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第3話

病院内での仕事は、外来患者や入院患者の診察、それらの業務を終えて1日の終わりにその日診た患者のカルテをまとめておしまいた。 葛城(ひじり)がこの日全てのカルテのチェックを終えたのは、ちょうど午後5時を少し過ぎた頃だった。 医局内でもう帰ろうかと大きく伸びをしていると、同僚で同期の相川という男が入室してきた。 「よう、葛城。もう帰るのか?」 「うん。もう終わったし……ほぼ定時で上がれるのなんて、いつぶりかしら」 「俺も今終わったとこだ。よかったらどこかで1杯どうだ?」 「あら、いいわねぇ。じゃ、行っちゃおっか」 相川は元ラグビー選手で、とにかく体格がいい。 少し色黒で、笑うと白い歯が印象的で、爽やかな好青年といった風貌をしている。 大学時代から聖と同じ内科を専攻し、研修医を終えて聖がΩ専門医になり、相川は内科に残ることになった。 まあΩ専門医も広義では内科に分別されるので、聖の机は相川と同じ内科の医局内に置かれている。 聖は立ち上がって白衣を自分のハンガーにかけると、白い七分袖のニットアンサンブルとチェック柄のスカートという恰好で、相川の前に立った。 相手は確か身長が190センチくらいだろうか、今まで聖が出会ってきた男性の中で、最も長身だ。 「行きましょ」 「おう。何か食いたいモンあるか?」 「うーん、これと言って別に。色々な料理が食べられる店なんて、あるかなぁ?」 「俺が知る限り、居酒屋小町が一番レパートリーが多いかな」 居酒屋小町とは大学病院から私鉄で数駅下った場所にある、少し洒落た居酒屋だ。 聖は何度か相川と一緒に、飲みに行ったことがある。 落ち着いた雰囲気と多彩な料理で、疲弊した身も心も癒されること請け合いだ。 「オッケー、そこにしましょ」 「タクシー使おうぜ」 「え……?電車でよくない?」 長く電車に揺られるならまだしも、たった数駅なのだから、タクシーよりも電車で行った方がお安く済む。 「もう研修医じゃなくて立派な医者なんだ、そのくらいの贅沢はいいだろう?」 「そういうモン?アタシは別に構わないけど……じゃあ割り勘ね」 「いや、俺が持つ」 「え……?」 何となく断れなかった。 多分相川の男としての面子を潰してはいけないと、本能が理解しているのかもしれない。 「そう?じゃ、お言葉に甘えるわ」 あまり意地を張っても仕方がないので、聖は相川の言う通りにしておこうと返事をした。 恭一郎が言っていた通り、圭が図書館で卒論に集中できたのは、2時間だけだった。 「人の集中力の限界は、そんなものだ」と言っていたが、倍近い時間集中できる恭一郎は、人ではないのだろうか。 圭は図書館の外に出ると、スマホをジーパンのポケットから取り出し、恭一郎にメッセージを送った。 『そっち、どう?俺はもう終わった』 教授と論文について議論しているであろう恭一郎が、果たしてこのメッセージを読むのかと疑問だったが、意外なことにすぐに返事が来た。 『じゃあ終わらせる。そのまま図書館で待っていてくれ』 そこでメッセージが途切れたのだが、教授と一緒にいるのに恭一郎の意思で終わらせることなどできるのだろうか。 成績で恭一郎にとても及ばない圭には、想像もつかないことだ。 とりあえず図書室内に戻り、参考文献を書庫に戻したり、デスクに広げたノート類をバッグに入れたりして過ごしていると、すぐに恭一郎に肩を叩かれた。 「うわっ!早っ!」 「静かにしろ」 「あ……」 あまりにも早く来てくれたのでつい大声を出してしまったが、ここは図書館内だ。 大声で喋るのはタブー中のタブーである。 「随分早かったのな?」 「途中から教授の昔話を聞かされていたからな」 「んで、どこでメシ食って行く?」 「どこがいい?お前が行きたい店でいいぞ」 圭は恭一郎と並んで図書館から出ると、スマホを出してグルメサイトを検索することにした。 この大学の周辺には、結構いい雰囲気の居酒屋が多い。 「あ……居酒屋小町はどうだ?」 「ああ、あそこか。ここから近いな」 「あんまり遠出すんのもな。どう思う?」 「賛成だ、そこへ行こう」 2人は大学の正門から外に出ると、真っ直ぐ店までの道を歩き始めた。 時計の針は、もうすぐ午後6時を差そうとしていた。

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