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第21話 きらめくリア充青年〈泉水目線〉

   泉水はその日、午前中の講義を終えた後、少し遅めの昼食を取っていた。  学生らからの質問を受け付けていたら、昼休みが終わってしまったのだ。午後一のコマが空いていて良かった。  学食の南側にはテラスがあり、春の日差しがぽかぽかと暖かそうだ。普段は学生たちで賑やかなそこも、今はひっそりと静まり返っている。  陽だまりに誘われ、泉水はテラスで食事を取ることにしたのである。 「…………はぁ」  この大学の学食メニューは、どれもこれも美味いと評判だ。今食べているカツカレーもすごく美味い。だが、一季が作ってくれたカレーを思い出すにつけ、何やら切ない気分になってしまう。  ――嶋崎さんのカレー、旨かったなぁ……。あんとき、初めてぎゅってさしてもらえたんやったっけなぁ……はぁ……会いたい。今何してはるんやろ……。  一季のことを思うたび、日曜の朝の出来事が蘇る。  あのとき一季に拒否されたことを思い出すにつけ、心がしくしくと悲しく痛むのである。  あの後、一季はものすごく申し訳なさそうな笑顔を見せ、そのまま帰宅していった。それ以降、なんとなく気まずくて、連絡を取ることができていない。  拒否されたことはつらかったけれど、それでも当然、一季のそばにいたいという気持ちは変わらない。    ――はぁ……調子に乗って襲いかかってもたなぁ……。イヤやったんかなぁ、怖かったんかなぁ……どうなんやろ……。  ――はぁ……でも、嶋崎さんも、俺とセックスしてみたいって言ってくれてはったし、このままずっと手を出さずにいるっていうのも……。 「う〜〜〜ん……」 「あ、塔真先生? 今、お昼ですか?」  泉水が頭を抱えて唸っていると、若々しく張りのある声が、頭上から降って来る。見上げると、見覚えのある学生が、トレイを手に笑顔を浮かべていた。 「あ、ええと……君は」 「電子工学専攻の渡瀬里斗(わたせりと)です。坪田ゼミの飲み会の時は、どうもお世話になりました」 「ああ、酔うて気分悪いて言うてた子ぉやな。大丈夫やった?」 「ええ、おかげさまで!」  つい先日、泉水はベテラン教授・坪田のゼミ飲み会に招かれたのである。坪田ゼミは平日だろうが休日だろうが御構い無しにしばしば飲み会を開催していて、その日たまたま泉水も呼ばれたのである。  泉水の専門は建築工学であるため、電子工学専攻に所属する渡瀬を直接指導することはないが、工学研究科の院生は十数人と少ないため、何かと顔を合わせる機会は多い。  学部生の講義のとき、院生らにアシスタントを依頼することもあるし、論文指導や実習等が始まれば、何かと相談に乗る機会も増える。そのため大学院生と教員の距離は、学部生よりもずっと近いのだ。  英誠大においては新人の泉水が院生らと馴染めるよう、坪田教授(54)が気を回してくれたのである。堅物な教授が多い工学部において、ああして気さくに声をかけてくれる先輩教授がいるのはありがたいことだ。 「ここ、座ってもいいですか?」 「うん、もちろん」 「へへ、やった」  渡瀬里斗は泉水の正面に腰掛け、きつねうどんを食べ始めた。飲み会の時の記憶によれば、里斗はスウェーデンのクウォーターだったはず。抜けるように白い肌と、金色に近い明るい茶髪。鼻がツンと高く彫りの深い顔立ちは、まるで人形のように端正である。  ――モテそうやなぁ、この子……。きっと若いうちからモテてモテて、とっくの昔に大人の階段登ったはるんやろうな……。それにひきかえ俺は……。  相手は学生だというのに、美形を前にするとついつい卑屈になりかけてしまう。影を背負いながらカツカレーを食べ始めた泉水とは対照的に、里斗はにこにこと満面の笑みだ。 「えへへっ、嬉しいなぁ、塔真先生と二人でランチできるなんて」 「……え? そう?」 「そりゃそうですよ! 先生、すんごい人気者じゃないですか! 僕、学部生の頃から学会で先生のこと知ってましたけど、まさか先生がここへ来てくれるなんて……もうほんと、嬉しくて」 「はは……そうか」  そう言って心底嬉しそうに頬を赤らめ、里斗は黄色みがかった青い瞳でまっすぐに泉水を見つめてくる。  学生からの敬愛の情は嬉しいのだが、あいにく今の泉水はへこんでいる。愛しい恋人との距離を掴みかね、悩みに悩んでいる真っ最中なのだ。それゆえ、さほど軽快に返事ができず、弱々しい笑みを浮かべることしかできないのである。  しばらく学会の話をしながら食事を取っていたが、里斗は心底嬉しそうな笑顔を絶やさない。  