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冷静になって考えてみれば。 「先生に彼女なんて、いるわけなかったんだ」 すっかり暗くなった部屋の静寂に凛の独り言が吸い込まれていった。 起き抜けで、気が動転して、あのときはつい疑ってしまった。 オレ以外の存在。 この関係が始まって半年くらいが経過した。 一緒に過ごしてきた郷野先生のこと、前よりも深く知ることができた。 先生がオレのこと裏切るわけがない。 ううん、オレじゃなくても、誰か別の人だったとしても。 「好きだ」と告げた相手をそんなカタチで傷つけたりするはずがない。 「疑ってごめんなさい、先生」 凛は薄闇に向かって謝った。 郷野の潔白を信じている割に、その顔色は先ほどから優れない。 いや、実のところ真葵が現れてから、ずっと。 「ちょっと来い、真葵」 「相変わらず強引だな、真一は」 ベッドにて腰から下を毛布で隠している凛に気を遣い、郷野は真葵を一端部屋から連れ出した。 玄関ドアの開閉音を確認した凛はあたふた自分の服に着替え、着せられていた教師のシャツを畳み、洗顔やらを済ませて一息ついた。 五分後、仏頂面の郷野と笑顔の真葵が戻ってきた。 「よし。凛クンの準備もできたことだし、いざ、お花見だ」 「藤崎、無理しなくていい。帰りたいなら送る」 「行くよね、凛クン?」 郷野のガードを掻い潜った真葵に腕を組まれ、笑いかけられて、何とか笑い返そうとした凛だったが。 銀縁眼鏡のレンズ奥の双眸が実は笑っていないことに気づいてしまった。 「現役高校生と現役教師の禁じられた恋バナ、聞かせてよ?」 真葵のミニクーパーで近場のお花見スポットへ本当に三人で出かけた。 天気に恵まれた日曜日、都心にある神社の境内に連なる桜並木を目当てにした見物客は思いの外多く、露店も出ていて、なかなかの盛況ぶりであった。 瞼の裏に刻まれたのは咲き誇る満開の桜と、そして。 「凛クン、はぐれないようにね」 レンズ越しに突き刺さる真葵のトゲを含んだ眼差し。 鋭い郷野でさえ見過ごした、年上の男が巧みに突きつけてきた敵意。 「大丈夫か、藤崎」 混雑の中、人波に呑まれそうになっていたら、腕をとって寄り添ってくれた郷野のおかげで凛は耐えることができた。 「凛クンはすっかり甘え癖ついちゃってるね」 その間も真葵の視線がチクチク突き刺さりはしたけれども。 二人はただの友達関係? もしかして、過去、恋愛関係にあった? 「真一、甘やかし過ぎなんじゃない?」 「俺の教育方針に口を出すな」 「それって性教育方針?」 「……」 車に戻り、運転席と助手席の間で交わされる会話を、後部座席に座った凛は黙って聞いていた。 上機嫌な真葵の運転で二時間ばかりドライブして、そのまま自宅付近へ送ってもらうまで、大人しい生徒は始終黙りがちだった。 「藤崎、今日はすまなかった」 「また会おうね、凛クン」 肌寒い夕刻の空気へ身を投じた凛は去り行くミニクーパーを見送った。 郷野とのかけがえのない日々に突然現れた、真葵という男への胸騒ぎを持て余しながら。

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