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第7話 いざ、お宅訪問〈泉水目線〉
「どうぞ、入ってください」
「お、お……おじゃまします……!!」
震える指でインターホンを押した数秒後、一季がにこやかに顔を出す。(ちなみに、緊張のあまり、インターホンを押すまでに十分かかった)
一季は昼間見たワイシャツ姿ではなく、ほっそりとした身体に誂えたかのような、シンプルな黒いニットを着ていた。これまで淡い色の服を着ているところしか見たことがなかったため、一季が黒を着ているということにさえ妙な興奮を覚えてしまい、泉水はふらりとめまいに襲われた。
――く、黒……やと……!? なんやろ、め、めっちゃエロい…………肌が白いから、なんやむっちゃエロい……!! あ、あかんで、あかんでこれは……!!
ただのVネックセーターだが、色の白い一季が着ていると、妙にアダルティな雰囲気を醸しているように見えてしまうのだ。きれいな首筋があらわになり、うなじのあたりが絶妙に艶っぽい。普段はシャツの襟で隠れているから、なおさらそう見えてしまうのだろう。気のせいだろうか、泉水の耳には、どこからともなくムーディな音楽が聴こえてくる……。
――……って、いやいやいや何でやねん。ええ加減落ち着けや俺……!! 別に黒いパンツ見てしもたわけちゃうんやん。ただ黒い服着てはるだけやんか……なんでこんなことで動揺してんねん!! アホか!! アホなんか俺はッ……!!
と、一季の姿を見た途端動揺している自分を内心タコ殴りにしながら、泉水はつとめて爽やかな笑みを浮かべた。そして、実家から届いたばかりの果物が入った紙袋を差し出した。それを手渡す時に、ちらりと一季の鎖骨が見えた。何だか見てはいけないものを見てしまったような気持ちになり、泉水はばばっと素早く明後日の方向に目をそらす。
「これ……どうぞ」
「あ、すみません、お気遣いいただいて。わぁ、枇杷 ですか?」
「そうなんすよ。親戚が枇杷作ってて、実家からよう届くんです」
「嬉しいです。僕、大好きなんですよ。食べるの久々だなぁ」
「えっ、ほんまですか? あはは〜よかった」
泉水にとっては食べ慣れたものだが、一季が輝かんばかりの笑顔を浮かべて喜ぶものだから、へらへら〜と顔が緩んでしまう。今後、親戚の住む方角に足を向けて寝ることはできないなと思いつつ、泉水はようやく一季の部屋へと上がり込んだ。
「どうぞ、好きなところに座っててくださいね」
「あ、すんません……」
――ここが、嶋崎さんの部屋……! ふおお、なんやええ匂いするわ。何やろ、むさ苦しい俺の部屋とは全然違うな……むっちゃオシャレやし、きれいやし。
間取りは完全に同じだが、一季の部屋はシンプルながらも統一感のある家具で揃えられた、落ち着きのある空間だった。
一季は青系の色が好きなのだろうか。淡いコバルトブルーのカーテンやラグマットが、まずは目を引く。テレビボードやベッド、そしてベッドサイドに置かれたチェストなどは深い色味の木製で、クールな印象だ。ふんわりとした優しげな一季の雰囲気から、白っぽい部屋を想像していたのだが、予想に反してシックな空間が広がっていたため、きょろきょろと不躾に辺りを見回してしまった。
「何か飲みますか? ビールならあるんですけど」
「お、ええですね。酒、好きなんですか?」
「ええ、まぁ……わりと」
「そうなんや。田部くんが、嶋崎さんは飲みに連れっててくれないって言うとったから、苦手なんかと思ってました」
「一人で飲むのは好きなんですけどね……。外で飲んで酔っ払うと、どうなってしまうか分からないもので……」
「ど……どうなってしまうか分からない…………んですか?」
「あ、いや……きっとご迷惑をおかけしてしまうことになると思うので、あまり外では……ね」
意味深なことを言って頬を赤らめる一季のセクシーな笑みに、泉水の妄想は爆発だ。一瞬にして『酔って顔を赤くして、ワイシャツをはだけている一季』とか『とろんとした表情で淫らに微笑む一季』であるとか『酔いつぶれてセクシーに寝乱れている一季』のイメージが、もわもわと脳内を占拠しはじめている。
――何それ、どういう意味。どういう意味なん? まさか……まさか、酔うとエロくなるタイプなん? 今でも十分色気ダダ漏れやのに、これ以上エロくならはったら俺、いったいどうしたらええんや……。『いずみさぁん、ぼく、よっちゃった♡』とか『あついなぁ……ぜんぶぬいじゃお〜っと』とか『あ……ん、なんだかえっちな気分になってきちゃった。……ぼくとイイこと、し・ま・せ・ん・か♡』とかってエロく迫られたら俺……俺は……ッ……!!!!!
