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番外編『お化けなんて怖くありません!!(前)』〈泉水目線〉
季節は夏。
一季という愛しい恋人を得て、二年目の夏である。
大学の夏休みは二ヶ月と長期に渡るが、今年は『エデュカシオ』という通信教育会社との連携企画として、『夏休み☆こどもオープンキャンパス』というイベントが開催されることもあり、準備に関わる教員や学生らの姿が多く見られる。
泉水もまた、その企画に参加する予定だ。
子どもたちの身近で、生活に役立っている『環境工学』についての教えるべく、簡単な授業を行うのである。慣れないちびっこ相手の仕事に悲鳴を上げている教員もいる中、親戚が多い泉水は、子どもの扱いに抵抗を感じることはない。むしろその日が楽しみだった。
その日使う資料を作成するため、午後中ずっと教授室に引きこもって仕事していた泉水だが、ふと、ノックの音で我に返った。随分と集中していたらしい。
「塔真先生、今少しよろしいですか?」
「あ、一季くん……やなくて、嶋崎さん。お疲れ様です」
かしこまった口調で挨拶をし、入室してくる一季を見て、泉水の胸はきゅんきゅんと甘く騒ぎ立てる。交際がスタートして二年を経ているというのに、こうして一季の顔を見るだけで胸がときめいてしまうのは相変わらずだ。
ブルーライトカット眼鏡を外して向き直る泉水に、一季はふっと微笑んだ。
「って……今は二人きりでしたね。泉水さん、お疲れ様です」
「そ、そうですね。あっ、コーヒーでも飲んで行かはりますか?」
「ええ、いただいちゃおうかな」
ちょっと照れたような顔で微笑む一季が、愛おしくて愛おしくてたまらない泉水である。
うきうき弾む歩調で給湯スペースへ行き、慣れた手つきで湯を沸かし始めた。窓の外を見ると、たくさんの学生たちがイベントの準備に勤しんでいる姿が見える。
頭にタオルを巻き、手には軍手をはめて大きな木材を切っている学生を、泉水は微笑ましく見守った。
「なんやお祭りみたいですねぇ。学生たちもあんなに張り切って」
「そうなんですよ。有志の学生さんたちがたくさん集まってくれたので、当日子どもたちもすごく喜ぶんじゃないかな」
「ですねぇ」
聞けば当日は、キャンパス内で学生主導のイベントも催されるらしい。午前中に知的な刺激を受けた子どもたちを、午後はしっかりと楽しませたいというプランだ。
そこでさらに、大学へ親しみを感じてもらおうという魂胆もある。大学は、学問を追求するだけの堅苦しい場所ではないということを知ってもらうためだ。
学園祭があったり、サークル活動があったり、友情を育んだり恋愛したりと、学生たちはこのキャンパス内で様々な経験を得てゆくのだから。
出来上がったコーヒーをふたつ持ち、泉水は一季の隣に腰を下ろした。何の色気もない長机とパイプ椅子だが、一季がそこでコーヒーを飲んでいるだけで、まるで洒落たカフェにいるような気分になれるので不思議である。
「露店もありますし、中庭では漫才を披露する学生さんがいるみたいだし、学園祭みたいですね。文学部の日本文学科の学生さんたちなんて、お化け屋敷を作るんだって張り切ってましたし」
「………………お、おばけ、やしき…………?」
「ええ、旧講堂って知ってます? レトロで古い建物なんですけど、その中に色々仕掛けを作るんだそうですよ。僕、モニターとして最初のお客さんになってくれって頼まれてるんですよ」
「エッ? モニター……ってことは、一季くんが、お化け屋敷に入らはるってこと……?」
「ええ、そうなんです。泉水さん、よかったら一緒にどうですか?」
「…………あっ……あ、あー……ど、どないしよかなぁ〜〜〜」
――どないしよ……どうしたらええんやこれ……。この歳でお化けが怖いなんて、カッコ悪すぎて言われへん……。
強がっては見るものの、『お化け屋敷』という単語を聞くだけで、泉水の全身には鳥肌が立ってしまう。
小学四年生の頃、従兄弟たちに連れられて入った、とある遊園地のお化け屋敷。夏にだけ姿を現す特設のもので、怖いと評判のアトラクションだった。
そこで、泉水は恐怖のあまり失神してしまった過去があるのだ。
だがしかし、泉水は決して怖がりなのではない(と自分では思っている)。
ただ単に『お化け屋敷』が苦手なのだ。密閉空間で次から次へと繰り広げられる恐怖イベントが怖いだけなのだ。
