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第33話 こんな提案〈泉水目線〉
泉水は浮かれていた。
今夜は、一季が家に来る。夕飯を共にして、そして、そしてそのあとは……。
ひょっとすると、昼間の続きを……。
「うあああ……どないしよ……。こ、こないだはそこそこ上手くやれとったかもしれんけど、きょ、今日はどうなんやろ……。お、俺、どうやって一季くんにキスとかしてたんやっけ……あああああ、なんや夢中やったしもうすっかり忘れてしもたわ……どないしよ。大丈夫やろか俺……」
ここは自分の家なので、誰に憚ることもなく独り言が言えるというものである。キッチンに立ち、皿やグラスの準備に勤しみつつ、泉水は期待と不安と下心の三つ巴に身悶えていた。
いつもご馳走になってばかりで悪いからと、今夜は泉水が夕飯を準備すると進言した。と言っても、泉水の貧相なレパートリーでは一季に出せるようなものを思いつかなかったため、結局ピザを買って帰ってきた。
せめてサラダくらいは作ってみようかと、マンションのすぐそばにあるスーパーで買ってきたレタスをちぎりながら、ニヤついたり真顔になったり忙しい。
「け、けど、昨日の今日でまたエロいことするっていうのも何やアレやしなぁ……今日は大人しく飯だけ食って解散、とかのほうがええんやろか。で、でも、また一緒に寝たりしたい……寝ぼけてくっつかれたりとかしたい……。それに、あわよくば……ってこともあるかもしれへんし……」
そんなことをブツブツ呟きながら、サラダをそれっぽく皿に盛っていると、インターホンが軽やかに鳴った。泉水はいそいそと手を拭い、腕まくりもそのままに玄関へとすっ飛んで行った。
「おっ、お疲れ様です!!」
と、元気一杯に一季を出迎えた泉水だが、対する一季の表情はどことなく薄暗い。満面の笑みを浮かべる泉水を見て面食らったような顔をしつつ、一季はそこはかとなく儚げな笑みを浮かべている。
「お疲れ様です」
「あ、はい……。ど、どうぞ」
「お邪魔します」
一季は着替えを済ませており、優しいベージュ色のパーカーと白いTシャツ、そして淡色のジーパンというラフな出で立ちだ。こういう格好をしていると、まるで大学生のように若々しく見える。その寛いだ服装を新鮮に眺めつつ、泉水はリビングへ一季を通した。
「ビール、飲みます?」
「あ、はい、ぜひ」
気のせいだろうか。愛想よく微笑んでいるけれど、一季はどことなく上の空といった様子に見える。具合でも悪いのだろうかと心配になりながら見守っていると、一季がふんふんと鼻をひくつかせた。
「……いい匂い。ピザですね」
「あ、うん、そうなんです。ところで一季くん、なんや、疲れてる?」
「えっ? そ……そう見えます?」
「年度始めは教務も何かと忙しいですもんね。もうちょいで連休やし、ちょっとは休めるんやろか」
「連休……」
連休というワードに、一季がぴくりと反応している。泉水は内心小首を傾げつつ、ガラステーブルの上にピザとビールを置いた。一季はそれを見てふわっと笑い「美味しそうですね。いただきます」とにこやかに合掌する。
「泉水さん、連休中はどうしてるんですか?」
ピザとビールを口にして、少し元気が出たのだろうか、一季はさっきよりも張りのある口調でそう尋ねてきた。泉水もビールで喉を潤しつつ、脳内でスケジュール帳をめくってみる。
「ええと、前半の休みは休日出勤扱いで、フィールド実習の下見と挨拶に行くんです。その関係で、大学と現場の往復になるかと思うんですけど。後半は……多分休みかな」
「ああ、例の実習ですか?」
来月末から、『環境工学に関する課題と、解決の手法を理解する』という目的ため、学生らを率いて現場に出向く授業がある。泉水は関東へ来てまだ日が浅いため、実習先各所に顔を覚えてもらうべく、挨拶回りに赴くのだ。
この講義では、水資源の循環・環境管理の方法・砂防や森林施業……などを調査方法を学ぶため、上下水道施設や発電所、森林整備事業等々の関係施設を訪れる。
