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ワンコくん
◇side:タロ
「タロくん、ありがとうございました。
そろそろあがってください」
昼ご飯を食べて戻ってきた宮司さんが、授与所に座っていた僕に声をかけた。
「あ、はい。
けど、今日は学さんが歯医者さんに行ってて帰りにこちらに寄ってくれるので、それまでここで待たせてもらってもいいですか?
前にクラフトマーケットで絵を買ってくれた歯医者さんで、神社のすぐ近くらしいので」
「それは構いませんが……こんなお昼どきに歯医者やっているんですか?」
「あ、いえ。
ほんとは午前中の予約だったんですけど、歯医者さんから電話があって、予約のミスで他の人と時間が重なってしまったので時間をずらしてもらえないかって言われて、それでお昼になったらしいです」
僕が事情を説明すると、宮司さんはちょっと難しい顔になった。
「歯医者って、もしかして北側の通りのビルの2階に入っているところですか?」
「はい、神社のちょっと北って言ってましたから、たぶんそうだと思いますけど、それがどうかしたんですか?」
「それが実はですね。
たぶんなのですが、あそこの歯医者さんも男性を好きになる方ではないかと思うのですよ。
松下さんと似たタイプの若くてがっしりした体つきのかっこいい男性と一緒に歩いているところを、何回か見かけたことがあるので、もしかしたら松下さんのこともデートにでも誘うつもりなのではないかと、少し気になってしまいまして。
今日は木曜日ですから、歯医者は午後から休診というところも多いでしょうし」
「えっ! そんなの困ります!」
宮司さんの話を聞いた僕は慌てて立ち上がった。
「すいません、お先に失礼します!」
「あ、その歯医者、神社の裏から通りに出て右にちょっと行ったところですから」
「はい、ありがとうございます!」
そうして僕は荷物を持つと仕事着の作務衣を脱ぎつつ北へと走った。
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◇side:学
昼前に予約していた歯医者についた。
この歯医者は前にクラフトマーケットで絵を買ってくれた人がやっている歯医者で、待合室にはその時に買ってくれたタロの絵の他に、元橋さんのところで売れた子犬の頃のタロの小品も飾ってあった。
俺の絵を気に入ってくれたのかなと嬉しく思いながら、受付で渡された問診票を書く。
右下の奥歯が少し痛くて、ちょっと茶色くなっている(口を開けてタロに懐中電灯で照らして見てもらった)ことを書いて受付に出すと、しばらくして名前を呼ばれたので診察室に入った。
なんとなく顔を覚えていた歯医者さんに診察してもらうと、虫歯はまだ初期で今回ともう1回通えば治ると言うのでほっとする。
治療の途中で歯医者さんは助手の女性に「あとは1人で大丈夫だから、みんなあがってもらっていいよ」と言っていた。
昼休みなのに悪いなと思ってしまったが、予約の手違いをしたのは向こうなので、よく考えたら別に俺が悪く思う必要はない。
無事に治療が終わり、待合室で待っていると、マスクを外した歯医者さんが出てきて会計と次回の予約の手続きをしてくれた後、俺に話しかけてきた。
「あの、失礼ですが、あの絵の作者さんですよね。
わざわざうちに来てくださってありがとうございます」
「あ、覚えててくれたんですか。
こちらこそありがとうございます。
他の絵も買ってもらって」
俺が礼を言うと、歯医者さんはにっこりと微笑んだ。
「いえ、あのワンちゃんの絵が子どもさんに評判がよかったものですから。
歯医者なんて子どもに嫌がられがちですけど、松下さんの絵のおかげで和んでもらえるので助かってますよ」
「そうですか。だったらうれしいです」
向こうも商売だからお世辞も入っているだろうけど、褒められるとやっぱり嬉しいものだ。
俺がちょっとウキウキしていると、歯医者が再び話しかけてきた。
「もしよろしければ、この後一緒にお昼でもいかがですか?
うち、今日は午後から休診なんですよ。
絵のお話しなんかも聞きたいので、お時間がおありでしたら、ぜひ」
「え? あー……」
歯医者の誘い方とその表情口調は、ずいぶんと前、俺がゲイバーに通っていた頃に何度か見かけたものとよく似ていた。
「別の店でもうちょっと飲み直さない?」と誘われ、その後ホテルに、というパターンだ。
あー……この人もゲイだったのか。
よく、ゲイの人間は同類に会ったらすぐわかるものだ、なんて言うけど、俺は鈍いのか、まったくわからない方だ。
けれども、歯医者さんの方はわかる人なのか、俺がゲイだと確信を持って誘っているような気がする。
「……すみません。
飯は、いつも一緒に食ってる奴がいるもので」
これでまあ、俺にパートナーがいることはわかってもらえるだろうと思いながら、俺がそう言い終えた時だった。
「ごしゅ……学さん!」
後ろで自動ドアが開き、聞き慣れた声が聞こえた。
驚いて振り返った俺に、入り口で靴を脱ぎ捨てたタロが、ぶつかりそうな勢いで俺に駆け寄り、腕につかまってきた。
「え? タロ?
どうしたんだ?」
神社で待ち合わせていたのになぜここにいるのもわからないし、普段なら人前でこんなふうに腕を組んだりすることもないのに、と不思議に思ってタロの顔を見ると、タロは歯医者さんに向かって今にも吠え出しそうな敵意むき出しの顔をしていた。
「あー……そういうことですか……」
俺とタロの様子を見た歯医者さんは、気の抜けたような声を出した。
「えーっと、なんかすいません」
「いえ、お気になさらず。
けど治療の方はあと1回来てくださいね。
なんでしたら、そちらのワンコくんも一緒でも構いませんので」
「えっ!」
「あ、はい、また来週お願いします」
「はい、それではお大事に」
そうして俺は、なぜか驚いた様子のタロと一緒に歯医者を出た。
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「タロ、どうしたんだ?
いきなり来るからびっくりしたよ」
家へと帰る道、俺はなぜかしょんぼりした様子のタロに話しかけた。
「あの、実は宮司さんにあの歯医者さんも男の人が好きな人で、学さんに似た感じの人と一緒に歩いてたのを見たって聞いて、それで僕、心配になってしまって……。
それよりも、どうしましょう。
僕、あの歯医者さんに犬だってバレちゃった……」
「え? バレたって?」
「だって、あの歯医者さん、僕のこと『ワンコくん』って……。
なんで、僕が犬だってわかったんでしょう……?」
「ああ、そう言うことか。
それなら心配ないよ。
あれはタロが俺のことを守る番犬みたいだっていう意味で、本物の犬っていう意味じゃないから」
それにタロはあの時『ご主人様』と言いかけてしまったので、たぶん変な意味の『犬』と誤解されているような気もする。
まあ、そのおかげでしつこく誘われるようなこともなかったので、結果オーライだが。
「あ、そうなんですか。
よかったー」
「うん。
それより早く帰ろう。
俺、腹減ってきたよ」
「あ、はい!
じゃあ、お昼はすぐ出来るから、うどんにしますね」
そうして何事もなく、いつもの日常を取り戻した俺たちは、我が家へと急いだのだった。
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