「あああーーーー!! あ、あああ、明日、めっちゃ朝早よ行かなあかんかったんやわ〜!! せやしビールはやめとこっかなぁ〜〜!! 俺、飲み始めると止まらへんし、俺の方こそ嶋崎さんに迷惑かけてまいそうやし!!」
と、泉水は盛大に変な汗をかきながら、大慌てでそう言った。缶ビールを二本持った一季が、キッチンカウンターの向こうできょとんとした顔をしている。
「ら、ら、ら、来週田部くんとの飲み会もあるわけやし! うん、今日はご飯食べさしてもらえるだけでもありがたいのに、その上エロ…………じゃなくて、酒まで飲んでたらあの、なんか、あのっ……!!」
「ま、まあ……確かに明日も平日ですもんすね。じゃあ今日は、ご飯だけ食べましょっか」
「は、はい……」
無論、酔った一季のことは死ぬほど見てみたい。見たくて見たくてたまらない。だが、今以上にお色気全開の一季を目の当たりにしてしまったら、自分がどんな暴挙に出てしまうか想像がつかない。それが一番恐ろしいのである。
一季はこの恋人関係に、『セックスはなし』という制限を設けているのだ。今のところ、一季と泉水の関係は、どこからどう見ても恋人以下な上に友人未満だが、ただでさえ一季の色香に童貞心を振り回されているのに。
もし万が一、理性の箍 が外れてしまったとして、泉水自身もまだ出会ったことのない『ケダモノな自分』が目覚めてしまったら、一季にひどいことをしてしまうかもしれない……と、必要以上に自制心が働いてしまう。
――とはいえ、クソのつくヘタレな俺の中に、『ケダモノ』なんていてんのかな……いいひんのちゃうかな……。二十八年も童貞貫いてきとるわけやから、俺の中の『ケダモノ』なんて、飼い慣らされた可愛いチワワみたいなもんなんちゃうんやろか……。はぁ……情けない。みんなどうやってセックスとかしてんねやろ。どうやってそういう雰囲気にもっていかはるんやろか。俺には全く分からへん……はぁ……。
と、この十数年胸に抱え続けてきた童貞ゆえの苦悩に溺れかけていると、コトン、とテーブルの上に何かが乗った。
顔を上げてみると、そこにはほかほかと湯気を立てる、うまそうなカレーがあった。艶のあるルーは深い飴色で、大きめの野菜がゴロゴロと入っている。にんじんやブロッコリーなんかの彩りもすごくきれいだ。
続けて、色鮮やかなサラダやお洒落なグラスに満たされた水などが並び、途端にそこはあたたかい食卓となった。へこんでいた気持ちがふわふわと泡のように消えてゆく。
「うわぁ、めっちゃうまそう!」
「食事、なんていって誘っておいて、カレーなんですけどね」
「ううん、すごい。店で出て来るカレーみたいや」
「えっ、そうですか?」
「はい、見た目もすごい綺麗やし。いただきます」
一口食べて、その美味さに感激する。
ぴりりとした爽やかな辛さの中に、まろやかな野菜の甘みがふわりと広がり、絶妙な味わいだ。野菜も大きめに切ってある割に柔らかく、口の中でほっこりとほどけてゆく。ルーとの相性も最高で、泉水は素直に「めっちゃうまい」を連呼して、あっという間に半分ほどを平らげてしまった。
「嶋崎さん、料理めちゃ上手なんですね。こんな美味いカレー初めてや」
「そ、そんな、大げさですよ。先生は料理とか、しないんですか?」
「ほとんどせぇへんなぁ……作れたとしても炒めもんとか、レトルトあっためるくらいで……ってレトルトは料理のうちに入らへんけど」
「そうなんですか。じゃあ、これまでは?」
「学生の間はずっと実家から京都の大学に通ってたんやけど、広島の山奥にある私大で講師の仕事するようになって。それからは、出来ないなりに家事してたんですけどね。ほんまに田舎で、実家や京都が恋しくなったもんですよ、あはは」
「実家……そういえば、どこでしたっけ?」
「大阪です。ほとんど京都との県境って感じですわ。嶋崎さんは?」
「実家は……ここから割と近いんで、通えなくはないんですけど。なんとなく自立したくて、社会人になってからは一人暮らししてるんです」
「そうなんや」
そんなことを語る一季の表情は、どことなく薄暗さがあるように見えた。それが何となく気にはなったが、一季は、それには触れてくれるなと言わんばかりに「おかわりもありますから」と話題を変えた。なので泉水はそれ以上は踏み込まず、サラダを口にしながら一季に微笑みかける。
「けどほんまに美味い。こういうん毎日食べられたら、幸せやろうなぁ」
「まっ……毎日って……そんな、へへ」
泉水が目を輝かせながら褒めちぎると、一季はとうとう、むず痒そうな笑みを浮かべて照れ始めた。
頬を紅く染めて眉を下げ、困ったような顔で照れ笑いをしている一季の姿は身悶えしたくなるほど愛らしい。一季の周りにだけ、キラキラときらめく星々が瞬いているように見えるほどだ。そんな笑顔を見せつけられてしまえば、胸の高鳴りはいよいよ高まり、ついつい泉水の表情までデロデロと蕩けてしまう。
奥手で、ウブで、恋に関してまるで冴えたところのなかった泉水だが、これが恋というものなのかとはっきりと自覚できてしまうほど、一季のことが愛おしくて愛おしくたまらない気持ちになっていた。
「ほんっまにどんだけかわいいねん……!! もう、めちゃめちゃ抱きしめたいわ……!」
「へっ!?」
「…………えっ」
心の中で叫んだつもりが、声に出ていたらしい。
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