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昔、山の上に小さな村があった。その村は大きくて立派なご神木に守られた村で、人々は確かにそのご神木に祈りをささげて生きていた。神と言うのは人々の祈りや信仰によって現れるのもので、それを忘れてしまえばその加護は受けられない。それは例えば、村が土砂崩れに遭い廃村に。例えば大火に見舞われすべてが燃えてなくなった。と言うように、人々の暮らしが進歩すればするほど、神の価値はなくなっていった。
俺も、価値がなくなった神の一体だ。
小さな小さな蛇から始まった。それが俺だった。もう、一番最初を覚えてなどいないけれど、俺は一つの土地を守る神になった。それは確かに人々の願いや、祈り、それが俺を神にしていたのだと思う。いつの間にか人型を取るようになってからは、一人の少年が読み書きを教えてくれた。
父親しかいなかったその少年は、俺に蛇穴弥一と言う名前をくれた。蛇だから、と。
その少年は、殺された。
「神に近づいた」と言う大人によって。酷い拷問を受け、しまいには体をバラバラにされて。そこからの記憶は、朧気だった。正直、忘れてしまいたい事だし、結局のところ、どう足掻いたところで俺は人間が嫌いだ。
違うって、わかっていたんだ。あの人間を恨んだところで、俺の気が晴れないことぐらい。わかってた。でも、それを認めることが出来ない。人間を嫌いでいなければ、俺には価値がない。神も人も心を持った大差ない人なんだと、そう思っていたのに。すべてが、あの少年が殺されたことで変わってしまった。人間は自分本位で勝手なんだと思い知らされた。
苦しいと嘆く、優しい心を放り出し、捨てて俺は眠りについた。目が覚めないことを、祈っていた。
「……………お前は、どうして人間が好きなんだ」
目が覚めて、最初につぶやいた言葉に、ぼんやりと頭で声が聞こえた。無意識に伸ばした手の向こうに見える天井は木目調で、視界の左端には白いカーテンが揺れた。
「―――俺は、」
息と共に吐いた言葉に、伸ばしていた手を下ろし、ここは何処だと目線だけを動かした。見たことのない部屋に、ため息が出る。
「……頭、痛い」
ふと体を起こし、視界で揺れる髪が黒くて舌打ちをした。頭に響く声も、うるさい。
「俺は、弥一じゃない」
小さくつぶやいて、目を閉じた。膝を立てて、そこに額を埋める。息が苦しくて、かなわない。いくら元々が土地神だと言え、今はほとんど力もない、ただの人間のようなものだ。そこに魂が戻ったことによって体に負荷がかかっている。そんなような気がした。
「……………違う。俺は、弥一じゃ、ないんだ」
違う。また呟いた。
違う、違うと小さく消え入りそうな声で繰り返して、膝に額を埋めたままで両肩を抱いた。
「弥一」
部屋の扉が開き、聞きたくもない声が鼓膜を揺らして顔を上げた。
「弥一?」
「ぅるさ、い」
その名前で呼ばないでほしい。さっきから頭が痛くて、苦しい。
「……どうし」
「うるさいんだよ‼」
声を張り上げると、窓ガラスにバリっとヒビが入る。まるで蜘蛛の巣のように広がったそのヒビに、舘脇がわずかに息をのんだのが分かった。窓を開けてもいないのに、白いカーテンがめくれ上がり、髪が視界で揺れた。
「……なら、なんて呼べばいい」
小さな声で、舘脇がつぶやいた。
「なんて、呼べば返事をする?俺が与えた名前はもういらないのか」
その問いに、俺は答えられない。答えたくない。どちらの答えを出すのかなんて、わからない。また膝に顔を埋めて、両耳を手で塞いだ。何も聞きたくなくて、何も見たくなくて、目をつむる。
それでも、頭には弥一の声が響く。「舘脇さん」と、あの忌々しい人間を呼ぶ声がする。その声に、違うとまた小さく答えた。
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