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第37話 懐かしい顔ぶれ
同窓会の会場は、白亜のゲストハウスだった。
青々とした芝生の庭にはプールがあり、その先にある離れには、英国風ステンドグラスが売りのチャペルがある。ここは、結婚式場としても人気があるらしい。きっと日が暮れた後は、庭園のそこここに置かれたキャンドルによって、ものすごくいい雰囲気になるのだろう。青々とした生垣の中は、非日常感溢れるロマンティックな空間になっている。
午後五時十分前に会場へやって来た一季は、門の前に置かれた案内ボードを見て、ごくりと息を飲んだ。手作り感溢れるそのボードには、母校の名前がポップなローマ字で書かれている。
――だ、大丈夫だって。別に卓哉がいるわけじゃないんだ。そりゃ……話題にのぼることはあるかもしれないけど、僕はもう関係ないんだし……。
一季はちらりと、背後を振り返ってみた。片側二車線の大きな道路を挟んだ向かいには、全国に店舗を構えるコーヒーショップがある。ここからはっきりとは見えないが、その二階席で泉水は読書に勤しむと言っていた。「時間は気にせず、のんびり過ごして来てくださいね」と爽やかに笑う泉水の顔を思い出すだけで、全身のこわばりがほわりと解けていくような気がした。
――大丈夫。……大丈夫だ。
やや汗ばんだ手のひらをぎゅっと握りしめ、一季はようやく門をくぐった。
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受付を終えて会場内に入ると、そこにはすでに数多くの同級生たちがわいわいと歓談していた。木組みの洒落た天井は高く、開放的な空間である。プールのある庭に面した大きな窓は開け放たれ、ほんのりと冷えた春らしい風が涼やかだ。
今日はビュッフェスタイルであるらしく、フロアには背の高い丸テーブルが等間隔に置かれている。これから料理が並ぶのだろう、壁際には白いクロスのかかった長テーブルが据えられていた。
四、五十人近くの同級生が思い思いに過ごしているが、狭苦しさは感じられない。ボーイに勧められるまま、金色のシャンパンが注がれたフルートグラスを受け取った一季は、知った顔がいないかと視線を巡らせた。
「お〜!! 一季じゃん! 久しぶり〜!」
「あ、映司……久しぶり」
数人の女性たちと話をしていた一人の青年が、手を振りながら一季の方へ歩み寄って来た。
陸上部仲間の江波 映司 だ。二年・三年とクラスも同じで、高校時代、一番仲の良かった同級生である。
「よかった! 来てくれないかと思ってたよ。元気そーじゃん」
「うん、まぁね。映司も元気にしてた?」
「おう、そこそこにな〜」
そう言ってからりと笑う映司は、高校時代と変わらず爽やかだ。
見慣れないスーツ姿で、当時は坊主頭だった髪を、社会人然とした長さに伸ばしている。すっかり大人の男になった映司の姿を、一季はしげしげと眺め回してしまった。すると映司は奥二重のきりりとした目を瞬いて、一季の肩を軽く叩いた。
「ていうか、見過ぎ」
「いや……映司ってずっと坊主でジャージだったから、なんか違和感が……」
「ははっ、それもそーだよなぁ。俺だってもう社会人だしさ、いつまでも坊主ってわけにいかねーじゃん」
「それもそうだね」
映司のくだけた笑顔と屈託のない口調が懐かしく、緊張感が徐々に緩んで来た。某スポーツメーカーで営業をしているという映司の話を聞き、自然と笑みが浮かんでくる。すると映司は安堵したように息を吐き、目を細めて微笑んだ。
「よかった。なんか、昔より元気そう」
「えっ、そうかな」
「高校ん時さぁ、お前、いっときすげー暗かったじゃん」
