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煮物の残りをタッパ―に詰めた真葵が満面の笑顔でマンションを去り、凛と郷野は二人きりになった。 どうして一人で真葵に会いに行ったのか。 録音された会話を聞く前から自ずと理由を悟っていた郷野は口を開く。 「あいつとは三年前に出会った」 「ハッテンバで……ですよね?」 「……」 「先生、ハッテンバって何ですか? お店の名前ですか?」 表向きは会員制のバーだった。 実際、アポなしの単身初来店でも何ら咎められない、女性客もちらほらいる極々ありふれた店であり、知る人ぞ知る男同士の出会いの場でもあった。 三年前、郷野は初めてそういった場所を訪れた。 「真葵はその店の常連だった」 彼は一目見て郷野を気に入り、郷野は真葵の誘いに応じ、出会ったその夜に体を重ねた。 教師と司法書士。双方とも忙しい身で逢瀬は月に数回と限られていたものの、ベッドでは互いに申し分ない相手であり、二人の関係は半年ほど続いた。 「半年後、俺の方から別れを切り出した」 その場限りの刹那的な衝動に従うだけ。 それこそ自堕落な、何も生み出さない、不毛で爛れた繋がり。 そのことに気付いた郷野は自分から終止符を打つことにした。 正直、未曽有のマイペースぶりに振り回されるのに限界を来たした節もあった。 当時、合同事務所に籍を置き、無料相談や研修会で土日も駆り出されていた二つ年上の真葵は、郷野の申し出をすんなり受け入れた……。 「……真葵さん、年上だったんですね」 お皿を拭きながら問いかけてきた凛に、郷野は鍋を洗いながら頷いた。 「半年間。俺とあいつは付き合っていた」 ずっと気になっていたことがわかってスッキリした……わけがない。 ただの友達同士じゃないと予想はついていたけれど。 いざこうして先生の口から告げられると落ち込んでしまう。 「別れてからはお互い一度も連絡をとらずにいた、それがいきなり電話してきたかと思えば……」 苦々しい顔つきで鍋をすすいでいた郷野は隣で手が止まっている凛に問いかけた。 「藤崎、あいつに何かされなかったか」 「……」 真葵は生粋の同性愛者だった。 なおかつ、攻め手、受け手、どちらも可としていた。 よりによって凛が泊まり込んだ日、別れて初となる連絡を寄越し、愛しい生徒が間口の広い彼の標的になることを危ぶんで二人を会わせたくなかった郷野だが。 マイペースな性格よろしく真葵は部屋に上がり込んでしまった。 ちなみに揺るぎない攻め手の郷野に対して真葵はもっぱら喜んで受け手でいた。 だからと言って、従順、からは程遠かったが。 「あいつは俺を怒らせるのが好きなんだ」 『俺さ、真一が怒ったら興奮するんだよね』 コインパーキングに停めた車の中、壁ドンならぬ窓ドン状態で凛に迫った真葵は似たようなことを言っていた。 『骨までバリバリ食べてほしくならない?』 『真葵さん……退いてください』 『でも、さっきの宣戦布告にも痺れたなぁ』 レンズの奥で甘やかな目許をした双眸がうっすら笑みを零す。 まるで神社の境内で時折見かけるお稲荷さんを彷彿とさせる、ミステリアスな微笑であった。 『見直したよ、凛クン?』 その後、真葵さんは何もしないで退いてくれた。 まぁ……その前に頬にキスはされたけど……。 先生にちゃんと言った方がいいのかな……? 車の中であったことを正直に伝えて、もしも先生が怒って、真葵さんに文句を言ったりしたら。 また喜んで興奮しちゃうかもしれない。 それでまたオレにちょっかいを出して、先生が怒って、真葵さんは興奮して……。 そんな悪循環、嫌だ。 「何もされてないです」 嘘つきました、ごめんなさい、郷野先生。

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