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〈3〉
さて、海でのんびり遊んだ後は、お待ちかねの宴会である。
宴会場は一階にあり、日暮れの海を眺めることのできる見晴らしのいい場所だ。畳張りの広い宴会場には、座卓と座布団がずらりと並べられている。基本的にはどこに座ってもいいことになっているが、一季は何となくいつもの癖で、出入り口に近い下座に座った。
自然と同期が集まる格好になり、たわいもない会話を交わしつつ、宴会の開始時刻を待つ。ビーチバレーでの活躍を冷やかされつつも、一季はひそかに、泉水がどこにいるのかと場内を見渡してみた。
――あ……泉水さん、ベテラン教授に囲まれてる……。
泉水は上座に近いテーブルにいて、見事なまでに周囲をベテラン教員たちに取り囲まれていた。背後から聞こえてくる女性職員らの噂話によると、泉水は海で一季と別れた後にベテラン勢に大浴場に誘われ、そこで裸の付き合いをしてきたらしい。それを聞くや、一季はぐるんと首を半改定させ、もう一度泉水のほうを盗み見た。
――緊張したり、嫌がってるって感じじゃなさそうだけど……。
ちょいちょいと聞こえてくる言葉の意味は難しくてよく分からないが、泉水は癖のある古株教授たちとも実に親しげに話をしており、流石のように堂々としている。その様子を見るに、温泉で中年親父らに変なことをされたということはなさそうだ。一季はややホッとした。
愛想が良く、爽やかで知的、かつ誰しもが見惚れるほどの美丈夫である泉水に、ベテラン勢もすっかり骨抜きであるようだ。「まぁまぁ塔真くん飲みなさい」「おおっ、いい飲みっぷりだね〜。若者はそうでなくては」「いいんだよ、無礼講で構わないからね」「ふふ……頭だけでなく、肉体のほうもすこぶる優秀ときた。君は素晴らしい逸材だなぁ」などなどと可愛がられているのだ。
そうして泉水を観察しているうちに、直木賞作家でもある大御所文学部教授による長々しい挨拶が終わっていた。乾杯を終えたあとも、一季はチラチラチラチラと泉水の方を窺い続ける。
――ん……? ちょ……坪田先生、泉水さんとの距離が近すぎやしないか……!? 同じ工学部だからって、最近泉水さんにベタベタベタベタしすぎなんだよ。今日も同室だって言ってたし…………え、なにそれやばいくないかそれ。今だってほら、赤ら顔だし泉水さんのお尻の後ろに手をついて、触るタイミング窺ってますみたいな顔してるし……!!
「セクハラされやしないか心配ですよね。大浴場なんて、素っ裸で隙だらけだし、塔真先生って自分のことに関してはニブそうだし」
「そうなんだよなぁ……。あそこにいる全員が、泉水さんの肉体美を舐めるように眺め回していたのかと思うと……ああ、なんか腹立って来た…………って、わ、渡瀬くん!!」
いつの間にか、隣にいたはずの田部の姿が消え、渡瀬里斗が隣に座っている。田部はというと、庶務課の若い女性陣の中へと、単身斬り込んでいってしまった模様だ。
里斗は涼しい顔でビールの入ったグラスを傾けつつ、ほんのりと頬を染めて一季を見た。
「ていうか先輩、先生を見る目つき、激ヤバですよ」
「え、うそ」
「ま、あのオッサンの群れの中に一人ピッチピチのイケメンが混じってるっていう絵面が、まずまずアブナイ感じですけどね。しかも浴衣だし」
「……そうなんだよ。泉水さんの浴衣……はぁ…………すごい……」
そう、大浴場から戻ってきた泉水は、浴衣姿であったのだ。
一応、一季も部屋でシャワーを浴びて浴衣に着替えてきてはいたものの、上背があり体格のいい泉水の浴衣姿には、凄まじいまでの色気と破壊力があった。
白地に藍色の模様が入った涼しげな浴衣は、泉水の健康的な肌にとてもよく似合っていた。暑かったのか、襟元を少し寛げているため、首筋から美しい鎖骨のラインがきれいに映え、今すぐにでもそこの匂いを嗅ぎに行きたくなるような衝動を感じる。が、なんとか耐えている現状だ。
引き締まった腰に藍色の帯。尻から脚にかけて浴衣が落ちる流線もまた芸術的で、一季はしばし泉水から目が離せなかった。そんな一季の挙動不審が目立たなかったのは、周囲の女性職員らも、泉水の浴衣姿に目が釘付けだったからである。(ちなみに、何人かの男性職員も見惚れている)
――あぁ、なんて色っぽいんだろう……。浴衣着たままでエッチなことしてみたいなぁ……。
と、ビールをちびちびやりながら泉水の浴衣姿を堪能していると、里斗が思いきり一季の脇腹に肘を入れてきた。
「うぐぅっ……!!! な、何……する……んだよ……」
「見惚れすぎ。よくそんなんで職場恋愛できてますよね」
「あっ……あ、そうだね。……気をつけないと」
「ま、お姉さまがたも先生のことしか見えてないみたいだけど」
「うん……それはそれで心配だけどさ」
「でもあんだけのベテラン教授に囲まれてたら、ホイホイ事務職が混じって行ける雰囲気じゃないですしね。逆に安心なんじゃないですか?」
「う、うん……まぁ、どっちが安全か分かんないけど」
苦笑しつつ、一季は里斗のグラスにビールを注いだ。すると里斗は「あ、すみません」とそれを受け、今度は一季のグラスにも酒をついでくれる。
「ところで、渡瀬くんは、初恋のあの人とはどうなったの?」
と、一季は予てから気にしていたことを里斗に尋ねてみた。
すると里斗は傾けかけていたグラスをピタリと止めた。
