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正にその通りだが、悪意ある露骨なイヤガラセにショックを受けて真っ赤になった凛は、返事ができずに、やはり真葵を凝視することしかできなかった。
「そうだなぁ。じゃあ教えてあげる代わりに、凛クンも俺に教えてくれる?」
じんわり涙まで浮かべている凛に真葵は容赦しない。
「真一とどんなセックスするの?」
「ッ」
「教えてよ?」
イスを斜めにずらして足を組み、真葵はトゲを孕んだ眼差しで凛を見据えた。
停留所で長い間考えあぐねた末、バスに乗って真葵の元を目指す間、郷野との関係についてどう尋ねるべきか、凛はあれこれ悩んだ。
自分に敵意を抱いている彼のことが正直苦手で、怖くもあり、何度も引き返したくなった。
それでも凛はここへやってきた。
「返してくれないかな」
真葵は攻撃の手を緩めずに畳みかけた。
「真一、俺に返してくれない?」
返して?
それって、つまり、やっぱり郷野先生と真葵さんは……。
挑戦的な言葉を投げつけられ、凛は、不要なまでの力を込めて閉ざしていた唇を開いた。
悠然とコーヒーを飲みながら嬉々として自分を痛めつけようとしてくる真葵に声を振り絞った。
「嫌です」
銀縁眼鏡のレンズ奥で甘やかな目許をした眼が珍しく見開かれた。
涙を堪えた双眸で真っ直ぐに真葵を捉え、誰よりも頼もしい体育教師に守られてばかりいた生徒は、受け身の刃を振るった。
「郷野先生はオレのものです」
まだ仄かに漂う湯気が張り詰めた空気に溶けていく。
慣れない敵意をその身に宿し、頭の天辺から爪の先までグラグラと沸騰するような心地でいた凛は、やがて思った。
……ごめんなさい、郷野先生。
先生のこと「もの」扱いしちゃいました……。
結局、凛は二人がどんな関係にあったのか明確に知ることができなかった。
「送るよ、凛クン」
「そんな、いいです、バスで帰ります」
「いーの。息抜き。気分転換」
車で送ると譲らない真葵に折れ、せっかく淹れてもらったコーヒーを全く飲まないで帰るのも申し訳ないと口をつけたら、苦い。半分飲むので精一杯だった。
セキュリティをセットして施錠し、ビルを出て近隣の月極め駐車場から車を出してきた真葵に拾われて、凛は家路についた……かと思えば。
「あの……真葵さん」
「うん? なーに?」
明らかに自宅方向ではない道を突っ切っていく真葵の横顔に凛は問いかけた。
「この辺、郷野先生のおうちの近くですよね?」
「うん。真一の家に送り届けるつもりだけど?」
先ほどは事務所で思い切った発言をした凛だったが、やはり、真葵の目まぐるしいマイペースぶりには太刀打ちできなかった。
混雑する表通りを避けて裏道を走り抜けるミニクーパー。
見知った場所であることが窺える運転捌きで真葵は郷野の住むマンションを目指す。
「昨日は一緒に飲んだ」
「郷野先生と……ですか?」
「そうだよ。居酒屋で。実にクリーンな夜でした」
昨日のことは凛に教えてくれた真葵だが、過去の関係については語ろうとしなかった。
「もっと過去に遡りたいなら真一に直接聞いてごらん」
スーツを羽織った真葵は前方へ目線を集中させたまま、助手席で未だ余計な力が肩に入っている凛にそう言葉をかけた。
ただの友達。それはないだろう。
さっきの「返して」は、あれは、真葵さんが未練を持っている証拠になる。
もう意気地なしになって時間を無駄にする余裕なんてない。
不安にばかり気をとられていたら、この人に先生を奪われるかもしれない。
そんなの、絶対、嫌だ。
真葵の事務所から郷野の自宅近くまで三十分程度で到着した。
なかなかな近さだと、凛は内心気になった。
真葵は郷野の住むマンション前を通り過ぎ、一番近いコインパーキングにわざわざ車を滑り込ませた。
「ちゃんと真一の部屋まで丁重に送り届けてあげる」
「オレ、ものじゃありません、子どもでもないです」
奥の空きスペースにスムーズに駐車し、エンジンを切ると、真葵は笑った。
いつものように唇の片端を吊り上げるのではなく、さも愉快そうに、心から。
「凛クン、この一時間で大分印象変わったね」
「それは……真葵さんのせいだと思います」
「俺の? それは光栄だなぁ」
外灯が差し込む車内にクスクスと笑い声が満ち、居心地が悪い凛は「送ってくれて、ありがとうございました」と礼を告げて外へ出ようとした。
「真一に守られてばかりのか弱い男の子かと思ってた」
シートベルトを外した真葵は助手席側の窓に手を突き、急に凛に接近した。
スパイシーな香水が鼻先に押し寄せ、目許の黒子がすぐ真正面に迫る。
年齢差がある点では同じだが、郷野とはまた違う、どこか色めいたしなやかさを持つ年上の男に逃げ場を塞がれて、凛は眉根を寄せた。
真葵さん、またからかってる。
この人、オレの反応を面白がってるだけなんだ。
「真葵さん、郷野先生だって明日の準備があるから、行くなら早く行かないと、ッ、ッ!?」
許可もなしに片頬にいきなりキスされて凛はびっくりした。
「最初に会ったとき、守られるのが当たり前みたいな甘えたな顔、してたから」
わなわなしている凛に注がれる真葵の眼差しにそれまでのトゲは感じられなかった。
「ついつい、ね。いじめたくなったんだよ?」
ほんの一瞬、滑々した頬の温もりを端整な唇で味わった彼は、郷野との過去の一部を凛に打ち明ける。
「俺と真一は三年前にハッテンバで出会ったんだ」
……ハッテンバって、一体、何ですか……?
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