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第34話 ご兄弟が……〈泉水目線〉
かくして、泉水は一季の地元へと降り立った。
英誠大学のある学生街から、電車に揺られて三十分。一季の生まれ育った街はそこにあった。
駅を出ると、目の前には広々としたロータリー。駅には七階建ての瀟洒なビルが併設され、小綺麗な格好をした老若男女が楽しげに闊歩している。連休中ということもあり、駅前はなかなかの人通りだ。物珍しげにきょろきょろと辺りを見回しながら、泉水は隣を歩く一季のつむじを見下ろした。
「おしゃれな街ですね」
「そうですか? ありがとうございます。でも、僕の実家の近くはただの住宅地なんで」
と言って、一季は微笑む。街を歩く姿にはうっすらと緊張感が漂っているようにも思えるが、久しぶりに地元に帰った懐かしさからか、その横顔はどこか清々しい。
あそこの本屋によく行っていたとか、服はいつもあそこで買っていたなど、若かりし頃の一季情報を耳にすることができて、泉水はとても幸せだった。
一季の子ども時代……小さな頃から、さぞや美少年だったのだろう。実家に案内してもらったら、まずは昔の写真を見せてもらいたいものである。赤ん坊時代、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学……全ての一季を見てみたい。
ロンパース姿の赤ちゃん一季、半ズボン姿のショタ一季、初々しい学ラン一季、そしてあわよくば、みずみずしい肢体を露わにしたユニフォーム一季の写真を、是が非でも見てみたい……と考えかけて、泉水は慌てていやらしい妄想を脳内から払いのけた。
――だ、だから、あかんて……ッ!! 俺は今回、一季くんの心のボディーガードをしにきたんやで!! そら、そら、ユニフォームプレイには並々ならぬ興味があるけどもやな、そういうことしにきたんと違うねん!! 落ち着け俺……あかん、あかんで……変なこと考えたらあかん……。
「お昼、食べて行きませんか? 大学時代にバイトしてたカフェがあるんです」
「いいですね!! めっちゃ行ってみたいです!!」
泉水のうす汚れたスケベ妄想に気づく様子もなく、一季がにこやかにランチに誘ってくれている。
一季の向かう方向へ、泉水はいそいそとついて行くのであった。
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そしてその二時間後。
泉水はとうとう、一季の実家へと訪れていた。
一季の実家は、駅から徒歩十五分程度という好立地である。
道沿いに整然と並ぶ家はどれも大きく、どの庭にも緑が美しく生い茂っている。一季の育ちの良さを感じさせる上品な町並みだ。
泉水の地元はもっと生活感に溢れていて、人も車も自転車も、何だかわやわやと騒がしい。だがこの街を歩く人々は皆、何だか気品に満ち満ちているように見えるし、その辺を走っているママチャリも何だかすごく高級そうに見える。泉水は感嘆のため息を漏らした。
「一季くんの地元〜って感じするわ……。上品やなぁ……」
「えっ、そうですか?」
「俺の地元とは大違いですわ」
「でも、京都ってすごく上品なイメージがありますけど……」
「テレビとかで出てくるとこは大概観光地なんで、まぁまぁええ感じに見えるかもしれませんけど、俺の地元は生活感ありまくりですからねぇ」
などのんびり会話しつつ到着した一季の家は、周囲の家々に負けず劣らずの立派な邸宅であった。
南向きの二階建て。周囲の古めかしい邸宅と違って外観は新しく、高さもある。シンプルな木柵の奥に広がる庭は小さめだが、植物が綺麗に咲き誇っていて美しい。駐車場は屋根付きで並列二台、敷地面積はおおよそ150坪をくだらないだろう……と、泉水は一季邸を隅々まで観察し、無意識のうちに脳内で設計図を起こしていた。
「めっちゃ綺麗な家ですね……よく手入れされてて。お母様か誰か、ガーデニングがご趣味なんですか?」
「いいえ、母はすごくズボラなんです。庭の手入れなんかは、真ん中の弟がよくやってくれてます」
と、一季は嬉しそうに笑っている。
ふと、泉水はあることに気がついた。
――真ん中の弟……?