調査結果を踏まえた上で建造物計画を立て、それが実現可能かどうかテストを行い、設計をする……という一連の流れを知る実習なのだ。
これは、環境と建築のつながりを知るための大切な授業だ。この講義を通じて、フィールドにおける基本的な調査手法を習得することも目的の一つである。
……ということを、話が長くなりすぎないよう気をつけながら語っているあいだ、一季は頷きながら相槌を打ってくれていた。敏(さと)い反応に気持ちよくなり、ついつい、これまでに泉水が関わった都市計画事業について熱く語ってしまう。語ってしまってから、ハッとする。
――ちょお待て俺……! 明らかに元気のない一季くんにダラダラつまらん話聞かせてどうすんねん!! ピザも食わんと真面目に俺の話聞いてくれとるやんか……! はぁ、もう……どんだけ優しいねん一季くん……。普通の人にはこんな話おもろいもんとちゃうやろに……。
泉水は一旦話を切って、ぐびぐびとビールを飲み干した。
「……とまぁ、そんな話は置いといて」
「え、置いとくんですか?」
「いや、あの、仕事の話より……。あの、一季くん、なんかあったん? ちょっと昼間と様子がちゃうなって……」
ためらいがちにそう尋ねてみると、一季はちょっと驚いたような顔で泉水を見た。そしてやや頬を赤らめて、ふわりと柔らかな笑みを浮かべる。
「すみません、お気遣いいただいてしまって」
「え、いや……」
「なんていうか、ちょっとしたことに気づいてもらえるのって、嬉しいものですね。……ありがとうございます」
「あっ、いえいえいえ! そんな大層なことでは……!」
予想外に礼を言われてしまい、どういう反応していいものか分からなくなってしまった泉水は、あたふたしながらもう一本ビールを空け、ぐびぐびぐびーと一気に半分ほどを飲み干した。挙句、炭酸がしゅわしゅわと気管にも流れ込んでしまい、泉水は「うげほぉぉっ!!」派手に噎せた。
ひどい挙動不審っぷりに呆れることもなく、一季は慌てて泉水のそばにきて、背中を摩ってくれた。
「だ、大丈夫ですか?」
「だ、だいじょぶ……。て、ていうか……俺が一季くんの顔見過ぎてるだけやと思うから……そんな、褒められるもんとちゃうっていうか……」
「見過ぎ……って。へへっ」
何故だか、嬉しそうに笑う一季である。花のような笑顔があまりにも愛らしく、やっぱり一季から目が離せなくなる。
すると、流れるような自然な動きで、一季がちゅっとキスをしてくれた。数秒たってから、泉水はぼぼっと顔を赤くする。
「何かあったってほどのことではないんですけど。ちょっと、渡瀬くんのことで……」
「渡瀬って……えっ!? あ、あの子に何かいらんこと言われたんですか!? 心配せんでも、俺は一季くん一筋やから……!!」
「あ、いえ……そういうことじゃないんですけど。実は渡瀬くん、僕の高校の後輩だったみたいで」
「えっ、ほんまですか!? 世間は狭いもんやな……」
「そうなんです。それであの……」
やや重たい口調で、一季はこの連休に催される同窓会について話し始めた。
友人が懐かしいので参加したいけれど、例の男に会いたくないがために、出席をためらっていたということ。そして里斗から、その男は海外にいるため、同窓会には欠席するであろう、という情報がもたらされたということ……。
「……なるほど」
「渡瀬くんと昔の話をしていると、つい、過去に引きずられそうになってしまうというか。それでちょっと、テンションが下がってただけなんですよ」
「そうですか……」
一季は苦笑して、ちょっと冷めて来たピザをぱくりと口に運んだ。そして軽く目を伏せて、オリーブオイルに濡れた指先を唇で拭っている。……真面目に話を聞いている最中だというのに、ちょっと勃った。
「でもやっぱり、行くのはやめとこうかなと思ってます」
「えっ、何でですか?」
「渡瀬くんと話をしたくらいで、こんな気分になってしまうとなると、クラスメイトと楽しく過去を懐かしめるかどうか、分からないですから」
