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第40話 負けたくないから①
「……た、卓哉……? どうして……」
「え? だって俺らの学年の同窓会だろ。それに、退職された明野先生はずっと生徒会顧問だったんだ。世話になったしな、サプライズってやつさ」
卓哉はそう言って、腕に抱えていたバラの花束の匂いを嗅ぐ仕草をした。キザったらしい動きだが、それが不思議と絵になってしまう。
今も卓哉はモデル顔負けにスタイルが良く、見るからに高級そうなスーツを一部の隙もなく着こなしている。彫りの深い顔立ちは高校生の頃よりも渋みが増し、きつめのパーマの掛かった黒髪とあいまって、異国の匂いが漂ってくるような雰囲気である。
しかし卓哉の双眸は、狡猾な蛇を彷彿とさせるようなギラつきを帯びている。舐め回すように一季の全身を眺めつつ、卓哉はニヒルに微笑んだ。
「キマッてんじゃん、スーツ姿。色っぽいよ」
「……っ」
「お前は綺麗だな、相変わらず。なぁ、今も男が好きなわけ? 俺、今夜はこっちでホテル取ってるんだけどさ、久々にどうだ?」
「……は……? な、何言って……」
突然の再会と同時に、夜の相手になれと誘ってくる卓哉の神経が、一季にはまるで理解できなかった。嫌悪感を隠すこともなく卓哉の目線を受け止めていると、すっと背後で里斗が立ち上がる。
里斗は一季の傍に立ち、挑みかかるような目つきで卓哉を睨めつけている。そして、尖った声でこう言った。
「先輩、お久しぶりです。ドバイにいるんじゃなかったんですか?」
「……ん?」
里斗を見る卓哉の顔が、ありありと不機嫌なものへと変化していく。きっと今も、里斗に『下手』と貶されたことを根に持っているのだろう……と一季は思った。
「誰だっけ? お前」
「渡瀬里斗です。一度レイプしたくらいじゃ、先輩の記憶には残らないみたいですね」
「レイプって……は? 人聞きの悪いこと言ってんじゃねぇよ。一季、なんでお前、こんなやつと二人でいんの?」
唐突に口調がぞんざいなものになり、柄の悪い顔つきへと豹変する。器の小ささを露呈する卓哉の態度にも、呆れるばかりだ。一季はため息をついた。
「……僕が誰といようが、卓哉には関係ないだろ」
「へぇ、一季……お前、随分と生意気な口きくようになったんだな」
そう言って、卓哉は剣呑な目つきを一季に向ける。その視線にぞわりと全身が竦んだが、一季は必死で己を律し、卓哉から目を逸らさなかった。
卓哉は生ぬるい目つきで一季と里斗を見比べ、そして「あ〜……なるほどな」と呟いたあと、里斗の胸ぐらをぐいと掴み上げた。
「お前、一季に妙なこと吹き込んだんだろ」
「……はぁ?」
「レイプって、何。お前が色仕掛けしてくるから、抱いてやったってだけの話だろーが。いつまでもいつまでも根に持ってんじゃねーよ」
「そうだけど……でもっ……!! 俺を殴って黙らせて、無理矢理ヤったじゃねーかよ!! 妙な噂まで流しやがって!!」
「はぁ? つーか、今更そんなこと言われても困るんだけど。なに、謝ればいい? それでお前の気が済むなら、謝罪するけど」
「こっ……んの野郎……!!」
「あっ……渡瀬くん!」
里斗は全身から怒りを爆発させ、獣が牙を剥くような表情で卓哉に飛びかかっていった。だが、180近い身長のある卓哉にとって、小柄な里斗からの攻撃など痛くも痒くないらしい。すぐにどんと胸を突かれ、弾かれてしまう。一季は咄嗟に、里斗の身体を受け止めた。
怒りに震える里斗の身体を押しのけて、一季は一歩前へ出た。こんなにも激しい怒りを感じたのは、生まれて初めてかもしれない。
冷え冷えとした憤怒の念を腹の奥に感じつつ、一季はじっと卓哉を見据えた。すると、卓哉がやや怯んだように目を瞬く。
「……何だよ。お前まで」
「ねぇ、卓哉」
「何」
「僕とのセックスは、気持ちよかった?」
「……は? 何言い出すんだよ、急に」
