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第20話 開発済み……?

  「は、離してください」 「いいから、こっちに来て」  ぐい、と腕を引かれ、そのまま講師控え室の中へと引き摺り込まれる。細身な一季の力では抵抗も虚しい。嵐山は、身長183センチ体重80キロの大柄な男なのだ。  ドアの前に立ちふさがる嵐山からなるべく距離を取ろうと、一季はさっと窓の方へと逃げた。すると嵐山はガチャリとドアに施錠して、ゆっくりとした足取りで一季の元へ歩み寄って来る。  ――な、何だ? まさかこんな所でやろうなんて、言わないだろうけど……。  嵐山は、大学内ではゲイであることが露見せぬように努めていた(だからこそ、営業マンとの駐車場カーセックスには心底驚いたものである)。そのため、こんな所で「セックスしよう」と言い出しはしないだろうが……。  それに何より、今の一季には泉水という大切な恋人がいるのだ。こんなところで、力づくでセクハラされるなんてまっぴらごめんだ。一季はきっと嵐山を睨みつけ、じりじりと一定の距離を保ち続けた。 「話って、何ですか?」 「……嶋崎くん、最近やってる?」 「はい? 何を?」 「セックスに決まってるだろ。僕と会わない間に誰かとした?」  嵐山は大真面目な顔で、そんなことを尋ねてきた。いきなりデリケートな質問をぶつけてくる嵐山のデリカシーのなさに、一季は思わずムッとした。  ――なんだよ。『マグロのお前なんかとヤってくれる相手なんかいないんだろ? かわいそうだから僕がまた抱いてやろうか?』とでも言うつもりなのか? くそっ……何なんだよこいつ……! 「……し……しましたけど?」  腹がたつので、ちょっぴり見栄を張ってみた。見栄は張ったが嘘はついていない。恋人はできたし、セックス……とまではいかないけれど、性的なふれあいくらい……少しはした。いつまでもいつまでも悲しい独り身を貫いているわけではないのだから。 「……ふーん、なんだ……何だかんだ純情なことを言ったって、君だって僕のことは(てい)のいいセフレだと思ってたってことなんだな。ほんの一ヶ月足らずで、あっさり次の相手を見つけちゃうなんて」 「そ……そんなこと、あなたにどうこう言われる筋合いはありませんよ。何なんですか、さっきから」 「フン……何だ。君が今も寂しく一人寝をしてるなら、また抱いてやってもいいかなと思っていたのに……何だよ……どいつもこいつも……」  どうも、嵐山の様子がおかしい。くい、くいと、下がってもいない眼鏡を指先で持ち上げながら、じめっとした重たい空気を漂わせ始めている。 「な、何なんですか? ていうか、話って」 「…………すっごく、気持ちよかったんだ…………愛されてるって、感じた…………」 「はい?」 「なのに、なのにあの男……ッ……! この僕を捨てて、可愛い顔したクソビッチに乗り換えやがったんだよ。クソっ……僕をこんなっ……こんな身体にしておいてっ……クソォっ……!!」 「え?」  嵐山はダンッ!! と机に拳を打ちつけ、涙を必死で堪えるように唇をへの字に結んだ。困惑のあまり、一季はただただ目を瞬くことしかできない。  一季にとっての嵐山は、嫌味なほどにクールなインテリで、薄情なゲス男、というイメージである。こんな風に感情を露わにするところなど、半年間の付き合いでついぞ見たことはなかったのだが……。  ――クソビッチに乗り換え……。こんな身体……って、もしかして、あのカーセックスの相手のこと……か? 「あ、あの……あの人と、何かあったんですか……?」 「あの人って? は? 誰のことですかね? この僕をメスブタのように屈服させておいて、あっさり捨てていったあのクソ野郎のことですか?」 「メスブタ……」 「尻ですっごくすっごく気持ちよくされて……あの男から呼び出しのメールが来るだけで勃起して……中までヒクつく有様で……っ。あの男の姿を見るだけで、奴の巨根欲しさにハァハァ言ってしまような身体にされたのに……!! あっさり、若くて可愛いビッチ野郎に乗り換えやがった……あぁあ、クソぉ……っ……」 「よ、要するに、あの営業マンに開発されてネコになってしまったのに、捨てられたということですか?」 「そうだね!! 要するにそういうことだね!!」  ダン!! と拳で叩かれた机が、ガタァン!! と激しく揺れた。大事な備品が心配になる。  状況が分かって来て、一季はようやく少し冷静になり始めていた。ごほんと軽く咳払いをし、嵐山を刺激せぬよう穏やかな口調で訊ねてみる。 「それを僕に話して、どうしたいんです」 「……君ともう一度セックスをすれば、僕はまた、男として、タチとしての自分を思い出せるんじゃないかと思ったんだが……」 「え」  どよんとした眼差しで、嵐山がじっと一季を見つめる。一季は思わずぞっとしたが、嵐山はまたぞろ目をうるうると潤ませて、ぎゅっと唇をへの字にした。 「でも…………ダメだ。君を見ても、もう全然興奮してこない……」 「……」 「ダメだ…………全然ダメだ。君はマグロでつまらなかったけど美人だから、僕はそれなりに、君の嫌そうな顔とか苦しそうな表情とかにゾクゾクさせられていたけど……ダメだ、まるで今は燃えてこない……」 「もう帰っていいですか」  ぞっとした直後に失礼なことを連発されて、さすがの一季もムッと来た。