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第10話 性器として未成熟

  「……なるほどなぁ、アナルが性器として未成熟だから、快感を得ることができない……なるほど」  その晩、一季は一人、照明を落とした薄暗い部屋で、ラップトップと向かい合っていた。  そこに表示されている画面は『めざせ! ワガママ愛されアナル♡ 〜メスイキだって夢じゃない〜』といういかがわいしサイトだ。ネコのためのアナル開発方法がポップなイラスト付きで事細かに掲載されているのである。こうして真面目に自分の問題と向き合ってみようと思えたのは、一季にとって初めてのことだった。  これまでも何度か、マグロ問題について解決できないかと調べてみたことがなかったわけではない。だが、この手の問題についてネット検索をかけると、出て来るのは大概エロ目的のサイトばかりだ。それらをざっと見るだけでも気持ちが萎えてしまい、深く調べることをしなかった。だが、きちんと調べてみれば、こうしてきちんと良心的(多分)なサイトも存在していたのである。 「……感度を上げる薬もあるんだ。……ふむふむ、ヒメロス……えっ、薬屋さんで買えるんだ。でも乳腺肥大とか……いやだな。おっぱいなんて欲しくないし……」  薬に頼る、という手段も考えなかったわけではない。だが、よく分からないホルモン剤を体内に塗り込むということが恐ろしく、どうしても手が出せないでいたのだ。 「そういう臆病で保守的なところが、僕のダメなところなのかもしれないなぁ……。よくあるじゃないか、媚薬をキメてすごいセックスをする、とかさ……。でも、怖い……」  頬杖をついて画面をスクロールしていると、アナニーによる自己開発方が丁寧に乗っているページを見つけた。一季はやや身を乗り出して、傍に置いていたビールで唇を潤す。 「アナニー……か。そういえば、自分でやってもあんまり感じないから、数えるくらいしかしたことないな……」 と、一季はもぞりと尻を動かした。  一季とて、性欲がないわけではないのだ。一応男なので、時折生理的に、むらっと湧き上がって来るものはある。  そういう時はお気に入りのゲイ動画を見ながら、ペニスを扱いて自慰をするのであるが、サイトによると、『こうしないとイケない』というパターンが固定化してしまうと、いざ本番のセックスに直面したときに快楽を得にくく絶頂しにくい――という記述もある。 「うーん、確かに、同じようなのばっかり見てるかもなぁ……」  ちなみに一季のお気に入りはらぶえっちだ。タチに愛があり、ネコが気持ち良さそうであれば、イケメン同士でも、真面目×ヤンキーでも、高校生×髭面中年男性でも、脂っこいメタボ男性×美少年でも、なんでも好きだ。自分がそうされたいから――という、分かりやすい欲求充足である。 「……うーん、確かに固定化してるかも。でもどうしたらいいんだ? たまにはハードな調教モノとか輪姦モノとか見ればいいのかなぁ。……うう、でも……むり、しんどそうなのは無理だ……」  以前、そういう系統の動画をちらっと見たことがある。だが、それが演技とわかっていても、どうしても自分をネコに自己投影しすぎてしまうため、集中することができなかった。  複数の男に性器をしゃぶらされながら二輪挿しをされたり、ボールギャグを噛まされて目隠しをされ、謎のトゲトゲがついた首輪や手錠で拘束されながら尻をムチで引っ叩かれるなど、一季にはハードすぎて無理なのだ。興奮できない。 「みんなどうやってアナニーしてるんだろう……」 と、一季は溜息をつき、もう一口ビールを飲んだ。気づけば程よく酔いが回っていて、掲載されているポップでエッチなイラストにさえ、若干いやらしいものを感じ始めている。ふっくらと盛り上がった股間をするりと撫で、一季ははぁ、と溜息をついた。 「……今なら……アナニー、気持ちいいかな。泉水さんのことを考えながらなら……」  ちょうど風呂上がりだ。ちょうどいいかもしれない……一季はそう考えて、チェストからゴムとローションを持ち出してきた。ローテーブルの上にラップトップを広げたまま、一季はするりとハーフパンツを脱ぎ、下着も一緒に脚から抜いた。 「……久々すぎて、自分でするのも緊張するな……。あ、そうか、こういう緊張もよくないんだっけ。リラックスリラックス……」  サイトで学んだばかりのことを脳内で反芻しながら、一季はゆっくりと脚を開いた。ちょっと緊張してしまったせいか、ついさっき元気になりかけたペニスは、すでにしっぽり落ち着いてしまっている。一季はゆるゆると己の分身を慰めながら、ブックマークしてある動画サイトを開きかけ……たが、たまには二次元に頼ることにしてみる。BL漫画サイトを開き、好みのものを探してみた。 「わ……漫画もエロいなぁ。新鮮……」  綺麗な絵柄でありながら、汁気の多いBL漫画を見つけて、一季は食い入るようにそれを読んだ。  内容は、リーマンとなった主人公が取引先で幼馴染と再会し、酔った勢いでそのままセックスにもつれ込むといったものである。あっという間に挿入され、気持ちよさそうに表情を蕩けさせ、剛直ペニスで小さな尻をズンズン激しく穿たれるネコの表情は殊更にいやらしく、一季はいつしか夢中になっていた。 「……はぁ……はぁ……ァ、勃ってきた……。今なら、中も、気持ちいいかな……」  一季はぴりりと口でコンドームの袋を破くと、それを中指に嵌め、ローションを纏わせた。