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『お化けなんて怖くありません!!(後)』〈一季目線〉

   ――どうしよう……。泉水さん、やっぱ怖いんだよなぁ……。でも、ここで断ったらプライドが傷つくだろうし……うーん。  個人的に大好きなお化け屋敷に誘ったはいいが、どうやら泉水はホラー系のあれこれは苦手なようだ……。  軽率に誘ってしまった自分を、一季は内心派手に悔いていた。  ――そういえば……ホラー映画とか怖い系のテレビ番組とか、一緒に見たことない気がするな。  夏場に増える『本当にあった系の怖い話』などを見ることは、一季にとって例年の楽しみでもあった。泉水と交際し始めて二年目に突入するが、去年の夏はどうしただろう――と、一季は過去に想いを馳せる。  テレビなどにうつつを抜かす余裕がないほど、プライベートではイチャイチャと甘い時間を過ごしていたような気も……。  ――うーん、大丈夫かな。怖がりな人にお化け屋敷とか、地獄じゃないか。うーん……。  勢いが必要ということなのだろうか。  その日の夕方に、一季と泉水はお化け屋敷へ訪れることになったのである。泉水が「もう完成してるんですか!? ほな行きましょ今行きましょ!!」と引きつった笑みを浮かべつつ、空元気を発揮していたからである。  だが、すでにすべてを察してしまった一季である。一旦日を置いて、どう断れば泉水を傷つけないかと考えたかったのだが、当の泉水が勢いに乗ってしまったのでどうしようもない。  かくして、一季は泉水を伴って、旧講堂へと訪れたのだった。  旧講堂は、キャンパスの一番北端にある建物である。昭和初期に建てられた洋風建築であり、貴重な文化財として大切に保管している建物だ。  だが、ここは厳重に保管されているだけの建物ではなく、現在も主に文学部の講義で時折使用されている。学生らが文化に触れるいい機会であろうという、大学側の考えである。  壁面はベージュ色のタイルで覆われ、アーチを描く門のデザインなどはレトロで洒落ている。内装もまたシックで、深い飴色の艶を称えた床板や窓枠、階段の手摺りなどが、白い壁と相まって絶妙な味わいだ。  あまり立ち入ったことのない旧講堂だが、『お化け屋敷』特設会場として利用されている割には普段通りの物静かな佇まいだ。一季はあたりを見回し、ちら、と泉水を盗み見る。顔面蒼白で目はうつろで――いたたまれない……。 「ウワァ〜〜……ここがお化け屋敷ですか? はは……ええ雰囲気やなぁ……」 「そうらしいんですけど……あの、本当に大丈夫ですか? えーとその、お時間的なほうは……」 「だ、だ、だだい大丈夫ですよ!! 全然大丈夫!!」 「そうですか……」  ――はっ!! ここで僕が、『何だか急に怖くなっちゃった』って言って引き返すって言うのはどうだ……!? くっ…………でも、『全然怖くない。スリルがあって大好き』みたいなこと言っちゃったし……!! ここで引き返すのは至極不自然だ……うーん。  ひと気がないので『今日はもうみんな帰っちゃたのかもしれませんね〜!!』などと言って回れ右をしてみようかと考えたその時、とてもいいタイミングで、学生が姿を現した。  一季にモニターを依頼してきた、文学部三年の女子学生である。 「あ〜、嶋崎さん。もう来てくださったんですね」 「え、えーと……うん。そうなんだよ」 「えっ、え、し、しかもっ……ほんとに塔真先生連れてきてくれたんですかぁぁ!?」  泉水が壁と同化するほどに白い顔をしていたせいか、女子学生は今ようやく泉水の存在に気づいたようだ。(ちなみに白衣を着ているので全体的に白い)  目を爛々と輝かせながら一季そっちのけで泉水に駆け寄り、「せっ、せんせい……はじめましてこんにちは……!!」と驚くほどのマシンガントークで自己紹介とお化け屋敷の説明と頑張った点についての説明を始めた。  始めは勢いに負けてただ相槌を打っていた泉水だが、学生と出くわしたことでようやく気分に張りが出てきたのだろう。徐々に顔色が戻り、いつも通りの爽やかな笑顔が蘇りはじめたので、一季は少しホッとしていた。 「へぇ〜頑張って作らはったんやなぁ」 「そうなんですそうなんです!! 特に凝ったのは幽霊たちなんですよ!! 『女教授にふられて首吊りした学生』とか『懐かしの花子さん』とか『トイレで溺死した老教授』とか、とにかくたくさんの幽霊が出るので期待してください!!」 「……っ……はは、ははは……うん、うん、期待してる……」 「さ、どうぞどうぞ〜! 嶋崎さんも、じっくり楽しんでいってくださいね!」 「あは……うん、ありがとう」  ぐいぐいと女子学生に背中を押され、一季と泉水はとある観音開きの扉の奥へと押し込まれた。これまで、蛍光灯の明かりの下にいたため、急な暗転でなかなか目が慣れない。  