里斗の話ぶりは知的で、泉水の投げかけた話題に対しても聡明な受け答えをする。さすが、名門大で博士課程まで進む学生は一味違うものだなと感じつつ、泉水は食後の水をぐいと飲み干した。  勉学の話をしていると、多少気が紛れてくるのもまた事実で、学食を出る頃には、じめっとしていた気分がやや軽くなっていた。  なんとなくコーヒーが飲みたくなり、学食前の自販機の前で立ち止まる。横を歩いていた里斗の分まで購入して手渡すと、里斗はぱぁああっと輝かんばかりの笑顔を浮かべて、「ありがとうございます!!」とはきはきと礼を言った。  ――ま、まぶしい……。若さと知性とリア充っぷりが眩しすぎて、なんやエネルギー吸い取られそうや……。  若さきらめく笑顔とは不釣り合いな、くたびれきった苦笑いを浮かべ、泉水はスラックスのポケットに手を突っ込んで歩き出した。研究室に戻り、次の講義の支度をせねばと思っているところなのだが、どういうわけか里斗が離れていかない。 「君……次の授業は?」 「あ、僕、もう一コマ空きなんです。もし何かお手伝いすることがあったら、言ってください!」 「う、うーん」  ――押しの強い子ぉやな……。んー、研究室で一人静かに過ごしたい気分やねんけどなぁ……。  と思いつつも、こうまで無垢でキラキラした笑顔を向けられていては遠ざけにくい。ここまでグイグイ距離感なく近づいて来る学生もめずらしく、泉水はちょっと困惑気味だ。 「塔真先生、背が高いですねぇ。何センチあるんですか?」 「183センチ、かな。こないだ健康診断で測ったばっかやし」 「うわぁ〜おっきいなぁ〜。僕、結局170センチいかなかったんで、大きい人がすごく羨ましいんですよね」 「ふうん……。でもまだ若いんやし、伸びるんちゃう?」 「いや僕、大学受験のときと大学院受験のときに浪人してるんで、もう24歳なんですよねぇ。だから先生とはあんまり変わりませんよ?」 「えっ、そうなん? 若く見えんな〜君」  ぱっと見、童顔の里斗は、大学に入りたての学生と変わらない若々しさである。キラキラした華やかさやエネルギッシュな話し方、小柄な身体にカジュアルな服装からもそう見えるのだろう。 「でも、若く見られる分、全然モテないんですよ〜」 「えっ、嘘やん。めっちゃモテそうやで、君」 「またまた、先生こそ。実は結婚してますとか、そういうオチがあったりするんじゃないですかぁ?」 「いやいや……結婚どころか」  ――いまだに童貞やし、嶋崎さんを怖がらせてまうし……はぁ……あかんなぁ俺。  再び泉水がどよんとしていると、里斗が横からひょっこりと顔を覗き込んでくる。まるで小動物のような動きだ。 「結婚どころかって?」 「え、いや……。俺、プライベートはダメダメやねんなぁ」 「ええ〜〜!? 嘘でしょ!? 塔真先生、こんなに背が高くてかっこよくて、准教授っていう地位もあって、最高なのに」 「いや……恋愛とかって、肩書きとかあんま関係ないやん……あはは〜」 「関係ないってことないでしょ〜。僕は素敵だなって思いますよ? 塔真先生、すごく優しいし」  結局、研究室のある階までついてきた里斗は、不意にくるりと泉水の前に回り込み、きゅるんと潤んだ瞳で泉水を見上げた。泉水はのろのろと首を振り、「ありがとう」と礼を言う。 「ま、それはさておき、俺、仕事あるから……」 「ねぇ先生。悩みがあるなら、研究室でゆっくり話聞きますよ? 僕、こう見えて恋愛相談とかよく受けるんで、ひょっとしたら、なにかお力になれるかもしれません」 「え? い、いやいやいや……学生さんにそんなん……」 「それとこれとは話が別でしょ? 先生、今日なんだか元気ありませんもん。コーヒーも買っていただいちゃったんだし、これ飲む間くらいおしゃべりしませんか? 吐き出せば、ちょっと楽になるかもしれませんよ」 「あ……コーヒー飲むの忘れとったな」 「ね? ね? 僕、もっと先生のこと知りたいです! お話聞かせてくださいよ〜」 と、廊下を歩きながら説き伏せられる形になり、泉水は根負けして苦笑した。 「ほな、コーヒー飲む間だけやで? 俺、やらなあかんことあるしさ」 「はい、もちろん分かってまーす! ありがとうございます!」 「やれやれ、元気のええ子ぉやなぁ」 「いや、『子』って! 先生、僕先生と四つしか違いませんから!」 「はは、それもそうやな」  そう言って苦笑しつつ、泉水は研究室のドアの鍵を回した。  その背後で、里斗がニヤリと唇を歪めたことに、泉水はまるで気づいていない。

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