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第35話 ヒエラルキー〈泉水目線〉
通されたリビングは、これまた天井の高い開放的な空間だった。あたたかみのある木の色がとても落ち着く。庭に面した窓は大きく設計してあり、南向きという利点をめいいっぱいに活かしている。
ふわふわと風に揺らめくレースカーテン、明るい陽光、シンプルでセンスのいい家具の数々……素晴らしく居心地のいい空間だ。
そんなリビングに……ヤンキーがいた。
「おう、いつき兄 おっかえり〜。……ん? 誰そのイケメン」
と、ソファに寝っ転がってスマートフォンをいじっていた一人の少年が、泉水を見つけて顔を上げた。
髪の色はかなり明るいアッシュブラウン。形の良い額、シルバーのピアスで飾られた耳にもかからないくらいの、潔い短髪だ。目鼻立ちのくっきりした、快活そうな美少年である。
二葉が襟のある白シャツをきっちり着込んでいるのに対し、こちらの少年は派手なロゴの入った長袖Tシャツにデニムのハーフパンツという寛いだ出で立ちだった。一季や二葉に似た細身の背格好で、袖口やズボンの裾から伸びる肢体はみずみずしくしなやか。有り余る若さが、ピチピチとはじけているように見える。
「ただいま三騎 。こちらは、いつもお世話になってる大学の先生だよ。……ちょっとこの街を案内することになってて」
「ふーん、てか、このへん何もなくね?」
「ま、まぁ……塔真先生、今年は帰省なさらないそうだから、暇つぶしにね」
「ふーん……」
三騎はソファの上で起き上がり、物珍しげに泉水をじっと見つめている。泉水が引きつった笑みを浮かべながら自己紹介をしていると、三騎は「あーなるなる。はいはい、そーいうことね」と、深々と頷いた。
「よかったじゃん、いつき兄」
「え、えっ、何が」
「いやいやべつに誤魔化さなくってもいーし。彼氏っしょ? いーんじゃね?」
「えっ!!?? い、いや、いや俺はそ、そんな、彼氏とかっ……」
弟君 からの突然の『彼氏』扱いに、嬉しいやら戸惑うやらバツが悪いやら嬉しいやらで、泉水は途端に、いつもの挙動不審をさらけ出してしまった。しかしその直後、背後にあるキッチンのほうから、ガチャーン!! と皿の割れるような音が聞こえてくる。泉水は何をどう取り繕えばいいのか全く分からず、ぎぎぎぎとぎこちない動きで一季の方を見た。
すると一季が困ったような顔で苦笑しつつ、こんなことを言った。
「僕の性癖は、一応、実家の中ではオープンになってるんです」
「えっ……!? あ、そ、そうなんですか?」
「一番理解があるのは三騎なんです。両親は……表向きは、まぁ、認めてくれてるって感じなんですけど、本心はイマイチ分からないというか。若干のいづらさがあるというか……」
「……そ、そうなんや。ひょっとして、それで家を出てはるんですか?」
「それもありますけど……。まぁ、ただ単に、ここからじゃ微妙に遠いですからね、大学まで」
「ははぁ……」
「ちなみに二葉はあんまり……かな。僕を避けたりはしなかったですけど、良くは思っていないんじゃないかなと」
こわごわキッチンのほうを振り返ると、二葉がロボットのようにしゃちこばった動きでお茶を入れている。泉水と目が合うと、二葉はぎょっとしたように顔をひきつらせ、また黙々と給仕に戻りつつこう言った。
「べ、別に僕だって、反対してるってわけじゃない。兄さんはお人好しだから、変な男に引っかからないかってことが心配なだけだ」
「ちげーだろ。つーか、ふた兄はいつき兄のこと好きすぎなだけだろ」
「は!!?? 誰いつそんなこと言ったよ!!??」
「はいはいはい、隠せてないから。モロバレだから」
「く、く、くだらない言いがかりはよしてもらおうか!! ていうかお前はそのバカみたいなチャラい頭を何とかしろ!! また停学くらっても知らないからな!!」
「はぁ〜〜!? バカみてーとか言ってんじゃねぇぞこんのクソ童貞兄貴が。これはオシャレっていうんだよ私服ダッサダサなてめぇと一緒にすんじゃねーぞコラァ」
「くっ……」
「こら、やめなさい二人とも!」
いつしか兄弟喧嘩に発展している次男と三男の間に、一季がどうどうどうと割って入っている。
この数分の間に繰り広げられた会話を観察していれば、この数分の間に嶋崎兄弟のパワーバランスが見て取れようというものだ。勝気で自由奔放な末っ子に言い負かされ、若干涙目になっている生真面目な次男。そして二人を柔らかくなだめる長男の一季。二葉について若干気になる単語が聞こえてきたような気がしないでもないが、それよりも何よりも、『兄』の顔をしている一季の姿に、泉水は激しく萌えていた。
――ふわぁ……一季くん、めっちゃお兄ちゃんしてはるやん……めっちゃ可愛いわ……。弟叱ってる時の顔とかどちゃくそ萌えんねけど……俺のことも叱ってくれへんかなぁ……。『こら、やめなさい泉水くん! めっ!!』とかって厳しくされたら俺……俺……っ!! う、うおおおおおお何やこれめっちゃ滾……
「すみません、騒がしい弟たちで」