しばらくあたりを窺っていると、ぴちょん……ぴちょん……と水の滴るような音が聞こえてきた。  そのタイミングで、ぼう……と青緑色の光があちこちに浮かび上がった。ここは廊下で、左右には等間隔でドアが並んでいるのが見える。それぞれのドアには真鍮で作られたドアプレートがついているのだが、あえてのように、いくつかのドアプレートに照明が当たっている。  と言うことは、そこを開けて中へ入れということだろう。なるほど照明にも凝っているなと思いつつ、一歩二歩と歩き始めると、泉水がおっかなびっくりついてきた。  第一の扉を前に、一季はそっと泉水の横顔を見上げた。すると泉水はゴクリと息を飲み、震える手を持ち上げてドアノブに触れようとしているが……手を引っ込める、そしてまた手を伸ばし……と言うのを繰り返しているのだ。  いたたまれなくなった一季は、そんな泉水の手にそっと自分の手を重ねた。すると泉水は「ヒッ!」と声を上げつつ、咳払いでごまかそうとしている。一季は意を決して、ぎゅっと泉水の手を握りしめた。 「泉水さん、強がらないでください。こういうの苦手なんでしょ?」 「へっ………………!? い、い、いいいいや、そんなことあるわけないやないですか……」 「うそだ。こんなに手が震えてる」 「っ…………で、でも、だいじょうぶ。心の準備さえできてれば大丈夫ですから……っ!」 「無理しないでください。僕の手を握って、僕を見て下さい」 「へ……」  泉水の震える手を取って向かい合い、一季はじっと泉水を見上げた。薄暗がりの中で泳ぎまくっていた泉水の視線が、ようやく一季のそれと結び合う。 「……一季くん……すんません。こんな情けないとこ、見せたくなかってんけど」 「いいえ、僕の方こそすみません、うかつにこんなところへ誘ってしまって……」 「いやいやいや! 普通の男はこんくらいでびびりませんもんね! 俺……お化け屋敷に取り残されたことあって、ちょっと、トラウマ気味というか」 「そ、そうだったんですか!?」  初めて聞く泉水の過去に驚くとともに、申し訳なさを感じずにはいられなかった。一季は改めてのようにぎゅっと泉水の手を握り直し、決意を込めてこう言った。 「僕は絶対、泉水さんの手を離しません。周りは見ないで、僕のことだけ、ずっと見ていてください」 「えっ…………//// あ……はい」 「行きましょう。足元だけ気をつけてくださいね」  心なしか頬が赤く染まっているように見える泉水としっかり手を繋いで、一季は躊躇いもなくドアを開けてゆく。  ここは恐怖をかいくぐり、部屋の奥に設置されたスタンプを集めてゆくというシステムのお化け屋敷なのだが、一季はサクサクとその作業をこなしていった。  だが、やはり出るものは出るのがお化け屋敷である。  教室の隅に浮かび上がる苦学生の霊、暗幕の陰から不気味な動きで踊りながら登場する演劇部員の霊、天井の隅(脚立にでも乗っているのだろうか)からスゥ〜〜〜と顔を出して脅かしてくるエリート学生の霊などなど、様々なタイプの幽霊が顔を出す。  トイレでは『ずっと一緒だよ……』と、大学までついてきた花子さんが出現し、教授室では首吊り状態からガバリと顔を上げ、『おまえのせいだ〜〜!!』などと謎に叫ばれたり――  一季としては、泉水を守ると言う至上目的があるため、彼らの素晴らしい演技にもさほどびびることはなかった。  だが泉水は、幽霊に扮した学生らが登場するたび、『ギャァァァびっくりした!!』とか『ウァ〜〜〜〜〜ごめんなさい!!!』とな悲鳴を上げながら謎の謝罪をするなど素直に驚いているものだから、去ってゆく幽霊達もどこか嬉しそうである。  幽霊だけではない、時折天井からぶら下がってくる紐付きこんにゃくや、壁をぶち抜いて突き出してくるあまたの腕、触れた壁に付着しているスライムなどなど、客を驚かせる仕掛けがあちこちに施されていた。  もちろんのこと、その度に『これはアカン!! アカンアカーーーーん』と叫んでいる泉水だ。申し訳なさを感じていた一季も、だんだん幽霊や仕掛けよりも、泉水のリアクションのほうが楽しみになってしまうほどである。 「ハァ、ハァ…………あ……一季くん、出口やて……」  驚き、慄き、大声を出しまくっていた泉水が、疲弊してげっそりした顔をのろのろと持ち上げる。そこには、真っ赤なライトで不気味に照らし出された『出口』という文字が浮かび上がっている。 「行きましょう、泉水さん。よく頑張りましたね」 「う、うん…………がんばった、俺…………一季くんのおかげやで……」 「いえそんな。さぁ、出ましょう」  そして、ようやく開いたドアの先には……眩しいほどの夕日が、真っ赤に光り輝いていた。  ようやく恐怖の閉塞空間から解放された喜びか、泉水が「うおおおお〜〜〜!」と両手を突き出し歓喜の声を上げている。