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第44話 色んなこととは〈泉水目線〉
そして二人は、一季のマンションへ戻ってきた。
タクシーの車内、一季はずっと無言で車窓を眺めていた。その横顔は考え事に耽っているようでもあり、どことなく眠たげでもあり、なんとなく話しかけにくい雰囲気を醸し出していたものだった。
だが、泉水はそれでも平気だった。タクシーのシートに置かれていた泉水の手に、一季が自分から指を絡めて来てくれたからである。泉水はその手をぎゅっと握り返し、一季と同じようにただただ夜の街を眺めていた。
だが、その脳内は忙しかった。
一季と帰宅したその瞬間から、自分がどう振る舞うべきかということを必死で考えていたからである。
一季は疲れている。ということはつまり、泉水にぬくもりと癒しを求めているということであろう。帰宅した瞬間に一季を力強く抱きしめて、そのまま玄関で優しくキスをしてみてはどうだろう。さすれば情熱的かつ色気に満ちた雰囲気が生まれ、うまくムードを作り上げることができるのではないか……。
そして一季をひょいと抱き上げて、そのままベッドに運ぶのだ。横たわった一季の上に覆い被さり、いつぞや習得したキスと愛撫で一季を気持ちよくしてあげたいものである。快感によって理性が薄れてしまえば、一季も泉水に甘えやすくなるに違いない。
そしてあわよくば、そのまま…………。
タクシーに乗っていた数十分の間に、泉水はシミュレーションを数十回繰り返した。試行を重ねるにつれ、脳内イメージの自分は、それなりに一季をうまくエスコートできるようになっているように思われた。
だが、相手が想定通りの動きをするとは限らないのが現実だ。
英誠大学のそばを通り過ぎた頃、一季はふと思い出したように「あ……冷蔵庫、何もないな。ちょっとスーパーかコンビニ寄って帰りませんか?」と泉水に提案をしたのである。
かくして、二人はマンションの近くにあるスーパーで買い出しをし、両手にビニール袋を提げて帰宅した。
生活感溢れる場所でのんびり仲良く買い物をしている間に、泉水の中で静かに燃え滾っていた下心は、すうっとなりを潜めてしまい……。
「すみません、泉水さん。荷物持ってもらっちゃって」
「いえいえ! 全然いいですよ」
にこやかに返事を返しつつ、泉水は内心、がっくりと項垂れていた。
――う、うう……一季くん、まるっきりいつも通りや……。俺一人で盛り上がってアホみたいやんんんん……!! あかん、あかんな……俺、欲求不満なんかな。せやから一季くんの疲れた顔見て、不躾にもムラムラしてもうたんちゃうか……!? クッソ俺……いつからこんなスケベオヤジみたいな思考しかできひんようになってしもたんや!! キモッ!! 俺キモっ!!
汚れてしまった己の脳みそを恥じつつも、泉水は引きつった笑顔で、キッチンにいる一季に声をかけた。
「て、ていうか、連休とかでもちゃんと自炊しようっていう姿勢がすごいですわ。俺やったら全部外食で済ましてまいそうで」
「いえ、僕も一人だったらきっとそうしてたと思いますけど。泉水さんがいてくれるし、せっかくだし……と思って」
シャープなラインのワイシャツの袖を軽く捲り、冷蔵庫に食材をしまい込みながら、一季は優しく微笑んだ。その姿はどこの天使かと見紛うほどに美しく、泉水はしばし一季の立ち姿に見惚れてしまったものである。
そして、ことんとテーブルの上に置かれた湯のみ。口の中を満たすすっきりとした渋みのお茶は、ものすごく美味かった。
だが、さらに気分がほっこりしてしまったため、ついさっきまで想像しまくっていた濃密でセクシーな妄想が、きれいさっぱり洗い流されてゆく……。
――ほ、ほらやっぱり……今日はそういうんとちゃうかってんやん……。完全に空気の読み間違いしとるやんか……。そ、そらそうやん。一季くん、あのゲス男と対面して色々思うところもあったやろし、疲れとるやろし……そら、どっちかゆうたらホッとしたいに決まってるやんか……! くっ……俺ときたら、一季くんのナイーブな問題ガン無視しして、勝手にエロい妄想爆発させて……ッ……!! 汚らわしいッ、俺はなんて汚らしいんやっ……!!