「あ、あー……そうだっけ」
「全然記録出なくて、スタメン外されたこともあったろ。最後は持ち直してたけどさ、なんていうか……なんも聞けないまま卒業しちゃったから、ずっと気になってたんだ」
「……映司」
あの頃、心身の不調を悟られないように、必死で取り繕っていたつもりだった。でも、すぐそばで学校生活を過ごしていた映司には、まるで隠しきれていなかったらしい。心配をかけてしまったことを申し訳なく思うと同時に、ずっと様子を気にかけてくれていたことが、なんだか無性に嬉しかった。
「……ありがとう」
「え? 何が?」
「ううん。……あの頃はさ、ちょっと色々、悩みあったから」
「やっぱし? 悩みって恋愛がらみとか? けどお前、モテてた割に浮いた噂なかったよな」
「え、ええと……進路、進路とかさ! 色々考えちゃって」
「ふうん……そっか」
映司はどことなく釈然としていない様子ではあるが、小さくこくりと頷いた。
小さな沈黙のあと、映司は他の陸上部員たちを見つけたらしく、軽く手を振っている。懐かしい顔ぶれが颯爽と近づいてきたかと思うと、「おお〜一季ぃ、すげー久しぶり〜!」と声をかけられ、懐かしさに胸が弾んだ。
「一季さぁ、全然こっちで飲みとか参加しねーから、どうしてんのかと思ってたわ」
と、当時の部長だった霞野 千早 が、親しげに一季の肩に腕を置いた。千早は185を超える上背があり、パリッとしたスーツがよく似合う。
「実はもう結婚してます、とか? 嫁さんの尻に敷かれてて飲み会来れねーとか?」
と、一季とともにハイジャンプの選手をやっていた小童谷 綾人 が、下からクリクリした目で見上げてきた。
綾人は一季よりも小柄で、ものすごく身軽だった。先輩たちからは『子猿』と呼ばれていた彼もまた、坊主頭から小洒落た無造作ヘアになっている。母性本能をくすぐりそうな、愛らしいイケメンへと変貌を遂げていた。
「いやいや……結婚なんてしてないよ」
「そっかそっか、そーだよなぁ。お前、奥手だったもんな!」
と、綾人がホッとしたようにへらっと笑った。それを見た映司がボサボサと綾人の頭を撫でくりまわし、からかうようにこう言った。
「綾人はチビでモテねーこと気にしてたもんな〜。そんで彼女なしの一季に仲間意識感じてたんだよね〜」
「う、うるさい!! そんなことねーよ!」
「で? 綾人くんは彼女できたのかな〜?」
「うっ……い、いないけど……!! い、一季はどうなんだよ!? 彼女できたの!?」
「え」
大柄な同級生に両側からつつかれながら、綾人がすがるような目つきで一季を見つめてきた。一季は苦笑しうなじを掻きながら、照れ笑いを浮かべてこう言った。
「ええと……うん、恋人は、いる……」
「えっ………………」
一季の返事を聞くや、綾人がこの世の終わりのような顔をした。映司と千早はうんうんと頷きつつ、ゆるい笑みを浮かべながら綾人の背中をぽんぽんと叩いた。
「まぁまぁ、きっとお前にも春は来るって。同窓会なんて合コンみたいなもんなんだ、いつまでももじもじしてないで、とっとと声かけに行きゃいーだろ」
と、千早。
「だ、だってさぁ……なんかみんな化粧とかしてて、すげー綺麗になっててさぁ……」
と、綾人が心細げに辺りを見回している。
「大丈夫だって、お前も立派なイケメンだよ〜。チビだけど〜」
「うっせーなクソ映司!! てめぇだってこないだフラれててだろ!!」
「別にもう引きずってません〜」
昔からよく見てきたやりとりが、再び目の前で繰り広げられている。高校時代の楽しかった日々のことを思い出し、一季はついつい声を立てて笑ってしまった。
「変わらないね、みんな」
「そーかぁ? けどまぁ、一季も元気そうで安心したよ」