「そういえば、一季くんて……兄弟いてはるんですか?」
「あ、言ってませんでしたっけ。二歳下の弟と、八歳下の弟がいるんです」
「えっ!? ふ、二人も弟さんが……!?」
一季の身にまとう物静かな雰囲気から、てっきり一人っ子だと思いこんでいた。だが、一季は三人兄弟の長男であるらしい。新たに知った一季の一面に、泉水は感嘆のため息をついた。
「へぇ……なんや、意外でした」
「へへ、よく言われます。そういえば、泉水さん、ご兄弟は?」
「俺はひとりっこなんですよ。従兄弟がすぐそばに住んでて、兄弟みたいによう遊んでたんですけど」
「そうなんですか。泉水さんこそ、ものすごくご兄弟が多そうっていうか……」
「あはは、よく言われます」
そんなやりとりをしながら、一季はキーケースから鍵を出し、重厚感のあるドアをがちゃりと開けた。
広々とした玄関は吹き抜け。内装はログハウス風でとてもしゃれている。きれいに磨かれた床に浮かんだ明るい木目が爽やかで、そこはかとなくいい香りがした。
ここが、若かりし一季が過ごした空間か……と感慨に耽りながらくんくん空気の匂いを吸い込んでいると、一季がスリッパを勧めてくれた。
「さぁ、どうぞ」
「あ、お邪魔します。めっちゃ綺麗な家やなぁ……」
「ありがとうございます。本当に真ん中が几帳面な綺麗好きで。今日は家にいないのかな……」
「弟さんも実家暮らしなんですか?」
「ええ、僕だけが家を出ていて……」
とその時、階段から誰かが降りてくる足音が聞こえてきた。
新妻よろしく洗濯カゴを抱えた一人の青年が、廊下に佇む一季を見て、ぴたりと足を止める。
「……兄さん?」
これから仕事にでも出るのか、白い開襟シャツに、ややダボっとしたグレーのスラックスを履いている。斜めに流した焦げ茶色の前髪、切れ長のシャープな目元はいかにも聡明で、怜悧な印象を受ける顔立ちだ。どことなく硬さのある、冷ややかな第一印象である。
だが、一季を見つめるその切れ長の目がみるみる潤んでいくのを見て、泉水は目を瞬いた。
白い頬にふわふわと赤みが差し、細めの唇をむずむずと歪ませ始め、緩みそうになる顔を必死に律しようとしている様子が見て取れる。必死で無表情を貫こうとしているようだが、実に嬉しそうである。
「二葉 、ただいま」
「……か、帰ってくるなら連絡ぐらい寄越してくれよな。ああ、せっかくのんびりできると思っていたのに」
ぷりぷり文句を言いながら階段を降りてきた青年の頭の上に、一季がぽんと手を置いた。
二葉と呼ばれた青年のほうがやや背丈は大きいようだが、全体的な背格好はよく似ている。麗しい美形兄弟の再会に立ちあえた感動で、泉水は思わず拍手をしそうになった。が、何とか耐えた。
「ははっ、ごめんごめん。久しぶりだね」
「や、やめろ。子ども扱いをしないでくれ」
頭を撫でる一季の腕を邪険に払いのけながらも、二葉は顔を真っ赤にしてすこぶる嬉しそうだ。「その気持ちわかるわ……」と泉水が背後で深々と頷いていると、ようやく、二葉が泉水の存在に気づいたらしい。ひどく怪訝な表情を浮かべて、泉水をじろじろと観察している。
「………どちら様ですか?」
「えーと……英誠大学の工学部の先生だよ。色々とお世話になってるんだ」
「……ふーーーーーーん……へーーーー……」
まったくもって、歓迎されている空気ではない。
二葉は意地の悪い小姑のような目つきでジロジロジロジロと泉水の全身を眺め回し、決して友好的ではない視線をぶすぶすと突き刺してくる。泉水は冷や汗をかきながら、何とか愛想笑いを浮かべていた。
「初めまして、塔真泉水といいます。英誠大工学部で教鞭をとっていまして、嶋崎さんにはいつもお世話になってます」
「……へぇ、関西の人ですか。で、兄とはどういうご関係で、どうしてこの家にいらしたんです?」
「えっ?」
いきなりの尋問口調に、泉水はしばしぱと目を瞬いた。二葉はクールな美貌を鋭く尖らせ、まるで囚人をいたぶる極悪看守のような表情で腕組みをした。
すると一季が、ぽんと二葉の背中を叩き、甘く叱るような口調でこんなことを言った。
「こら二葉、初対面の人にそんな態度取っちゃダメだろ」
「……で、でも」
「この人は大丈夫だから。ね? ほら、一緒にお茶でも飲もうよ。柏餅買ってきたから」
「……」
「二葉の好物だろ?」
「……うん」
一季に叱られることに、どうやら嬉しみを感じているらしい。日本刀のような目つきをしていた二葉の双眸が、途端に愛らしく潤んでゆく。ツンケンしてはいるが、やはり一季のことが大好きでしょうがないらしい。
『一季ラブ』というところではすこぶる共感できてしまうため、泉水は二葉の気持ちが痛いほどによく分かった。大好きな兄が見知らぬ男を連れて帰ってきたら、それはそれは不愉快に決まっている。
相変わらず、チラチラと泉水を見る目つきはツンドラを吹き抜ける突風の如く冷ややかだが、泉水は二葉に果てしない親しみを感じるようになっていた。
「すみません、二葉は警戒心が強いもので」
「ああ、いえいえ。そりゃそうですよね、知らん男がいきなり現れたんやし……。君が二つ下の弟さんですね」
「ええそうですが。それが何か?」
「こら二葉、またそんな言い方して……。ちゃんとご挨拶しなさい。失礼だろ」
再び一季に注意を受け、二葉は渋々といった様子で泉水に向き直った。そして小さく頭を下げ、「……嶋崎二葉、二十三歳。検事志望の司法修習生です」と自己紹介をした。
「へぇ、二葉くんは検事の卵なんや。めっちゃすごいやん」
「は? 馴れ馴れしく下の名を呼ばないでいただけますか?」
「えっ、あ、すんません……」
「こら、二葉! そういう態度はやめなさいっていつも言ってるだろ!」
とうとう、二葉は本格的に一季に叱られ始めてしまった。その表情は不機嫌そうにも見えるけれど、真一文字に引き結ばれた唇がプルプルと嬉しそうに震えているのを、泉水は決して見逃さない。
そしてまた、兄として弟を叱る一季の姿は途方もなく愛らしく、きゅんきゅんと萌え心をくすぐられてしまう。
気を抜けば、デロデロと締まりのない顔になってしまいそうになるのだが、そこはぐっと堪えねばなるまい。泉水は爽やかな笑顔を心がけつつ、嶋崎兄弟のやりとりを見守った。
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