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運命のつがい ②
不安や恐れが胸にこびりつき、どうしても不信感をぬぐうことが出来ずに、夢川に応えられない自分が情けなく苦しかった。
決して夢川の愛情に胡坐をかき、奢っているがゆえのことではない。
いつか――その愛情が失われてしまうのでは…、夢川の愛情を受け取る相手は本当は自分ではなく他の誰かではないかと、……どうしても信じ切れなかったのである。
(だけど、もう、いい加減にしないと)
いつまでも怖がってばかりもいられない。
(ここらが年貢の納め時…ってやつだろうな)
心の中で、わざとそんな風に嘯 いて、閉じていた目を開けた俺はおもちゃに夢中になっている弘を見る。
一人だった俺たちが結婚して二人になり、歩が生まれて三人になり、弘が加わって今では四人になった。
家族が増えることは楽しくもあり大変でもあり、時にままならなくもある。
たとえこの先なにがあろうと、俺たちはもう苦楽をともにする家族だった。
強さがほしい。
いや、――強くならなければ。
家族を、この幸せを守るために。
いつまでも弱さを理由に逃げ続けるのは、卑怯者のすることだ。
俺はそっと細く息を吐きだし、かすかに震える乾いた唇を舌先で湿らせ、夢川に告げた。
「わ…かりました。…つぎの、発情期 で、俺と、番の契約を、結んでください」
小さい上に、ぶつ切りの聞き取りづらい声だっただろうに、夢川の耳にはしっかりと届いたようだった。
ぎゅうっと俺の体を抱きしめる力が一気に増し、息が止まるほどに強く抱きしめられた。
「…ほんと、ですか…? ――もう一度、もう一度聞かせてください」
「――ッ、おれ、と、つがいになって…ぅっ、く、くるしい…! しめすぎッ、契約する前にしめ殺す気か…!?」
あまりの苦しさについ乱暴な言葉遣いになってしまったが、夢川は聞いちゃいなかった。
くるりと俺の体をまわして今度は正面から見下ろすと「本当に? 本当にいいんですか?」と子供のような泣き笑いの必死の形相で何度も確認してきた。
俺もそんな夢川の姿に感極まり、じわりと目の奥が熱くなって涙が滲んでくる。
「ずいぶん…長い間、待たせてしまいました」
「……いいえ、君が私のそばで尽くしてくれた期間にはまだ到底及びません」
どこか儚く、でも幸せそうに笑う夢川が愛しくてたまらない。こんなにもかわいらしい男なのだ、夢川理という人間は。
ダメなところも情けないところもあるけれど、こういう人間だからこそ惚れたのだ。
「あぁ…もう出張など取りやめて君と引きこもりたい」
今度は正面から俺を抱きしめて嘆 く。
俺も同意したかったが、――そういうわけにもいかない。
「大型契約を取れるかどうかは今度の出張次第でしょう?」
なにしろ、あの一筋縄ではいかない元生徒会長様が持ってきた仕事だ。
「――あの人は昔なじみだからといってビジネスに私情を持ち込むような……そんな甘い人ではありませんから」
慰めるように抱きしめ返し、励ましの意味をこめて肩のあたりを軽く叩く。
我が家の一家の大黒柱でもあるし、その肩には大勢の社員とその家族の生活がかかっている。
「人参 をぶらさげられた馬の気分ですよ。……それに、彼を分かった風に云うのはやめてください。不愉快です。君が理解すべきは私であって彼ではない」
「…な…なに言ってるんですか…そっちこそ妙な言い回しやめてください。俺はあんな人これっぽっちも理解したくなんかないですし、理解できるわけがない」
――今頃はきっと某元生徒会長がくしゃみの一つでもしていることだろう。
互いに顔を見合わせた二人の間にふっと笑いが零れ落ちる。そして、自然なしぐさで唇を寄せ合い、キスをしようとしたところで……「えーコホン、コホンコホン!」という少々わざとらしいカラ咳が廊下の方から聞こえてきた。
あわてて体を夢川から引き離してそちらを見ると、長年夢川家の運転手を務めてくれている守矢がリビングの戸口の影から半身だけをのぞかせ、気まずそうにしている。
守矢は、品よく背広を着こなしたロマンスグレーの紳士だ。