一季は憮然とした表情を隠しもせず、さっさと講師控え室を出て行こうとした。だが、「待ってくれ……!」という嵐山の物悲しげな声に、仕方なしに足を止める。 「君はさぁ……、僕とあんなにたくさんセックスしたのに、どうしてあっさり他の男に乗り換えられるわけ? 僕はこんなに……っ、苦しいのに。悔しくて憎たらしくて、もう抱いてもらえないのかと思うと悲しくて、やるせなくて、胸が張り裂けそうだというのに……」 「いや、そりゃ、フラれた瞬間は僕だってそう思いましたけど」 「そ、そうだったのか……。そういうことなら、君を改めて抱けるように努力、」 「でも今は、優しい恋人に出会えたので、もう大丈夫です」 「……恋人……って。ふん、どうせまたセフレだろ? そんなの、すぐにまた捨てられるに決まってる」 「そんなことありませんよ!」  苦々しい顔でそんなことを言う嵐山に、思わず大きな声が出た。  泉水は、これまでの男たちとは違うのだ。ただのセフレなんかには、ならない。なりたくない……。  だがそのために、一季が出来ることとは何だろう。ここ数日悩んでいたことが再びむくむくと脳内を駆け巡りはじめ、一季はぐっと奥歯を噛んだ。 「……あの人は、そんな人じゃありません。僕の気持ちだって、これまでとは違う」 「ふーん……何、その男とは、気持ちいいセックスができてるってこと? マグロを克服した?」 「そ、それは……」  嵐山は眼鏡を外し、スーツの内ポケットから綺麗に畳まれたハンカチを取り出すと、それで目元をきゅっと拭った。そしてすっと眼鏡をかけて背筋を伸ばし、教師然とした歩き方で窓の方へと歩み寄る。  一季は反射的に嵐山から距離を取り、数歩その場から横にずれた。二人は窓のある壁の端と端に立ち、揃ってA棟を眺める格好になった。 「その反応を見るに、まだマグロは克服できていないようだな。……アナルを掘られるのって、あんっなにすっごく気持ちいいのに、どうして君はマグロなんだろうな。かわいそうに」 「ぐ……大きなお世話ですけど」 「分からないのか? あの、内側から前立腺を弄られる、ビリビリ来るような快感が。あそこを指でトントンされるだけで、女みたいな声が漏れてしまうだろう?」 「……うーん」 「そこをエラの張ったカリ首で突き上げられる快感ときたら、ないだろう? 僕だってそうしてあげていたはずなんだがな……? 気の毒に……棍棒のような猛々しいペニスで貫かれるたび感じる、あの激しい快楽と悦びを君は知らないなんてな……」 「だから大きなお世話ですって!」  心からの哀れみを込めた眼差しで見据えられ、一季はまたもやムッとした。嵐山がやれやれと首を振っているのを横目に見つつ、一季は再び窓の方へ目線を向ける。 「……セックスがどうとか、そういうんじゃなくて。僕はその人のことが、好きなんです。ただ一緒にいられたら、嬉しいんです」 「へぇ、お熱いね。でも、相手はどうだろな。最初は良くても、そのうち君とのセックスに飽き飽きして、刺激的な相手を求めて浮気とか……」 「泉水さんは、そんな人じゃありません」 「チッ、くだらない。ゲイの恋愛なんて、所詮セックスありきで成り立つ荒んだ関係性にしかすぎないだろう。そのへんのことくらい、君は理解していると思っていたけどな」  嵐山は心底面白くなさそうな顔で、吐き捨てるようにそう言った。嵐山の言葉には、一季も何も言い返せない。これまで繰り返してきた虚しい行動の数々によって、一季は誰よりも、身をもってその現実を理解している。    ――でも、泉水さんと今の僕の関係は、そういうものとは違う……。 「……ん?」  突然、嵐山が窓の方へと身を乗り出した。そして、ベタッと窓ガラスにへばりつき「あああ!!」と謎の悲鳴をあげている。  怪訝に思った一季も窓からそちらを見てみると、教授陣の研究室が並ぶA棟の廊下を、泉水が歩いている姿が見えた。  泉水は一人ではなかった。  楽しげに笑顔をかわしながら泉水の隣を歩くのは、金色に近い茶色い髪も華やかな、小柄な青年。窓からは、カーキ色のカジュアルなブルゾンを着ていることしか分からないが、その横顔はアイドルのように端正で、愛らしい顔立ちに見える。 「……だ、だれ……?」  ――す、すごく楽しそう……。泉水さん、あんなに笑って…………え、誰? その人誰なんですか……!? 「あんンの泥棒猫のクソビッチ野郎!! もう他の男に手を出してやがんのか!? ぬうううう、一発殴ってやらないと収まりがつかねぇ!!」 「えっ!? そのクソビッチって、ここの学生なんですか!?」 「そうだよ! あいつだよあいつ!! 見ろ! 今からあの男と研究室でヤるつもりなんだよ!!」 「えええ!?」  しかも泉水とその謎の青年は、とあるドアの前で立ち止まり、そのまま二人で部屋の中へ……。  ――い、い、いかーーーん!! 泉水さんは純粋なんだ……!! あんな、あんな可愛いビッチくんと二人きりだなんて……!! いろんな意味で危険すぎる……!!  一季は弾かれたように、講義控え室から飛び出した。  そして元陸上部の瞬足で、猛然と泉水の研究室へとダッシュした。 

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