と、千早がクールな笑みを浮かべてそう言った。一重まぶたのシャープな目元は相変わらず無愛想に見えるけれど、千早は誰よりも面倒見のいい男だった。きっと、千早の目もごまかせてはいなかったのだろう。一季は苦笑した。
「うん……色々、心配してくれてたんだね。ごめん」
「いやいや、お前が今幸せなら全然いーよ。で? 何? 相手は? 年上? お色気ムンムンエロい女教授とか?」
「ええ? いやエロくはないけど……まぁ、年上」
「へぇ〜〜〜なんかエロっ。いやらし〜〜! 一季くんのスケベ〜〜」
と、映司が千早と一緒になって喜んでいる。綾人はあいも変わらず物憂げな顔で、ジトッと一季を見上げていた。
「なんだよなんだよ。みんなして彼女とか作りやがって。どーせ俺なんて、どーせチビだし」
「綾人、ほんとにカッコよくなったよ? びっくりしたもん」
と、一季が素直にそう言うと、綾人はむうっと唇を尖らせた。
「けっ! 哀れみなんていらねーんだよ! どうせ一季だって俺のこと……」
「あ……おい、見ろよ」
綾人が一季に文句を垂れ始めたが、映司がそれを遮った。
映司の目線の先へと目をやると、そこには、洒落たツイードのスーツに身を包んだ渡瀬里斗の姿がある。一季は思わず息を止めた。
里斗は数人の女性たちに囲まれて、にこやかに会話を楽しんでいるように見えた。しかし、その姿を少し離れたところから見守る視線の中には、どことなく刺々しいものもある。
「……あいつ、よく来れたよな」
「ほんとだな、あんな噂流されたのに」
「え……?」
映司と千早の会話の意味が分からず、一季は二人をさっと振り返った。
「噂って?」
「何お前、知らないの?」
千早はやや呆れたようにそう言って、すっと一季の耳元に顔を近づけた。そしてやや声を潜めて、こんなことを言う。
「あいつ、小篠にゲイバレされたんだ」
「え……?」
「誰とでもヤる尻軽ビッチだって噂流されて、一時期ちょっとざわついてたろ」
「……そ……」
一瞬、千早が何を言っているのか分からなかった。
聞けば、一季の恋人だった小篠卓哉は、里斗の性癖を知っていて、しかもそれを公衆の面前で暴露したというのだ。
高三の冬ごろの出来事で、その頃の卓哉は、インターハイでの活躍のおかげで王様気取りだった。圧倒的な強者だった卓哉にセクシャリティを暴かれて、里斗は一時期、周囲からいじめを受けていたのだと……。
卓哉は一季との関係は公言することはなかったけれど、里斗に対して、そんな扱いをしていた……その事実をどう受け止めていいのか分からず、一季は少なからず混乱していた。そして里斗が一季に見せていたあの態度の意味についても、どう理解すればいいのかと。
呆然としたまま、一季はじっと里斗を見つめていた。
すると、里斗は一季の目線に気づいたらしく、にこりと意味深な笑みを浮かべているではないか。
「嶋崎先輩、来られてたんですね」
「あ……うん」
周囲の視線などまるで気にも留めない様子で、里斗は軽い足取りで一季のもとまでやってきた。
陸上部の三人がやや身構えているのを感じた一季は、里斗が英誠大学の学生だということ、最近顔見知りになったのだと言うことを説明した。その間も、里斗は愛想のいい笑みを絶やすことなく、三人に向かって礼儀正しく挨拶をしたり、世間話を交わしたりとそつがない。
「あ、グラスが空ですね。……先輩、ちょっと飲み物でも取りに行きませんか?」
「ああ……うん。そうだね」
「先輩方のも取ってきますね。もうすぐ先生のご挨拶と、乾杯でしょうから」
「おう……」
可愛らしい笑顔で、里斗は映司たちに会釈をした。
もの言いたげな視線に促され、一季は里斗とともにその場を離れる。
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