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第8話
「チョコレートが食べたかったわけじゃないんだ」
カニグラタンを食べ終えた彼の前に、薄く切った濃厚なチョコレートケーキがのった皿をおいた。自分の分も厚めに切ってとりわける。
一口食べると、ほのかに苦い甘さだ。洋酒の香りも感じられる。
「そう言わずに、食べてみてください」と広瀬は東城に言った。
彼は、チョコレートを口にした。「そうだな」と言う。
「友人が輸入商社に勤めていて、お勧めだったんです」
「へえ」と彼は言った。「わざわざ買ってきたのか?」
「そうです。銀座のデパートで」と広瀬は大きくうなずいて見せた。
「美味しいよ。ご馳走様」と東城は言った。優しく微笑している。
彼が食べ終わったのを見て、広瀬は立ち上がった。
隠しておいた小さな紙袋を机の上にのせる。シャンパンゴールドの包装紙にリボン。
東城は突然のことに驚いている。
「なに?」
「どうぞ」と彼に差し出した。
「くれるのか?」
「はい」
「なんで?」
「バレンタインですよ」
「もう、その日じゃないけどな」そう言いながらも嬉しそうに彼は包装を丁寧に広げた。
中からは細長い箱。開けると太い万年筆が入っている。つるりと黒光りし、重厚だ。
東城は万年筆を手に取って眺めている。
彼の大きな手にぴったりだ。
デパートの文具売り場で店員が出して来る万年筆を、一本一本手に取って、彼の手にあいそうなものを吟味したのだ。
キャップを開けると模様が入った金色のペン先が輝いている。
東城は、感嘆の声を漏らした。そして、手近なメモ帳をもってくると、サラサラと文字を書いた。ほら、彼の手によく似合う。インクは黒色だ。
ありがとう、とか、うれしい、とか、そんな言葉を言われた。
「どうして万年筆を?」
「チョコレート以外で人気なのは、文房具やネクタイ、財布らしいです」
「調べたのか?」
「ずいぶん前に、持ってた万年筆のペン先壊れたって言ってましたよね」
東城はゆっくりとキャップをしめた。笑顔になっている。広瀬の好きな深い笑顔だ。
「覚えてたんだな」
広瀬はうなずいた。
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