と、脳内で己に往復ビンタをかましながらお茶を啜っていると、一季が静かに湯のみを置き、泉水に小さく頭を下げた。
「泉水さん。今日は、ありがとうございました」
「えっ? い、いやいやいや、別に俺はなんも……」
「僕、今日あいつに、言いたいこと全部言ってやれたんです。おかげでなんだか、すごく吹っ切れたような気持ちです」
「え、あっ、そうやったんですか? ひょっとして、そのせいであの男、一季くんを殴ろうと……?」
「ええ、挑発したのは僕なんです。だから殴られるくらい、もういいやって思ってたんですけど……泉水さんが来てくれて、僕を守ってくれた」
「い、いや、守ったってほどのもんじゃ……」
「僕だけじゃなく、渡瀬くんのことも」
「いやいや……俺はただ、あいつの顔見たらめっちゃ腹立ってしもただけで」
「……泉水さん」
一季に褒められることが照れ臭いやら恥ずかしいやら申し訳ないやらで、泉水はひたすら謙遜していた。すると一季は真剣な表情で首を横に振ると、ぐっと泉水との距離を詰めてきた。
そして、きらきらと澄んだ綺麗な瞳でじっと泉水を見つめながら、熱心な口調でこう言った。
「あなたのおかげです。……今までの僕じゃ、きっとそんなことできなかった。昔みたいにあいつの言いなりになって、同じことを繰り返していたかもしれません」
「……で、でも俺は何も……」
「あなたと出会えたから、僕は前より強くなれた。泉水さんが僕を好きだと言ってくれて、大切にしてくれたから」
「い……いつき、」
一季は身を乗り出して、泉水の唇に柔らかく唇を触れ合わせた。力を込めて握り締められた両手から、一季の熱が伝わってくる。
ゆっくりと身体を離し、一季は潤んだ瞳で泉水を見つめた。
「泉水さんが、僕を愛してくれたから」
「……っ」
「……ぎゅってして、もらえませんか」
ほんのりといたずらっぽい口調で、一季は微笑みながらそう言った。泉水はこくこくと何度も頷き、「う……う、うん、もちろん……!!」と両手を広げた。するとすぐに一季は泉水の身体に腕を回して、体重を預けてくる。
「……はぁ…………泉水さん……」
泉水のシャツに顔を埋めて、一季がすうーっと深呼吸している。さらに泉水のぬくもりを求めるように頬ずりをする姿が、愛おしくて愛おしくてたまらない。泉水は一季の背中に回していた腕に力を込め、後頭部を片手で包み込んだ。柔らかな髪の毛からは夜風の匂いがして、手のひらに触れる感触がくすぐったく、たまらない気持ちになってくる。
――あぁ……もう、好き。めっちゃ好きや。ほんまに可愛い。こうしてるだけで、めっちゃ幸せ……。
しばらくそうして抱き締め合っていると、一季がもぞりと腕の中で身じろぎをした。そしてすぐ間近で、一季は上目遣いに泉水を見上げ、薄く開いた唇でこんなことを囁く。
「……キス、したいです。いいですか……?」
「ッ……き、きすっ!? ……あ、はい、もう、喜んで……ッ……!!」
突然のおねだりに、一旦はゼロに戻っていた性欲ゲージが、ぎゅーんとMAXまで真っピンクに染まる。一季の背に回した腕にどう力を入れていいやら分からなくなり、ぷるぷると身体が震え始める始末である。
すると一季は、そんな泉水を見上げて愛おしげに微笑んだ。うっとりと目を細め、柔らかく唇を綻ばせながら、一季は上半身を伸び上がらせ、自分から泉水の頬にキスをした。
「あっ……♡」
「……すみません、いきなりこんなこと言って」
「い、いやっ、あの、ぜんぜん、そんなことないんですけどっ」
「僕から、させてください。今……泉水さんに色んなことしたい気分なんです」
「いっ………………?」
――い、いいい、い、いろ、いろんなことっ……!!?? いろんなことって、ナニ……!? 一季くん、俺にナニをしてくれるつもりなんっ……!!??
熱っぽく掠れた声で、思わせぶりな口調で、妖艶な笑みを浮かべながらそんなことを囁かれ、泉水が平常心でいられるはずがない。
一気に血行が良くなってしまったせいで、かぁぁぁぁと顔が茹でダコのように真っ赤に染まり、泉水はふらりと後ろに倒れそうになってしまった。
しかし幸いなことに、背後にはすぐベッドがあるため、後頭部を強打することは免れた。
ホッとしたのもつかの間、ベッドに凭れかかる格好になった泉水の上に、一季がするりと跨った。そして、白い頬をうっすらと桃色に染めた一季が、しゅるりと自分でネクタイを緩める。そして唇を潤わせるように、ちろりと舌を覗かせて……。
――ふおおおおおおなんこれどちゃくそエロい……ッ……!! ど、どないしてん一季くん!! なんやエロいスイッチ入ってしもてるやんんんん!!!
「泉水さん……大好きです」
「っ……あ」
「好き……好きです」
いきなり濃厚に重なった一季の唇。
その動きはあまりにも巧みで、セクシーで、一瞬にして射精してしまいそうなほどにエロティックだった。
勢いに押され、顎が仰 のく。すると一季はそのままぐっと腰を浮かせて身を乗り出し、ベッドに頭をもたせかけた泉水の上に覆いかぶさり、さらに舌を挿入してきた。
――あっ……あうっ♡ あかん、なん、なんこれっ……エロいッ……!! あ、あああかん、あかんて、舌なんて挿れられたらっ……ぁ、あ、っ……あ、あかん、イってまうからぁっ……!!!!
泉水はパニックになりかけながら、一季の腰に手を触れた。すると、一季は泉水の手にそっと手を重ねて、ゆっくりとそれを下へと導いていく。泉水は、グワッと目を見開いた。
――し、尻……!!?? お、おし、おしり、お尻触らせてくれてはる……!!?? えっ、エッ!!?? どういう意味なん!!???
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