一季は、はぁ……とため息をついた。何やら特大ミッションを無事に終えたような気分である。 「泉水さん。これからは、苦手なものは苦手って言ってくださいね。お化けが怖いってこと、僕が馬鹿にすると思ったんですか?」 「い、いや……ごめん。昔から結構ビビリなことでからかわれてきたから、ちょっとな」 「そうだったんですか……。でも、僕は気にしませんし、頼りにしてもらえて嬉しかったですよ」 「うん……一季くん、めちゃ男前やったわ」  泉水が、ようやくへら、と力ない微笑を浮かべる。気が抜けたのか、涙目だしそこはかとなくやつれているが、泉水の新たな一面を知ることができた喜びが、一季の表情をも綻ばせた。 「怖がって僕にすがってくれる泉水さん……すごく可愛かったです。普通に生活してたらありえない状況ですね」 「あ……ははっ。お見苦しいところをお見せしてしもて」 「ううん。あとでしっかり、疲れをとってあげますから」 「えっ……」  繋いだままだった泉水の手を、指先でそっと撫でてみる。ようやく通常の体温に戻り始めたらしい泉水の肌が、敏感にぴくりと震える。 「そ、それはどういう……どういう意味なん……?」 「それは、帰ってからのお楽しみです」  一季が色気たっぷりに微笑んで見せると、泉水はその台詞の意味を察したような顔をした。みるみる、夕陽に照らされた泉水の顔がさらに派手に赤くなり……そして、鼻血が一筋。 「あっ、鼻血出てます」 「あっ……!!」  一季からテッシュをもらいながら泉水がおたおたしていると、ドアの向こうから一人の学生が姿を現した。  さっき入り口にいたのとは違う、清楚な顔立ちをした男子学生だ。どこか高校生っぽさを残しているところを見ると、まだ一年生なのだろう。 「ずいぶん早く出られたんですね……って、せ、先生鼻血!? 大丈夫ですか!?」 「あ、だ、大丈夫、大丈夫……」 「もしかして、何かお顔に当たるようなものがありましたか!? 壁にくっつけてたものが落ちてきたとか……!」 「いやいやいや、そういうんとちゃうから……ほんと、お気遣いなく……」 「はぁ……」  その一年生は、一季にモニター結果を記述するためのファイルを手渡し、「お疲れ様でした。本当に危ないところ、ありませんでしたか?」と気にしている。一季は苦笑しつつ首を振った。 「それは大丈夫。でも、ちょっと道順的に分かりにくいところもあったから、そのへん細かく書いておきますね。安全面を考慮して、修正してもらえるといいかな」 「はい、ありがとうございます」  にっこりと柔らかな笑みを浮かべた一年生が……ふと、ハッとしたように泉水の方を見た。  そしてひどく申し訳なさそうな顔をして、「失礼します」と言い、「しっしっ! こら、ついてきちゃダメだろ」と何かを追い払うような仕草を――  泉水の表情が、ピキーンと強張った。 「え、なに……なんなん……え? なんもいいひんけど……虫でもおった……? 俺の肩に……?」 「あ、いえいえ、大丈夫です。もういませんから」 「え? なに? 何やったん? え、ちょい待って怖いねんけど」 「あの、もう全然大丈夫ですから。あはは〜」  と、曖昧に笑う一年生である。  すると遠くから「おーい、桐ヶ谷くーん。こっち手伝って!」という声がかかった。 「じゃ、僕そろそろ……。嶋崎さん、塔真先生、今日はありがとうございました」 「あ、うん……。修正終わったら連絡くれるかな? またチェックするので」 「はい、よろしくお願いします!」  桐ヶ谷と呼ばれた学生は、そのまま小走りにお化け屋敷の中へと消えてゆく。その背中を見送った泉水は、ぎぎぎぎぎと、きしんだ音がしそうなほどにこわばった動きで一季に向き直った。 「な……なんやったんやろ……あれ」 「いや……ほら、きっと虫ですって。ここ古いし、クモとかいろいろ出るんですよきっと」 「あ〜クモ……。あはは〜〜最後の最後まで脅かしてくるんやから、困るな〜〜……あはは……」  どこか釈然としないものを抱えていそうな泉水だが、一季は敢えてのようにパン、と手を叩いてこう言った。 「さ、早く帰りましょう!! おいしいもの食べて、飲んで……それで、ね?」 「あ…………アッ……せやった。うん……」 「ふふ、怖かったこと全部、忘れさせてあげますから」 「ちょっ//// やめてやこんなとこで……鼻血止まらへん」  と、あっという間に照れ始めた泉水と連れ立って、一季は旧講堂を後にした。何やらどっと疲れたので、今日はおいしいつまみを買ろう――と考えながら。  去り際にそっと振り返った旧講堂は、暮れなずむ夕日の中で、どこか不気味に佇んでいる。  夏の番外編・『お化けなんて怖くないです!!』 おしまい

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