「……お取込み中のところを申し訳ございませんが、そろそろ歩さまのお迎えの時間でございますので、私は失礼してそちらへ向かわせていただきたいと思います」
「も…もりや、さん…!」
俺は一気に赤面し、挙動不審になった。
まさかずっとそこに…と言いそうになって、口から出す前にかろうじて飲み込む。
――当たり前だ。居たに決まっている。さぞかし身の置き所のない居たたまれない思いをさせてしまったことだろう。
守矢は会社から夢川を送ってきて、そして歩を迎えに行くつもりだったはずだからだ。
私立の小学校に通う歩の送迎は守矢に頼んであるのだが、送迎の時間にあわせて俺も一緒に買い物などに出ることなども多く、出る前には声をかけてもらうようにしていた。
「す、すみません…」
恐縮して謝ると、守矢は目尻にシワを刻んで微笑んだ。
「こちらこそ弁えずに出しゃばってしまい申し訳ございません」
「いえ…もう歩の迎えの時間ギリギリですよね。声をかけてもらって助かりました」
「……ようございましたね、理さま」
真面目で温厚な守矢にしみじみと温かな言葉をかけられた夢川が、照れくさいのか頬をほんのり染めて「はい」と小さく返した。
守矢は夢川が子供のころから運転手を務めている古参の勤め人なので収まるところに収まって、余計に感慨深いのだろう。
「弘さま、守矢と一緒にお兄様をお迎えに行きませんか?」
いつもは控えめな守矢が、珍しく直接弘に声をかける。
「いくーー!」
弘が全力で返事をして電車を持ったまま守矢の元へ一目散に走っていった。
「――理さま達はどうか出張のご準備をされていてください。歩さまのお迎えは私と弘さまで行ってまいりたいと思います。……お子様たちと共に少しばかりドライブなどもしてきたいと思うのですがよろしいでしょうか?」
「あ…はい、え…いいんですか?」
「ドライブーー! もりや、ドライブ!? でんしゃ、みたい! でんしゃー!」
「はい、電車、見に行きましょうね。守矢がお供します」
「でんしゃ! でんしゃ!」
気を利かせてくれた守矢がリビングから弘を連れて玄関の方へ向かった。
弘も歩も二人の子供は、生まれた時からそばで世話を焼いてくれていた守矢に懐き、むしろ本当の祖父以上に慕っている節もあるくらいだった。滅多にないことだが、子供たちを預けるのに不安はないし、俺たちも守矢を信頼している。
「では、行ってまいります。二時間ほどで戻るつもりでおります」
その後について玄関まで見送りに行った俺と夢川に守矢は年長者らしくほほえむと、浮かれて自作の「電車の歌」を歌う弘と共に玄関ドアから出ていった。
申し訳なく、罪悪感もわずかにわいたが、俺は守矢の好意に甘えることにした。おそらく夢川も同じ気持ちだったのだろう。二人を止めることはなかった。
そのドアが閉まると同時に、俺と夢川はどちらからともなく求め、先程し損ねたキスをした。
夢川にしては荒っぽい性急さで体を弄 ってきて、その官能を引き出す動きに俺はあえいだ。
互いに余裕などなかった。
それでもこのまま玄関先でことに及ぶには抵抗があり、俺はキスの合間に訴える。
「し、寝室で…」
「すみません。もう待てない」
ずっと「待て」をされていた夢川の切実さをはらむ声に、俺の抵抗感はあっさりと掻き消えた。
――止まらないのはお互い様だ。
俺だって寝室まで行きつける自信などない。
本音では、今すぐ、夢川を埋めて欲しいくらいに気持ちは昂 っていた。
こんなにも、求めていたのだと――俺は自分自身の心と体で思い知らされた。
欲しかった。
夢川が、欲しかった。
「しゃ…ちょ…ぅ」
「名前を…、名前を呼んで」
「理さ…あぁ…!」
コットンパンツの下に潜り込んでいた指が、俺のうしろに侵入した。
「ヒートでもないのに、ずいぶん濡れていますね。私の指をこんなにもやすやすと咥えこんで…」
嬉しそうな夢川の声に、顔面がかっと熱くなる。淫らぐましい躰が恥ずかしい。
「私をもっと欲しがって…、乱れ狂ってみせて…わたしの愛しい番 」
中を性急に解 されながら、壁際へと誘導される。