「でも、働き始めたら、昔の仲間ともそうそう会えへんでしょ。せっかくの機会やし……」
「う、うーん。けどまた変な酔い方をして、妙なことを口走ってしまったらと思うと……。それもまた恐怖なんですよね」
「……それやったら俺、一緒に行きましょか?」
「え?」
何となく口をついて出て来たその提案に、一季が目を丸くしている。泉水は慌てて、こう付け加えた。
「あ、あの、会場まで一緒に行くわけちゃうくて! あの、俺は近くで待ってるっていうか……!」
「はあ……」
「もし、昔のこととか思い出してしんどなっても、俺、すぐそばにいますから。せやし、ちょっと顔出すくらいやったら、ええんちゃうかなと思って……」
我ながら図々しい提案だ。だが、過去のクズ男を忌避したいばかりに、一季がかつての友人たちと疎遠になるということは、何となく嫌だった。
泉水自身も、故郷からは遠く離れた場所で仕事を持つ身だ。故郷にいる友人たちと会う機会は格段に減ったが、彼らの存在はいつだって懐かしい。地元に帰ることがあれば必ず、泉水は必ず昔の友人たちと会うようにしているのだ。
泉水が熱っぽくそう語るのを聞いて、一季の表情がかすかに動く。
「そっか……。じゃあ、お願いしても、いいですか?」
「ええ、もちろんです! 俺でよければいくらでもお供しますよ!」
「すみません。いい年をしてついて来てもらうとか……本当にお恥ずかしい限りで……」
「いえいえ、そんなん気にせんといてくださいよ。それに俺、一季くんの地元にも興味ありますし!」
しきりに恐縮している一季を宥めるようにそう言って、泉水はふにゃりと緩い笑みを浮かべた。こうして頼ってもらえたことがものすごく嬉しい上に、一季の生まれ故郷まで拝むことができるのだ。一季を育んだ街を、是非とものこの目で見てみたいものである。
「あ、そうだ。同窓会は夜なんです。よかったら、うちの実家に泊まってくださいね」
「えっ、ご、ご実家……?」
「はい、大した家じゃないですけど、両親は海外旅行に行くらしいんで、気兼ねなく過ごしてもらえると思いますし」
「あっ、そ、そうですか……。じゃあ、遠慮なく、お邪魔します」
「ええ、ぜひ」
少しばかり気分が軽くなったのか、一季はにこやかに微笑みながら、ビールをうまそうに飲み干している。一季が懐かしげに地元の話をしている声を心地よく聞きながら、泉水は二枚目のピザを温めようとキッチンに立った。
そして一季に背を向けた瞬間、クワッと目を見開いた。
――じ、実家……一季くんの実家……? ってことは、ってことはや…………陸上部時代のユニフォームという名の至宝が、早くも俺の目の前に…………ってこと……? それ着て、え、え、え、エロいこと、してくれはるって言うてはったけど、まさか、こ、こんなに早く、その夢が叶う日ぃが来るってことなん…………!?
「あ…………あかんあかんあかん……そんなん、早すぎる。いくらなんでも早すぎるわ…………ご実家や、ご実家やで……ちゃんとしな……いきなりそんなんしてたらあかんで…………すーーーーはーーーー」
「え? 何か言いました?」
「…………ハッ……! な、何でもないです!!!」
ついつい独り言が漏れていた。
怪訝な表情でこちらを見ている一季の目線に冷や汗をかきながら、泉水は湧き上がる甘く淫らな期待に、胸をふわふわと躍らせてしまった。
しかし、一季はナーバスになっているのだ。今は楽しげに部活の思い出話を語っているが、色々とつらい目に遭っていた高校時代の同窓会なのだから、過去の嫌な記憶が揺さぶられてしまうことも考えられなくはない。
そういう事態に備えるために、自分は行くのだ。いわばボディガードだ。魅惑のユニフォームプレイに昂じるために、一季にくっついて行くわけではないのである。気を引き締めなければ……と、泉水は理性の壁を厚くする。
そして結局、その日は一季に指一本触れることもできぬまま、食事だけで爽やかに終わってしまった。
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