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   ◇  どうやら、この部屋には三日月は入らないらしい。玄関のノブに手をかけると同時に腕から飛び降りた。  ガチャリと玄関が開き、ドッと嫌な汗が噴き出た。拳を握って一歩一歩踏み占めるように進む。明るい昼間だというのに、やけに廊下が暗く感じで息苦しい。暗くて狭いところは好きだけど、この感じは嫌だ。 「―――ノックをしてから入りなさい。弥一」  リビングへと続く扉の前で足を止めると、背後から声をかけられて足を止めた。 「百目鬼」 振り向きながら名前を呼べば、随分と長かったなと百目鬼が笑う。すべてお見通しのくせに、こうして言わないから質が悪い。 「……殺すのか?」 「気にするのか?お前が?安心しろよ、この中では殺さない……いや、殺せない。だろ?」 「この中でも、外でも、お前はあの人間を殺せはしないよ」  重い空気が胸に気持ち悪さを連れてくる。さっきから床に引っ付いたかのように足が動かない。頭でも声がして、嫌気がさしてくる。小さく息を吐き、百目鬼を見据えると、いつものようにピシッとしたスーツのネクタイを緩めて、可哀想だなと言葉を吐いた。 「人間を好きな自分も、憎しみを抱く自分も受け入れられないなら、お前は消えるしかない。元来一つの器には一つの魂しか入らない。そこには今、もともと一つだった魂が割れて入っているだろう。要するに、二つある。意識はお前でも、心優しい弥一の声が聞こえるはずだ。その声が聞こえる限り、お前にあの人間は殺せんよ」  声は、起きてからずっと聞こえていた。聞こえないふりをして、知らないとそっぽを向いて、考えれば頭が痛くなる。原因を殺せば頭痛もやむと思っていた。原因である、あの人間を殺せば、この忌々しい声も消えるだろうと。  俺は人間が好きな自分を受け入れられない。もうその考えを持つことが、できない。消えたって、その後の世界なんて。 「……弥一、その声はたとえあの人間を殺しても消えない。それはお前自身の声だ。魂の叫びをちゃんと聞いた方がいい」 「っ、うるさい‼」  思わず出した大声に、扉の向こうでがたりと音がした。あぁ、ほら、やっぱりそこにいるじゃないか。殺さなければいけない相手が、殺すべき相手が。 「弥一!」  百目鬼の声を無視して、リビングの扉を開けた。 「……弥一」  聞き覚えは、ある。顔も、知っている。 「お前が…っ‼」  ザワリと全身の血が沸騰した感覚に目の前が真っ赤に染まる。バチリと音がして、視界に入った髪が真っ黒に染まって、俺は一歩踏み出した。 「その姿は、相変わらずきれいだな」  目の前の男が―――舘脇倫太郎が懐かしそうに微笑むのに、怒りが沸くのに、それと同時に「嬉しい」と感じて眩暈がする。気持ちが悪くて、視界が揺れた。 「弥一」  黒いスーツに身を包む舘脇は、傾いた俺の体を片腕で抱き留めると、ふと息を吐いた。 「―――今なら、お前を支えてやれる」 小さくつぶやいて、言うことを聞かない俺の体を軽々と担ぎ上げた。あぁ、気持ちが悪い。吐きそうだ。

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