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第6話

「葛城!俺と結婚してくれ!!!」 相川が7杯目のジョッキを空けると、突然大声でそんな言葉を発した。 「はぁ……?」 聖にしてみれば、青天の霹靂だった。 もしかしたら重症の患者を抱えていて、その現実から目を逸らすためにひたすら飲んでいるのかと思い始めていただけに、目から鱗が落ちた気分でもある。 「俺はな、お前のことがずっと好きだったんだ!大学時代からずっとだ!」 「……」 「だから、結婚して欲しい!」 なるほど、タクシー代を持ってくれたのはこのプロポーズのための布石だったという訳か。 聖はやっていられないとばかりに財布を取り出し、先ほどのタクシー代の半額を相川の目の前に置いた。 「なんだ、これは?」 「アタシの分のタクシー代。悪いけど、アタシ結婚とか今考えらんないの」 「好きなヤツでもいるのか?」 「いちゃいけない?」 「いけないことはないが」と、相川はようやくジョッキから手を放して項垂れた。 「なぁ、恭一郎。今姉ちゃんの名前が聞こえた気がすんだけど、気のせいか?」 恭一郎は内心舌打ちをしながら、渋々頷いた。 プロポーズの一部始終が聞こえているのだから、恐らくすぐ後ろの個室に聖とそのツレがいるのだろう。 できることなら今すぐこの店を出たい気分で、何かいい言い訳はないかと考え始めてもいた。 もし聖が1年強前のあの件のことを持ち出したら、圭がどんな反応をするのかが分からないだけに怖い。 だが当の圭は姉のプロポーズが気になるらしく、必死の形相で個室内の会話に耳を傾けていた。 「相川クン、なんでアタシなの?内科にもっとカワイイ子、いるでしょ?」 「いや、だから大学時代からお前のことしか見えてなくて……」 聖はやっていられないとばかりに、バッグの中からシガレットケースを取り出した。 「タバコ、いい?」 「ああ」 メンソールのタバコを1本取り出し、ライターで火を点けて煙を大きく吸いこみ、少し上を向いて煙を吐き出す。 こんな場所でいきなり思いもよらない相手にプロポーズをされているのだから、吸わないとやっていられない気分だ。 「アタシさぁ、好きな人がいるの」 「だ、誰だ?内科医か?それとも……」 食い下がってくる相川を、聖は手で制した。 「幼馴染よ、7つ年下のね。とは言っても、1年ちょっと前にフラれてんの」 「そいつのことが忘れられないのか?でもフラれてんだろ?」 「うっさいなぁ、フラれたから簡単に忘れるなんて、できるはずないでしょ?」 「ソイツの目、節穴だったんだな?」 「あはは、言えてるわ、それ。どこに目付けてんのよって思うし」 次第に圭の箸の動きが遅くなる。 恭一郎は努めてポーカーフェイスを保っているが、聖の「7つ年下の幼馴染にフラれた」というような台詞を聞いて、やられた──、と思った。 墓場まで持って行って欲しいと頼んだ出来事だったのに、どうしてこんな場所で暴露するのか。 壁に耳あり障子に目ありという諺を知らないのだろうか。 「恭一郎……姉ちゃんをフッたヤツって、お前なのか?」 圭は完全に箸をテーブルに置き、潤んだ瞳を向けてきた。 どうしよう、本当のことを言うべきか、言わざるべきか。 だが、ここで嘘を貫いてしまったら、恭一郎はこれからずっと圭に嘘を吐き続けなければならなくなる。 「ああ、そうだ」 「なんで、フッたの?」 「恋愛対象として見ていなかったからだ」 「じゃあ、俺のことは?姉ちゃんと顔似てるってよく言われる……しかも男で……そんでもって……最低の種別だ……」 敢えて「Ωだ」と言わなかったのは、迂闊に種別の話題に触れてはいけないと、圭の心に警鐘が鳴り響いたからだろう。 「圭、待ってくれ。お前のことはちゃんと好きだし、大切に想っている」 「だったら、なんでコクられた時相談してくれなかったんだよ!?そんな大事なこと隠したまま同棲してるとか、マジ信じらんねー!」 「圭!」 だが恭一郎の制止虚しく、圭は席を立つなり脱兎のごとく店から出て行ってしまった。 恭一郎も追いかけようと腰を浮かせ、伝票を手にしたところで、背後の襖が物凄い勢いで開かれた。 「恭ちゃん!?え、でもさっきの声は圭ちゃんのよね?」 個室の襖を開いた張本人は聖で、何事かと両目を見開いていた。

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