歩を進めるたびに、夢川の指先が内壁を思わぬ角度でぐりぐりと擦 り、予測不能な動きで快楽の芽を押しつぶされるたびに俺は躰を震わせ身もだえた。
「あ…歩けな…ぃ…」
泣きごとを漏らす俺を夢川が、蕩けそうなほど甘く宥める。
「もうすぐですよ……、ほら、手をついて…、なにもないところでは危ないですからね」
俺は壁に両手をつき、体を支える体制になる。
手のひらに触れる壁の冷たさに、ふっと頭の熱がわずかに冷めた。
「い…いやです」
「拒絶しないで」
愛液でしとどに濡れた指が抜かれ、「あぅ」とその刺激に壁にすがる。背後ですばやくスラックスをくつろげる音がした。
準備をする隙に振り返ろうとするが、壁にやや乱暴に押さえつけられる。
「前、前からがいいです…!」
俺は慌てて今にも侵入しそうな夢川にストップをかけた。
バックからではなく、向かい合ってその身体に腕をまわし、顔を見ながら抱き合いたかった。
だが――、
「すみません」
いつも大抵の願いは「いいですよ」と叶えてくれるはずの夫が今回ばかりは我を通した。
――疑問を口にするまでもなく、その理由はすぐに身を持って思い知らされることになる。
挿入と同時に、うなじをガリリと血が滲むほど強く咬まれたのだ。
「い…った…あっ、ぁぁああ…!!?」
痛みと、目も眩むほどの快感が同時に襲ってきた。
「な…あ…あ…ッ…! なん…で…」
真に番(つが)うにはΩの発情時にうなじを咬む必要がある。
理由は定かではないが、番の契約は世間一般が思うほど簡単なことではなく、Ωの躰にかなりの負荷がかかるものであったし、平時にうなじを咬んでも番契約が成立しない確率の方が高かったからだ。
本気で番う気なら、番の契約は発情期に行わなければならないというのが定説であったし、事実、多くの番契約はそうやってなされてきた。
だから、今うなじを咬んでも、俺は発情しているわけではないので意味はない。
しかし、夢川の犬歯は、深く俺のうなじに喰い込んだまま離れなかった。
首筋を血が伝う。
(熱い、痛い、あつい、いたい……)
熱と痛みに犯された脳がもうろうとしてくる。
「まてない…すみません…もう、まてない…! なんで今、君はヒートじゃないんだ…!」
迸るような叫びだった。
――それほどまでに、深く求められていたのだと俺はその熱と痛みによって教えられた。
「ふっ…うぅ…あぁ…」
傷口を舐める舌の動き。
突き上げられる力強い腰つき。
いたるところに口づけを降らせ、薄い皮膚を食む唇。
まるで捕食するように、俺を揺さぶり、奥の奥まで犯す雄芯。
そのすべてに翻弄されながらも、俺の心はかつてないほどに満たされていた。
拒んでいたのは自分の方なのに、ようやく与えられたと思えた。
「今すぐ、わたしのために、わたしを求めて発情してください…」
切ない嘆願が耳と心をくすぐる。
背後から身体が浮き上がるほどに激しく突き上げられ、何度もなかに注がれ、混じり合った二つの体液がぐちゅぐちゅと卑猥な音を奏 で、溢れ、したたるほどに互いを濡らす。
とろけた愛液が足を伝い落ちて床にまで広がり、二人の足裏によって塗りこめられる。
発情期でもないのに、夢川家の玄関ホールには濃密なフェロモンが漂っていた。爽やかなのに俺を酔わせる甘い檸檬の香りに包まれ、俺はいくども絶頂まで駆け上がる。そして、そのたびに最奥をノックする灼熱の肉茎をうねる内壁で貪欲に絞り、注がれる子種を存分に味わった。
「あ…あっ…あぁ…んあッ!」
吹き抜けになったホールに、自分のあられもない声が反響する。
――ずっと、こんな風に愛して欲しかったのだ。
ようやく俺は自分の望みを知った。
脇目もふらず、冷静さや礼儀正しさなどかなぐり捨てて、こんなめちゃくちゃな愛し方をされたかった。
誰かの作為など一切関与せず、オールオアナッシングを突き付けられた末の結果でもなく、ただ愛のままに求められたかった。
(バカみたいに…幸せだ)
ようやく、ようやく、――この手にできたと、俺は束の間の幸福に酔いしれた。
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