あの独特の音響、空気感、薄暗さに不安をかき立てられるのだ。何かが出てくると頭では分かっているのに、こちらの予想を裏切るタイミングでお化けたちは出現する。その度に心臓を口から吐き出しそうになるほどにビビってしまい、先へ進もうという気持ちを挫かれる。
怖くて怖くてたまらなかったが、いとこたちは皆さほど怖がっている様子もなく、スタスタと先へ進んでしまった。そして、泉水は取り残されてしまったのだ。
とはいえ、一本道なのだから迷うことはない。だが泉水は、迫りくる恐怖でパニックに陥っていた。もう永遠にこの恐怖空間の中から逃げられないのではないかという不安に飲み込まれ、小四の泉水はその場でぶっ倒れてしまったのだった。
だがしかし、泉水は決して怖がりというわけではない。そう、ただ『驚きやすい』というだけなのだ――
と、必死で脳みそを整理整頓している間も、一季は楽しげにこんなことを言うのである。
「どうですか? 先生に見てもらえたら、学生さんたちすごく喜ぶと思うんですけど」
「あ、あー……せやなぁ。文系の学生さんとは、普段あんま関わりもないしなぁ……」
「それに僕も、先生とお化け屋敷に行く機会なんて滅多になさそうだから、ちょっと楽しそうだなぁ……なんて」
「う……」
――ど、どないしよ……一季くんめっちゃ楽しそう……。
だが、泉水がいつまでも返事をできないでいると、一季がハッと何かを察したような顔をした。そして、やや焦ったような口調でこんなことを言い始める。
「あっ……そっか、泉水さん、イベントの準備もあってお忙しいですもんね! すみません、浮かれたことを……!」
「えっ!? あ、いえ、ちゃうんですよ? そういうわけじゃ……」
「田部も行きたがってたんで、モニターの件は教務課内で処理しますね。すみません」
「え? 田部くん? 田部くんと一季くんが二人でお化け屋敷行く……ってこと?」
「そうですねぇ……女性陣は皆いやがってたので、そうなるかと」
泉水の脳内に、モワモワと妄想が発生する。
突然現れた幽霊に怯えた一季が、田部に思わず飛びつく様を。
すると田部はニヤニヤしながら、『嶋崎さん、オバケ怖いんですか〜? かーわいい♡ 俺がずっと肩抱いててあげますよ♡』と言い、震える一季の肩に腕を……。
「いやいやいやアカーーーーン!!! 待って待ってそんなんあかん!! 暗がりに乗じて田部くんが一季くんにエロいことしたら大変やし!!」
「えっ? それはないでしょう」
「だって、だって! 一季くんかてお化け怖いやんな!? そ、そういう時は俺が!! 田部くんやなくて、俺がしっかり一季くんをお守りして差し上げたいし……!!」
「いえ、別に怖くないですよ?」
「え」
きょとん、とした顔でこともなさげにそんなことを言う一季の頼もしさ……泉水は内心、衝撃を受けた。
――お、おお……こんなたおやかな見た目してんのに、お化け怖ないとかめっちゃ強いやん、めっちゃ男前やん惚れてまうやろ……。
「こ、怖くないんですか……。びっくりしません? お化け屋敷って、急にワーーってお化け来るやないですか」
「ああ……まぁ、多少はびっくりしますけど。スリルを楽しむと言う意味で、結構好きなんですよね、お化け屋敷」
「エッ、そ、そうなん……? 強……」
「あ、でも、泉水さんお忙しそうですから、この件は……」
「い、いやいや!! 行きます!! 行きましょうお化け屋敷!」
「え……、大丈夫ですか?」
――あれ、一季くん何でちょっと心配そうな顔してんの……? はっ……まさか、俺がお化け屋敷に怯えてるとか思ってる!? は、はは、恥ずかしいやんそんなんんんん……!!
気遣わしげな一季の表情を吹き飛ばすように、泉水はあえて大きく頷く。そして、グッと拳を握りしめた。
「行きましょう! せっかくの夏ですもんね!! スリル、楽しみましょう!」
「あ、ありがとうございます。楽しみですね」
「ははは〜せやな〜〜……」
――そうやん……俺かて、もう童貞でもなけりゃ恋人もいる一人前の男になったんや……!! お化け屋敷なんて、全部作り物なんやで? ビビらされるって分かってて入んねんから、心の準備を十分しといたら大丈夫やろ……!! そうやん、もう怖がることなんてひとつもないねん……!!
にぎにぎと拳を握りしめながら、泉水は一人で深々と頷いた。
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