そしてゴゴゴゴゴ……と不穏な効果音が聞こえてきそうに鋭い目を、ギロリと一季に向けてくる。一季はぎょっとして、顔を引きつらせた。
「………………今それ聞いちゃう? それ聞いちゃう?」
「えっ? あ、ごめん。言いたくなければ言わなくても……」
「無責任なこと言わないでくださいよ。聞きたいんでしょ? 聞きたいから俺に話振ったんでしょ?」
「あ、あー……まぁ、うん、そうだね……気になってたし……」
「いいですよ、別に。俺も誰かに愚痴りたい気分だったし」
ダンっ!! とビールを一気飲みした後のグラスをテーブルに置き、里斗はぶはっと漢らしい息を吐いた。
+
「…………なるほど、結婚ね、そうだよね、ノンケは結局そっちに行けちゃうんだもんね。…………これだからノンケの男は嫌なんだよなぁ…………こっちの気持ちなんか御構い無しにさぁ、身勝手にそっちの世界に戻っていっちゃうんだもんなぁ………………」
いつしか、酒は焼酎へと変わっている。
ボロボロと泣きながら怒っている里斗の背中を、一季はさすさすと撫でてやっていた。
「でしょ!? ひどいでしょ!? あんのクソ野郎結婚してやがったんですよ……!! 俺の純情弄んでおきながら、あっちはホイホイ年上の女と結婚してやがったんですよぉ…………!!!」
「うんうん、ひどい。ひどすぎるよなぁ…………うん、そんな男はクソだ。クソ野郎だ…………」
話題が話題であるため、ふたりは浜辺に面した宴会場の縁側に出て窓を締め、そこでひたすら呑んだくれているのである。この話題になった途端、がぶがぶと飲みまくって酩酊している里斗であるが、一季のほうもかなり出来上がっている。焼酎はあまり得意ではないのだが、里斗につられてついつい飲みすぎてしまったのだ。
「うっ……ううぇっ……クッソぉ……!! ひとがせっかく覚悟決めてさぁ、あんなクソ山奥くんだりまでいってやったのにさあぁ……!!」
「うんうん、がんばった……! 渡瀬くんはがんばったよ!! よしよし……」
「あたま撫でんな!! あわれみなんて、いらねーんだよクソぉっ……!!」
「泣きたい時は泣けばいいんだ! こんな愚痴誰にも言えないだろ!? ほらおいで、僕の胸でよければ貸すから!!」
「うっせーんだよ兄貴ヅラすんじゃねーよ!! うわあああん!」
口では邪険なことを言いつつも、里斗はとうとう一季にしがみついて泣き始めた。どうやら今日の里斗はずいぶんと泣上戸であるらしい。
弟に接するように里斗の頭を撫でながら、ぎゅっと細っこい肩を抱く。すると里斗はこれまでのクールな態度が嘘のように、顔をぐしゅぐしゅにして泣きはじめた。
「ううっ、うぇっ……ちきしょう……何なんだよあの野郎……!!」
「よしよし。がんばったがんばった」
「うえぇぇガキ扱いしてんじゃねーよクソぉお!! ……うえっ、うぇっぐ……おれの純情返せってんだよふざけんな! ろりこんのクソ野郎!! とっとと忘れてセフレ作りまくってやるよクソぉぉぉ!!」
「だめだめだめだめ!! セフレは危ないからダメ……」
「おいおい……何してんねん、こんなとこで……」
二人同時に顔を上げると、呆れ顔の泉水が懐手をして立っていた。
「……あ、泉水さん……」
「先生らがあらかた潰れてしもたから、ようやく抜け出せたんですけど……。びっくりするやん、こんなとこで二人で抱き締めあってんねんから……」
「あっ……あっ、ごめんなさい!! 僕、渡瀬くんを慰めたくて……」
「やれやれ……って、あれ? 渡瀬寝てへん?」
「あ……ほんとだ」
一季が腕の中を見下ろして見ると、里斗は赤い顔をしてくーくーと寝息を立てていた。泉水はすっと膝を折り、ぐったりと脱力している里斗の身体をひょいと抱え上げる。
「部屋まで連れて行きますわ。……やれやれ、こんなに酔うて」
「……す、すみません。僕がついていながら……」
「いや……なんや荒れてたみたいやし、一季くんと話せてよかったんちゃうかな」
「はい……」
アルバイト学生の部屋は、宴会場のすぐ真上にある広い座敷だ。ここで大学院生が五、六人が宿泊することになっている。その部屋で、大人しそうな三、四人の男女が、テレビを見ながら寛いでいた。
その院生たちに里斗を託し、一季と泉水は廊下へ出た。そして二人同時に、ふうと息をつく。
「泉水さん……すみません。お手数をおかけしてしまって」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ。ところで……」
赤いフェルトのような絨毯が敷き詰められた廊下を歩きつつ、泉水は思い出したようにぽんと手を打つ。
「同室の坪田先生、なんや家の都合で、すぐ東京に帰らなあかんくなったらしいんですよ」
「え? そうなんですか?」
「なんやスーツからキャバクラの名刺が出てきてしもたらしくて、すぐに奥さんに謝りに帰らなヤバイって言わはって」
「キャバクラ……そ、そうですか。それは大変だ」
「せやし……」
泉水が急に声をひそめた。何事かと足を止めると、泉水はちょっと身を屈め、一季の耳元にそっと顔を近づけてきたではないか。艶かしい鎖骨が目の前に迫っている。浴衣を着た泉水のドアップに、「ひぇえぇぇ♡」と一季は内心大興奮だ。
溢れ出すときめきもそのままに泉水を見上げていると、泉水は一季の耳元でこんなことを囁いた。
「……今夜は、俺の部屋に泊まりませんか」
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