ぬらぬらといやらしく艶めいているそれをゆっくりと脚の間にもってゆき、つぷり、とアナルの中へ挿入する。 「……ァ……ん」  ――あ……ちょっと、気持ちいいかも……?  ぬち、ぬち……とゆっくり中指をピストンしてみると、異物感とともに、じんわりとした熱のようなものが湧き上がる。だがそれは拙い快楽で、気の持ちようによっては、やっぱりただの異物感にしか思えないような気もする。  そうしながら先ほどの漫画を読み進めてみると、ネコが立ちバックで突き上げられながら『あぁん!! あひぃん! きもちぃい!! イっちゃう!! またイっちゃうぅぅう!!』と大ハッスルだ。腰使いの速さや激しさなどがうまく描写されているおかげで、一季の興奮までじわじわと高まってゆく。一季はぐっと中指を深く挿入し、ゆっくりと腹側に指を曲げてみた。そしてくにくにと、中を探ってみる。 「はぁ……ぁん……。ちょっと、いい、かも……」  思えば、こんな風にゆったりとここをほぐしたことなどなかったかもしれない。指でぐちょぐちょとかき乱されたことはあるが、どの男たちも皆、早く中に突っ込みたいという欲求に急かされているせいか、慣らすための愛撫も性急だった。開発マニアの中年親父は、一季のそこを念入りにいじくり回していたけれど、彼はただの『美形のアナル』が好きな変態だ。あれで本当に開発されていく男もいたのかもしれないが、一季には無理だった。  ――そうか……自分でここ、開発しなきゃいけなかったんだ。僕がもっと貪欲にアナニーしていたら、もっと、感じるセックスができていたのかもしれない……。  アナルが『性器として未成熟』であったがゆえに、自分はマグロなのだ……と一季はそう思い込み、さっきより激しく指を動かしてみた。下腹についつい力が入り、指をぎゅっと締め付ける。締めてしまうと苦しいけれど、ゆっくり指を曲げ伸ばししてみたり、抽送してみたりしていると、だんだん異物感にも慣れて来る。 「あ、……ぁ、あんっ……これで、いいのかなぁ……」  ――気持ちいいのか、な……。よく分からないけど、えっちな気分になってきた。なんか……もうちょっと続けてたら、感じるようになれるかも……?  一旦指を抜き、指を二本に増やして、もう一度挿入してみる。圧迫感はぐっと増すが、一応痛みは感じない。  これまで、一季はそこそこの人数の男とセックスをしてきた。正直、片手で収まる人数ではない。そのため、一季のそこは、男を受け入れるだけの柔軟性だけはしっかりと持ち合わせている。だが、感覚がついていかないというだけで……。 「でも、でも……こうやって、練習してたら……ハァっ……気持ちよくなれたり、中で、イけたりするかもしれない……はぁ、はぁっ……」  ――そうすれば、泉水さんともセックスができるかも。……気持ちいいセックスができれば、ずっと一緒にいられるかもしれない……。 「泉水さん……っ……ハァっ……はぁ……」  ――こんな僕のことを、好きだって言ってくれる……。僕を、大事にしてくれる人なんだ。一緒に、気持ちよくなりたい。セックス、できたらいいのに……。  指を動かすたび、くちくちといやらしい水音が部屋に満ちていく。同時に、自分自身の呼吸の音に、徐々に性感が高まってゆくような気がした。 「……あぁ……はぁ……ん、好きっ……好きだから……」  ――『一季、俺のこと好きなんだろ? じゃあいいじゃん。ヤろうよ』 「……はっ……」  感覚が高まると同時に、ふと、初恋の男の顔が、まぶたの裏に閃いた。  唐突に蘇った過去の記憶に、一季ははたと指を止めた。  ――『怖いって何が? 意味分かんないんだけど。俺のこと好きなんだよね? 一季もこういうこと、したかったんだろ?』 「っ……」  ゆきずりの男たちとは違い、『好きだ』という感情を伴ってセックスをした相手は、初恋の相手が初めてだった。高校時代の同級生で、ずっとずっと、憧れていた相手。見ていることしかできなくて、見ているだけで満足で、時折目が合うだけで、天にも昇りそうな気持ちになった。そんな相手だった。    でも……。 「……なんで。なんで今……思い出すんだ」  ――泉水さんのことを、僕は好きになりかけてるのに。あったかくて、優しくて、純粋なあの人のことを、僕は大切だと思ってる。全部忘れて、前に進みたいと思ってるのに。  『好意』という共通部分で、過去の記憶とリンクしてしまうのだろうか。  泉水のことを思うと、同時に初恋の男の影ちらついてしまう。  一季はゴムを外してゴミ箱に突っ込み、せかせかと服を身につけて洗面所へ駆け込んだ。そして、激しく流れ落ちる水で、震える両手をごしごしと洗い流しながら、ぎゅっと唇を噛み締める。 「……もうやだ、いやだ。あんなやつ、もう知らない。もう会うこともないのに」  水を止め、一季はシンクに両腕をついてうなだれた。目を上げると、驚くほどに強張った表情を浮かべている自分と目が合い、思わず「ひ」と声が漏れてしまう。 「泉水さん……」  救いを求めるように、恋人の名前を口にしてみる。すると、泉水の優しい笑顔がふわりと心に浮かび上がって、へなへなと全身から力が抜けた。ひんやりとした洗面所に座り込み、一季は額に浮かんだ冷や汗を拭う。 「……やっぱ無理なのかな。こんな気持ちじゃ、泉水さんとセックスなんてできないよ……。どうしたらいいんだ」  一季は溜息交じりにそう呟き、両手でぎゅっと膝を抱きかかえた。

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