「………………えっ? あっ、いえ、全然!! 賑やかでいいですね!! あははははは!!」
兄弟喧嘩を仲裁している一季にさえスケベ妄想を抱いてしまった己の汚らわしさが情けなく、泉水は心の中で嶋崎兄弟にスライディング土下座をした。
「ってことは、やっぱそーなんだ。おにーさん、いつき兄の彼氏なんだ」
リビングに佇む泉水の周りをうろうろしながら、三騎がそんなことを言った。頭二つ分ほど小柄な三騎の顔立ちは、どちらかというと一季に似ているような気がする。高校生の頃の一季がグレてヤンキーをやっていたら、きっとこんな感じなのだろうなぁ……と泉水は思った。
「ええと、はい……。真面目におつきあいさせていただいております……」
「あ、やっぱそーなんだ。つーかさぁ、べっつにそんな硬くなんなくったっていーって。関西弁もっと喋ってよ」
「う、うん……」
「へぇ〜〜マジイケメンだな。いーの見つけたじゃん、いつき兄」
「もう、三騎。初対面の相手にベタベタ触っちゃだめだよ」
「あ、いえ……俺は構いませんので……」
見かねた一季が注意しても、三騎はなおも泉水に興味津々といった様子で、下からを顔を見上げたり、胸板を確認するかのようにバシバシと泉水の胸元を叩いたりと忙しそうだ。
「けっこーガタイいーじゃん。へぇ〜〜」
「そうでもないと思うけど……」
「三騎はプロレスラーに憧れているんですけど、全然筋肉がつかないことが悩みなんですよ」
「ぷ、ぷろれすらー……」
一季がにこにこしながらそう言うと、三騎は「あっ、それ言うんじゃねーよ!! 何で言っちゃうんだよばか!」と怒り始めた。再び騒がしくなり始めたリビングのローテーブルに、物憂げな顔をした二葉が粛々と湯飲みと茶菓子を並べている。一季は三騎をあやすようにあしらいながら、ソファに腰掛けて二葉に礼を言い、泉水にソファを勧めている。
「まぁ、座りませんか? お疲れでしょうし」
「あ、すんません。二葉く……やなくて、ええと、嶋崎くん。お茶、ありがとうございます」
「あのですね、ここには嶋崎が三人いるんですよ? 紛らわしいので、もう下の名前で呼べばいいんじゃないですかね」
「…………ハイ、そうですね」
三騎はそこそこに泉水に懐いてくれそうな雰囲気もあるが、二葉はまるっきり冷ややかな態度のままである。そんな二葉の様子を見ていた三騎が、柏餅をもぐもぐ頬張りながらこう言った。
「ふた兄さぁ、まさかヤキモチやいてんの? ふた兄もいい年なんだからさぁ、いい加減ブラコンとか卒業した方がいいんじゃね? キモくね?」
「だ、だ、だ、誰がブラコンだ!! そ、そんなわけないじゃないか!! それに別にヤキモチなんてやいていないぞ!! この男のことがまだ信用できないだけであってだな!!」
「ほ〜らそうやってさぁ、すぐムキになっちゃうんだからさぁ〜。そんなんで裁判とかできんのかよ〜?」
ぷ、と意地の悪い笑みを浮かべた三騎が、二葉をまたからかい始めた。それを見て、一季がやれやれとため息をついている。これがいつもの風景なのだろうか。
「ふん、できるに決まっているだろう。筋肉バカのお前に心配されるほど堕ちちゃいない」
「はぁ? 誰が筋肉バカだコラ」
「そんなヒョロヒョロの身体でプロレスラー志望だと? はっ、笑わせる。鏡の前で、自分の身体をじっくり観察してみるがいい」
「はぁ〜〜〜!? うっせーんだよエラそうなこと言ってんじゃねぇぞ童貞のくせによー!!! てめぇの未使用のかわいそうなチンポ引っこ抜いてやろうか!? あぁん!?」
「どっ……ど、どど、童貞で何が悪い!! そっ、そういう行為は、一生を添い遂げたい相手とだけすればいいんだ!! お前みたいな尻軽と一緒にするな!!」
「俺別に尻軽じゃねーし!!」
あれよあれよという間に、喧嘩がみるみるヒートアップだ。泉水はずずーっとお茶を啜りながら、苦笑いの表情のまま二葉と三騎の喧嘩を見守っていた。
――そうか、二葉くんも童貞か……。なるほど分かる、分かるで、君の気持ち……!! きっと君にも、俺みたく素敵な恋人ができるはずやから、強う生きるんやで……!! って俺もまだ童貞やけど。
そろそろ取っ組み合いの喧嘩になるのではないかと危惧しはじめたところで、一季がすっと立ち上がった。
そして、向かいのソファで「童貞」だの「ちんこ」だの「ヤリチン」だのを連発しながらギャーギャー喧嘩をしている二人の弟の首根っこを、ぐいと引っ張る。
「二人ともいい加減にしなさい!! 泉水さんの前で童貞童貞言っちゃいけません!! 泉水さんだってめちゃくちゃ気にしてるんだからな!!」
「「「…………え?」」」
二葉、三騎、泉水の声が奇跡的に揃った。
その直後、一季の顔がサッと青くなる。
「あっ、す、すみません!! 僕はまた余計なことを……!!」
「い、いや……ぜんぜんだいじょうぶっす……」
強がりながら、引きつった笑みを浮かべる泉水である。
その途端、二葉から注がれる眼差しが、木漏れ日のようにあたたかなものへと変化した。
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