「教えてよ。どうだった? 無抵抗で無反応な僕を抱いて、気持ちよかった?」
「なんだその質問。ひょっとして、お前、今も俺とのセックスが忘れられないのか? また俺としたくなったの?」
卓哉は急に甘ったるい猫なで声を出して、一季の方へ歩み寄ってきた。
後ずさりたくなるのを必死で堪えていると、卓哉は指の背で、するりと一季の頬を撫でる。きつい香水の香りが、その手首からつんと匂った。
「まぁ、俺も、男で初めてはお前だったし。特別っちゃ特別だったよ。言えばいつでもどこでもヤらせてくれたし、何言っても嫌がらずに尽くしてくれてさぁ、ほんっと、お前はかわいかったよな」
「……その割には、結構ひどい目に遭わされたような気がするけど」
「そうか? まぁ、お前反応薄かったからさ、ついつい色々引き出したくて頑張っちゃうっていうか。ひっぱたかれた方が感じんのかなとか、乱暴な方が燃えんのかなとかさ。実際、お前、そっちの方が良かったんだろ? 泣きながら気持ちいいって言ってたじゃん」
「……なるほどね」
突き上げられながら、『ほら、気持ちいいんだろ? なら気持ちいいですって言えよ。萎えんだろーが、ほら、何とか言え!』と、頬を張られた。
屈辱と痛みで涙を流せば、『泣くほど気持ちいいんだ。へぇ、一季って変態だな』と嘲笑われ、当然のように中出しをされ、事後のペニスを無理矢理しゃぶらされた。
やめてと懇願しても、それは聞き入れられなかった。『何それ、いいね。もっとやってってことだろ? ドMなんだな、お前』と、整った顔に卑しい笑みを浮かべながら、もっともっと過激なことを……。
その時の痛みをまざまざと思い出せば、一季の身体は震え出す。だが、今は不思議と恐怖感は消えていた。
ただただ、どういうわけか笑えてきた。こんな男に抗えなかった自分が情けなくて、今も当時と変わらぬ思考のままでいる卓哉の下衆加減が、可笑しくて可笑しくてたまらない。
「……ふふっ……ふ……あははははっ……!! あはっ……あっははははっ……!」
突然肩を震わせ、声を上げて笑い出した一季のことを、卓哉は不審げに眺めている。里斗もまた、「先輩……?」と訝しげな声だ。
笑いすぎて、涙が滲んできた。一季は指先で目尻を拭いつつ、小首を傾げて卓哉を見上げた。
「あのね、卓哉。渡瀬くんにも話してたんだけどさ」
「な、何をだよ」
一季はどろりと重く張り付いた満面の笑みのまま、卓哉のすぐそばまで近づいた。吐息がかかるほどに近い距離で、じっと卓哉を見上げつつ、一季は歌うような口調でこう言った。
「卓哉のセックスは、下手すぎて最悪。テクも何もあったもんじゃない。気持ちよかったことなんて一度もないって」
「…………なっ……!?」
「女子にも結構手を出してたみたいだけど、みんなきっと不満だったろうなぁ」
「……な……なっ……一季、お前っ……!!」
胸ぐらを乱暴に掴まれたが、もう何も怖くはなかった。怒りのあまり真っ赤に染まった卓哉の顔が、すぐ間近にある。こめかみに浮かんだ血管がぴくぴくと痙攣する様まで見て取れた。
卓哉が苛立ちまぎれに投げ捨てたバラの花が、足元に散らばっている。その全てがあまりに滑稽で、一季はまた笑い出しそうになってしまった。一季は唇を歪めたまま、低く囁いた。
「ド下手なくせに、偉そうに王様気取って、よく恥ずかしくなかったよね。いっときでも、こんな奴を好きだと思ってた自分が、恥ずかしくてしょうがないよ。……ほんっと、笑える」
「てめぇ……ッ!!」
卓哉の拳が振り上げられるようすが、スローモーションのように見えた。
自ら卓哉を挑発したせいか、衝撃を覚悟しているせいか、心は驚くほどに平静だった。
怒りに醜く顔を歪ませる卓哉の姿と、グラウンドに立ち、爽やかな笑顔でチームを率いる卓哉の顔が、一瞬だぶって、泡のように消えていく。
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