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 再びなり出した携帯を手に、最後まで心配そうだった舘脇さんと別れ、そのまま閑散とした裏路地を歩く。ローファーのかかとの地面にこすれる音があたりに響いて、それだけだった。 少しばかり薄暗いその道では日傘をさす必要はなかった。日傘を閉じて、ふと息を吐く。 「迷ったかな…」 しまった。考え事をしながら歩いていたら道が分からなくなってしまった。どうしようかとあたりを見回しながらきょろきょろしていると、足元に一匹の猫が座っていた。少し赤毛のその猫は、二本のしっぽを左右に揺らしながらニャアと一度鳴き、俺の前を歩きだした。 「……ついて来いってこと?」 そう聞けば、またニャアと鳴く。俺はおとなしくその猫の後ろをついて歩いた。 「……ここは、」  足元で猫が鳴く。それは少し身をかがめて、その猫を腕に抱いた。おとなしくされるがままの猫に思わず顔が緩む。 「君はおとなしいね」  それにしてもここは何処だろうとまっすぐ前を見つめる。石畳が続く道だ。石畳の両脇には育ち切って体をしならせる木々が鬱蒼としている。陽の光を通さないその木のトンネルの向こうは真っ暗だ。  この先には何があるんだろう。そしてこの猫は、一体俺に何を伝えたいのだろうか。とにもかくにも、行くしかないかと足を踏み入れた。  ボロボロな石畳に、わずかに風が抜けて葉がこすれる渇いた音があたりに響く。この空間はまるで夜だなと思った。暫く歩いていくと、蔵のようなものが見えた。その前には淡い赤色の髪を緩くうなじ付近でまとめた、着物の男が立っていた。花柄の着物は一見すると女物のようだけれど、ソレを身に着けているのはどう見たって男だった。 「あぁ、来たか。おぬし、片割れを探しておるんじゃろ?」 「……あなたは?」 「儂か?儂は鬼灯じゃよ」 腕を組み、俺の質問に答えると鬼灯は蔵の扉を開けた。 「ここにおるよ。とはいっても、形を保つことに精いっぱいで眠ったままじゃがの」  扉が開いた先には、いくつかの燭台に蝋燭が灯り、淡い光で照らされている。そのちょうど中心の方に、ぼんやりと光る白い「片割れ」が眠っていた。胸の上で手を組んで、眠っている。 「……土地神が善悪で分かれるとは珍しいこともあるのう」 「いつから、ここに」 「なに、だいぶ前からじゃよ。五十年くらいかのう?」 「………そう、ですか」  五十年。それが本当なら、俺から切り離してすぐの話だ。今はもう村がどこにあったのか定かではないけれど。 「それが消えれば、おぬしも消えるんじゃろ?それはもう時間がない。見ての通り、半透明になっておる」  ぼんやりと白く光る自分を見つめながら、はっと息を吐いた。鬼灯さんの言う通り、魂の片割れともいえる存在が消えれば、恐らく俺も消える。床に横たわる半身は、もうわずかに透けて床が見えていた。  ―――ごめんよ―――  遠い昔に捨てた感情だ。人をこれ以上恨みたくなくて、疑いたくなくて、切り離した真っ黒な心。それなのに、それは真っ白だ。髪も肌も、俺よりも真っ白でいっそのこと笑えてくる。俺は髪も目も黒い。 「おぬし、」 「?」 蔵の入り口に立つ鬼灯さんを振り返り首を傾げると、俺を指さした。 「その〝名〟をもらった相手は覚えているのか?」 「………どういう、意味ですか?」 「―――そのままの意味じゃよ。鬼の印ほどの繋がりはないが、名をもらう行為はそれに近い。おぬし、誰にそれをもらった?」  誰に。  誰だっけ?遠い昔の話過ぎて、記憶もおぼろげだ。それは、たぶん。 「……人の、子供だったかと…。すみません。思い出せないです」 「おかしな話だの?」  鬼灯さんが首を傾げて、猫がニャアと鳴いた。まるで鬼灯さんの言葉に同意するように。 「おぬし、会っておるだろう?その人間――――いや、正確には同じ魂の人間に」 「は」 「おぬしの力が微量じゃが戻っておる。心当たりはないのか?」 おかしいのう。と鬼灯さんが顎に手を当てながらつぶやく。俺は、一度自分の手に目を落としてから、眠っている自分に視線を移し、ふと息を吐いた。 「……そんな」  最近話した人間は舘脇さんしかいない。だけどあの人は普通の人間だ。俺が村を滅ぼしたのは五十年前。生まれ変わるにも、早すぎる。それに、そんな、偶然が。 「その片割れ、どうするのじゃ?もう消えかけておるが、このまま放っておくのか?」 「……いえ、このまま、消えるのは」 嫌だと思った。どうなるのか、わからないけれど。一度離した感情だ。それをまた受け入れるのは。  少しだけ、怖いけれど。 「なに、大丈夫じゃよ。ここに儂がおる。どうなっても対処はしてやろう」  その言葉に少し笑い、ふと眠っているその白い手を両手で掬い上げた。氷の様に冷たい手に背筋が震えた。

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