。  今、太郎くんとこの神社の御祭神について話していたところだったんだ。  松下さんは、この神社の神様が本当はお稲荷さんじゃないって、知っているかい?」 「ああ、はい。  確か化け狐が神様になったんでしたっけ?  あまり詳しいことは知りませんが」 「そうか。だったら詳しく教えてあげよう」 そう言って役員さんは俺とタロをベンチへ誘うと、こんな話をしてくれた。 ———————————————— むかしむかし、と言っても江戸時代の中頃の話だ。 その頃はこの辺りもまだ田舎で、小さな村と田んぼと畑があるだけだった。 その村のはずれに、いつの頃からか、1匹の雌狐が住み着いた。 その狐は9本の立派な尻尾を持つ、妖力の強い化け狐でね。 美しい人間の女に化けては、近くを通る男を騙して精力を吸い取っていた。 狐に精力を吸い取られると体が弱って何日も寝込んでしまうし、狐が出るという噂が広まって人の行き来も減ってしまったので、村人たちはたいそう困っていた。 そんなある日、村に旅のお侍が訪れた。 お侍は村人たちの話を聞き、その狐を何とかしてやろうと、狐が出る村はずれに行った。 すると案の定、美しい女がお侍の目の前に現れた。 ところがその女は、お侍に話しかけるでもなく、ぼーっと突っ立ったまま、頬を赤らめている。 ……そう、なんとその狐は、畜生の身でありながら、お侍に一目惚れしてしまったんだよ。 そのお侍は言い伝えによれば、たいそうな美青年だったそうだからね。 狐はよほどお侍に夢中になっていたのか、そのうちに狐の耳と9本の尻尾がにょっきりと出てきてしまった。 化け狐が本性を現し、おまけに隙だらけなのだから、その場で刀で斬ってしまえばよかったのに、お侍の方もそんな狐の様子を見て思うところがあったらしい。 お侍は狐に向かって「そのように悪いことばかり続けていては、狐と言えども死んだ後地獄に落ちてしまうだろう。いや、もしかすると生きながら闇に堕ちて、自らの意識も保てないような得体の知れないものになってしまうかもしれない。今ならまだ間に合う。どうかその美しい瞳の輝きが消えてしまう前に、このようなことはやめてはくれないか」と熱心に説得した。 狐は悪いことをしている自分を責めるのではなく、自分のためを思って言ってくれているお侍の言葉に感じ入り、はらはらと涙をこぼした。 狐が泣きながら「あなた様にそこまで言っていただいて、私も改心したいとは思いますが、私はこのような(あやかし)の身の上ですので、人の精を吸わねば生きていくことができないのです」と言うと、お侍は「そうであったか。それならば村人たちではなく、拙者(せっしゃ)の精を吸えばよい。なに、拙者は人一倍体力には自信があるから、多少精を吸われたところで寝込むようなことはあるまいよ」と言った。 そうして、お侍と狐は夫婦(めおと)となり、村はずれに家を建てて住みはじめた。 お侍は狐に言った通り若くて体力があり、また狐の方も惚れた相手の精力を吸い過ぎないように注意していたので、お侍が寝込むようなことはなかった。 狐は人をだますために使っていた妖力を、村のために使うようになり、村に来た盗賊を大きな化け物に化けて追い払ったり、飢饉の年に村中の田んぼの米を実らせたり、川の氾濫から村を守ったりした。 村人たちはたいそう狐に感謝し、その感謝の気持ちから力を得たおかげで、やがて狐はお侍の精力を吸わなくても生きていけるようになった。 そうして狐とお侍は村で幸せな時を何十年か過ごしたが、そのうちにお侍は寿命が来て死んでしまった。 狐は三日三晩嘆き悲しみ、4日目の朝、お侍の墓の側で狐の姿に戻って冷たくなっていた。 村人たちは狐をかわいそうに思い、またそれまで村を守ってくれた狐への感謝の思いもあり、その狐を村の守り神として(まつ)ることにした。 ただ、その村は狐のおかげで災害に会わず、近隣の村から妬まれていたこともあり、元化け狐を大っぴらに神様として祀れば、お上に言いつけられて咎めを受けるかもしれないということになり、表面上は同じ狐がお使いのお稲荷さんを祀るということにして、神社を作ったんだ。 そういうわけで今でもこの神社は稲荷神社だし、表向きには稲荷大神(いなりのおおかみ)が御祭神ということになっているが、本当はその化け狐がこの神社の御祭神で、この辺りに住んでいる人はみな小さい頃に親や近所の年寄りからその話を聞かされてそれを知っていて、その上でこの神社を大切に思っているんだ。 ———————————————— 「どうだい、なかなか面白い話だろう。  あ、そうだ、この話、人に話すのは構わないけど、紙に書き残したり、今流行りのSNSで書いたりしないでくれよ。  昔からの決まりで『口伝に限る』ということになっているからね。  その決まりさえなければ、面白い話だから本にでもしたいんだけどなあ」 地域の歴史研究家でもある役員さんは、少し悔しそうだ。 「その狐、すごいですね!  化けるだけじゃなくて、洪水から村を守ったりもできるなんて」 尊敬する神様の昔の話を聞いたタロは、目をキラキラさせて興奮した様子だ。 「まあ、ただの言い伝えだけどね。  それでも、この辺りの年寄りには本当に狐の神様を信じている人も多いよ。  なんか、大正時代の震災でもこの辺りは被害が少なかったとか、戦時中の空襲でも焼夷弾の大半が不発だったとかいうことがあって、今でも狐の神様がこの地域一帯を守ってくれているんだってね。  最近だと、バブルの頃に商店街の土地を狙っていた地上げ屋のヤクザが、いつの間にか来なくなってたなんて話もあったな。  まあ、実際には神様のおかげなんてことはなくて、全部たまたまなんだろうけどね」 そう言って役員さんははははと笑ったけど、実際に神様がいることを知っている俺には、とてもじゃないけど笑えなかった。 それだけ強い力がある神様なら、タロに人間に変身する力を与えたり、畑の野菜を急速成長させるくらいのことは、きっと簡単なことだっただろう。 「それじゃあ」と言って役員さんが行ってしまうと、いつの間にか佐々木さんが側に立っていた。 「宮司さん!  さっき総代役員さんから神様のことを聞いてたんです。  神様って、やっぱりすごいですね!」 「ああ、私もだいたいのところは聞いていましたよ」 「佐々木さん、さっきの話、本当なんですか?  洪水を防いだとか、焼夷弾を不発にしたとか……」 俺が恐る恐る聞いてみると、佐々木さんはなんでもないことのように笑顔で答えた。 「ええ、本当ですよ。   母は元々狐としては最上級の妖力を持っていましたから、神格化してもそれなりに強い神通力を得ることができたんですよ。  まあ、焼夷弾は私も手伝わされたんですけどね。  次々落とされる焼夷弾の中身を一つずつ湿らせて無力化するのはかなり大変でしたから、もう二度とやりたくありませんけどね」 「そ、そうですか……」 「わー、ノリさんもすごいですね!」と無邪気に喜んでいるタロの横で、俺は密かに佐々木さんには絶対に逆らわないでおこうと(逆らう機会もないだろうけど)心に誓っていた。

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